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目下の人と相対するときにこそ自分を試される
年下の人や自分より立場が低い人と話すとき、特に高校生や大学生と話しているときなど、あぁ人間を試されてるなと感じる。
往々にして自分より弱い人にどう接するかで、その人の器と言うか品性みたいなものを見極められる気がしている。
目上の人と同じように敬意を払って接しているか。
相手の意見を真摯に受け止めているか。
言葉づかいや口調は当然変わるけど、相手と向き合う姿勢そのものは変えずにいるだろうか。
年上や目上の人と話すのと同じくらいに、年下や目下の人からも気づきや学びを得ることができる。
もうすっかり忘れてしまった感性や風景を思い出させてくれる。
ときには、その一歩先の世界を話してくれることもある。
当たり前だけど僕らはみんな、それぞれ違う「いま」を生きている。
もちろんこっちには彼らの知らないこと、知識や経験がたくさんある。
それを延々と教えることもできるといえばできる。
でもこれだけ目まぐるしく変化していく時代だ。それが彼らの将来に役立つ可能性はあまり高くはないだろう。
学校生活を楽しめない、暗い青春を送っている高校生や大学生もいる。
そんな時は、かつての自分を重ね合わせてみる。
どんな言葉をかけてもらったら社会や未来に希望を持ってもらえるだろうか、をイメージしてみる。
10年前の自分はどのようなことを思っていたか。
15年前はどうだったろうか。何に対してどう感じていたか。
抱えている悩みを「そんな小さなことで悩むなよ」と一蹴するなんてとてもできない。
小さな問題は大きな問題でもある。
かすかな記憶をたどりながら何を伝えようかとあれこれ悩む時間は、
ものづくりの過程と少し似ている。
社会の厳しさやつらさなんてのは、自分と同じミスをしない程度に教えてあげればいいような気もする。
想像だけど、暗い学校生活を送っている生徒ほど、そういう話を周りからたくさん聞かされてるんじゃないかな。
僕はその代わりに、社会の楽しさや面白さを伝えたい。
社会をたくましく生き抜く力、皆が羨むようなキラキラな人生を僕は手に入れることはできなかったけれど。
そうじゃない生き方もたくさんあるってことを伝えたい。
「頑張ってね」「自分に自信持ってね」とかはあまり言ってない気がする
「楽しんでみて」「面白がってみて」と言うことが多い。
自信というのは、持とうとして持つようなものでもないと思う。
何かを積み重ねた先に後からついてくるものではないだろうか。
どんな言葉をかけるのが適切なのかは未だによく分からない。
でもそんなことを考えながら話している自分の言葉には、不思議な納得感を感じることがある。
あのとき僕が欲しかった言葉はこんなだったのかもな、、、
と思う時がある。
時おり、僕は彼らを通して過去の僕にも
語りかけてるんじゃないかって、そんな錯覚をする。
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