これはロッキーの撮影ではありません

コードが書けないシステムエンジニア。 立派なプロジェクトリーダーになりたいと思いビジネ…

これはロッキーの撮影ではありません

コードが書けないシステムエンジニア。 立派なプロジェクトリーダーになりたいと思いビジネススクールに通ってたら、 いつの間にか社会学や人類学にハマってしまいました。 ということで現在、経営x人文知の旅に出る準備中。いやまいったね。

最近の記事

関係論的な自己とシステム思考

磯野さんの「他者と関わる」講義の中で、自己とは関係性によって生まれる存在なのだとする考え方があると知った。 これは自己という存在が先にありそこから関係性が発生するという、存在論的な自己とは対極をなす考え方だ。 僕はこの関係論的な自己を聞いたとき、システム思考やダニエルキムの成功循環ループが浮かんだ。 そしてそれらの間に、とても強い親和性があるなと感じた。 仮に様々な事物事象が関係論的に存在しているのならば、まず注目すべきは自己や他己という存在ではなく、それらを生み出しう

    • 「違い」と「優劣」

      ビジネススクールで学んだ経営理論、考え方は数多くの研究や事例に基づいた、客観的な正しさがある。 だからそれに従って仕事や運営をしている自分は正しいはずで、それに倣わない他の人たちは非合理で非効率で正しくないのだ。 でも本当はそうじゃない。 その土地、文化の中で独自に進化を遂げているコミュニティ、企業、暮らしている人々がいる。 客観的な正しさは、客観的な正しさを良しとする一つの主観に過ぎない。 文化人類学をかじっていると、「違い」と「優劣」の違いについて考えこんでしまう

      • 目下の人と相対するときにこそ自分を試される

        年下の人や自分より立場が低い人と話すとき、特に高校生や大学生と話しているときなど、あぁ人間を試されてるなと感じる。 往々にして自分より弱い人にどう接するかで、その人の器と言うか品性みたいなものを見極められる気がしている。 目上の人と同じように敬意を払って接しているか。 相手の意見を真摯に受け止めているか。 言葉づかいや口調は当然変わるけど、相手と向き合う姿勢そのものは変えずにいるだろうか。   年上や目上の人と話すのと同じくらいに、年下や目下の人からも気づきや学びを得

        • 言葉で伝えないからこそ伝わるモノ

          イベントやモノづくりを、ソツなくこなす人たちがいる。 あまりにもソツなくこなすものだから、 「あぁ、きっと想定通りに事が進んだんだな、良かったな」 「もう何度も場数踏んでて慣れてるんだろうな」 なんて思ったりして、その手際の良さをすんなり受け入れてしまう。 でも実際、ソツなくこなすことの裏側には、 きっとたくさんの苦労や試行錯誤、迷い、葛藤があったのだと思う。 でも彼らはそんな背景を一切口にしない。 むしろそういう背景があるから、あえてそれを言わないんだろうと思う。

        関係論的な自己とシステム思考

          多様性の時代っていうけど

          周りがライフステージをどんどん進んでいく中で、 自分だけが結婚もせず家庭も持たず、家も建てずにいる。 生き方の多様化って言うけど、多様化って時には 可能性を暗に封じ込めてしまうのかな、と思う。 ビジネススクールみたいな少し特殊なコミュニティに 所属していることで、どこか安心するときがある。 それはもしかしたら、普通のライフステージを上がれなかった自分に 対して、言い訳を作っているからだろうか。 自分は普通の人とは違う活動、生き方をしている。 意識の高い夢や目標を持ち、

          一行内省日記を続けてみての感想

          とある授業をきっかけに始めた、毎日一行ずつ書く一行内省日記。 気づけばもう1年以上続けてる。。。汗 一日の仕事が終わったら席を立ち、トイレで用を足しながら、 その日を振り返る。 パッと思ったことを、席に戻ってチャッチャと書く。 書くのはExcel一行で二列。 最初の1列目には「良かったこと」。 二列目には「反省・内省」。書くのはその二つだけ。 月に一度、今までの日記を全部振り返ることにしている。 たまに「良かったこと」が空欄の日がある。 一方で、数百字にわたってびっ

          一行内省日記を続けてみての感想

          差別とルッキズム

          人を、肌の色で差別してはいけない。 報道番組でそんなテーマを扱った10分後には、 お笑い芸人の容姿を茶化して笑うようなバラエティ番組が流れる。 学校で、容姿を理由にいじめられる子供がいる。 子供たちに対して大人は言う。 「人を見た目で差別してはいけない」と。 そんな大人たちは今日も、 人の容姿を笑いのネタにするような番組を見て笑う。 ブサイク、ブス、メガネ、太ってる、ダサい、キモい。 何が差別で、何がそうでないかは分からないけど。 ルッキズムがある限り、 差別やい

          医療現場の変遷と学校のオープン化

          ある授業の議論の中で、「学校のオープン化」という話が出た。 学校は生徒にとっても先生にとっても閉鎖性が高い場所だ。 もっとオープンなものになった方がいい。 地域に開放し、地域の様々な人たちが行き交うようなコミュニティ形成の場になればいい。 空いている教室を使って会社や地域コミュニティのミーティングを出来るようにしたらいい。 部活やクラブ活動の面倒をみるのは、地域の人たちに肩代わりしてもらう。そうすれば子供たちは社会との接点を多く持つようになる。 子供たちが多くのコミュニテ

