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多様性の時代っていうけど

周りがライフステージをどんどん進んでいく中で、
自分だけが結婚もせず家庭も持たず、家も建てずにいる。

生き方の多様化って言うけど、多様化って時には
可能性を暗に封じ込めてしまうのかな、と思う。

ビジネススクールみたいな少し特殊なコミュニティに
所属していることで、どこか安心するときがある。

それはもしかしたら、普通のライフステージを上がれなかった自分に
対して、言い訳を作っているからだろうか。

自分は普通の人とは違う活動、生き方をしている。
意識の高い夢や目標を持ち、それを実現することこそが人生なのだ。
それが自分の生き方、それが自分にとっての普通なのだ。
これからの普通は「みんなと同じ」ではなく「多様性」なのだ。
だからこの生き方は、これはこれで良いのだ。


・・・本当にそうなのだろうか。
他の人と同じように歩めなかった自分に対して、
後ろめたさがあるのではないか。
それをごまかそうとして、言い訳してるだけではないか。

本当はみんなと同じように結婚して戸建てを買い子供を育て、
家庭と仕事との両立に四苦八苦しながらも、
それでも家族みんなでドタバタの喜怒哀楽を生きていく、、、

そんなクレヨンしんちゃん一家のような生き方を、
本当はしたかったんじゃないのか。

生き方の多様化という世の流れを良いことに、本当は
選びたかった生き方を、あきらめる口実を作りたかったのかもしれない。

今の生き方を選んだのではなく、時世が今の生き方しか
選ばせてくれなかったのかもしれない。

僕が選んだのは未来ではなく、過去を正当化してくれるような
いまだったんじゃないか
って思う時がある。

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