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言葉で伝えないからこそ伝わるモノ


イベントやモノづくりを、ソツなくこなす人たちがいる。

あまりにもソツなくこなすものだから、
「あぁ、きっと想定通りに事が進んだんだな、良かったな」
「もう何度も場数踏んでて慣れてるんだろうな」
なんて思ったりして、その手際の良さをすんなり受け入れてしまう。


でも実際、ソツなくこなすことの裏側には、
きっとたくさんの苦労や試行錯誤、迷い、葛藤があったのだと思う。

でも彼らはそんな背景を一切口にしない。
むしろそういう背景があるから、あえてそれを言わないんだろうと思う。


それが直感的に分かるようになってきたのは、
僕自身がそうするようになったからだろう。

みんなのためにイベントを開きたいと思った時、
僕は参加者に対して気負いさせたくないと思う。

そうすると自然に、イベント前も終わった後も、
「ここまで来るのにこんな苦労がありました」
「これだけ苦労して準備した甲斐がありました」
「スタッフの皆のおかげでここまで来れました」
なんてことは言わなくなる。

自分の思い出作りのためにやるのではなく、
誰かに何かを与えたいからやる。それを続けていく。

こんなスタンスを続けていると、
やがては参加者のほとんどにあまり感謝もされなくなり、
ねぎらいの言葉ももらえないようになる。

そしてこう思うようになる。これでいいのだと。


主催者がウラの苦労を語らない時ほど、
僕たちには想像の余地を与えられる。

これだけのことをソツなくこなすために、
どのような準備や調整が必要だったのだろう。
意思決定プロセス、プロジェクトマネジメントはどのように
やっていたのだろう。
バックアッププラン、リカバリー策はどれだけ用意していたのだろう。

それらの想像と、イベント中の彼らの一つ一つの所作や
言動がリンクしていくことがある。

その瞬間、想像は共感へと繋がり、感動は敬意へと繋がる。
そして参加者へ向けられた、彼らからの深いGiveを感じる。

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