          医療現場の変遷と学校のオープン化

          買占めとサプライチェーン 2/2

          前回の続き。 前回はビールゲームとサプライチェーンについて説明した。 ここからは買占めの話を絡めていく。 ペットボトルのお茶やトイレットペーパーなどの消費財は大抵はまぁ、あと数日でそろそろ切れるなと思ったら買いに行く人が大部分だと思う。なので基本的には購入後数日で使い始める人が多いと思う。 でも何か非常事態になって買い占めようとするときの量は、おそらく数週間から数カ月単位での需要量に相当するだろう。 家の戸棚や収納スペース、物置などに消費財を備蓄し、数週間あるいは数

          買占めとサプライチェーン 2/2

          合理的な結婚って

          アプリで自分のプロフィール、価値観やパートナーに 望む条件を事細かに入れる。 そして相性診断とAIによってえらばれた人と、 結婚する。 ロジックとデータサイエンスに裏打ちされた、 とても合理的な結婚。 でも、それでもし結婚生活が上手く行かなかったら どうするのだろう。 AIのせいにするのだろうか。 それとも、自分たちに原因があると考えるのだろうか。 あるいは 合理的なんだから絶対これで良いはずだと、 自分を何とか納得させて生きていくのだろうか。

          買占めとサプライチェーン 1/2

          今日は買占めという行動がサプライチェーンに与える影響を考察してみようと思う。 先日あるSNSで、「小売店の在庫が家庭内の在庫に移っていくと小売店が困るんだよなー」という主旨のコメントが流れてきた。 その理由は色々あるのだと思うけど、今回はサプライチェーンマネジメントの視点でひとつ考えてみたい。 ここで考察の足掛かりとして、まず「ビールゲーム」について紹介したい。 ビールゲームはMITが開発した、ビールの製造から販売までのサプライチェーンを模擬したシミュレーションゲームだ。

          買占めとサプライチェーン 1/2

          多様性という言葉が無くなる日

          これからは、みんなと違うことが当たり前の世界になっていく。 先天的なもの、生き方、考え方、働き方、人との付き合い方。 だから「みんなちがってみんないい」なんてことすら言われなくなり、 むしろ誰かと同じだったときに「それ本当に同じなの?」ってなる。 同じとか違うとかという区別すら意識しなくなったら、 「多様性」という言葉自体が使われなくなるかもしれない。 これからはそういう世界になる。そう思うとワクワクしてくる。 でもその反面、もしあと30年ぐらい遅く生まれていた

          多様性という言葉が無くなる日

          アダ名ではなく本名で呼ばせてほしい

          会話の時は、基本的に本名で呼ばせてもらっている。 もちろん本名で呼ばれるのが嫌だという人もいるから、そこはなるべく察知して避けるようにしている。 アダ名で呼び合う文化にどうもなじめない。。。 相手をアダ名で呼べない理由が、きっと何かあるのだろうと思う。 高校の時、イケイケグループの生徒はみんなアダ名で呼び合ってた。 そこに自分が入れなかったコンプレックスがあるのかもしれない。 でもそれだけが理由ではない気もする。   名前はみんな、自分の意図とは関係なく与えられ

          アダ名ではなく本名で呼ばせてほしい

          「ムダな仕事なんてない」って言うけど

          本やセミナーで時折見かける、 「全ての仕事には意味がある」 「無駄な仕事なんてない」 という文言にはちょっと気をつけたいなと思う。     若いころに無駄だと思いつつやってた仕事があとになって、 「あの仕事を経験していて良かった」 「あの仕事があったから今の自分がある」 と思うことが多々ある。   そんな場面に数多く遭遇するうちに、 「すべての仕事には意味がある」 「ムダな仕事なんてない」 って思うようになる。それは自然なことだと思う。   でも本当はそうやって思い出せる

          「ムダな仕事なんてない」って言うけど

          「専門化」とビジネス

          医療現場でのコミュニケーションに興味を持ちはじめた時に出会った、 バイオサイコソーシャル(BPS)モデル。 人は生物的な存在であると同時に、心理的な存在でもあり、社会的な存在でもある。そしてそれらは独立している訳ではなく、相互に影響を与えながら動的に併存している。 WHOによる健康の定義から生まれたこの概念が近年注目されてきたのは、バイオ(B)、サイコ(P)、ソーシャル(S)のどれか一つに特化した機関やビジネスばかりが増えてしまい、医療の「専門化」を促進させてしまったか

          「問い」を「問い」のままでおく勇気

          正解や結論が得られないと落ち着かない、何とかしてそれを知りたい。 未来を確定させたい、不確実性を回避したい。 学校教育の偏りの弊害が顕在化してきているのだと思う。 ビジネススクールでも、問いに対する答えを出す力だけでなく、正しい問いを立てる力もつけましょうという方向になりつつある。 医療の世界でも最近、解が無い・見つけられない状態への耐性を意味する「ネガティブ・ケイパビリティ」が注目されている。 今話題になってるゼロリスク社会にも通ずるんだと思う。 ネガティブケイパ

          「問い」を「問い」のままでおく勇気