いわこし

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歌集『緑を揺らす』 吉澤ゆう子/著を読む

『緑を揺らす』を読んでいると、傍に作者がいるような、 そんな不思議な気持ちになる。 髪や指や息が近くにあるようになまめいて、 しかし透明な作者がそこにいる。 歌集では自身、父、子、夫、(チェロも人のように歌われる)を歌い、赤きフェラーリ、風鈴、満月、様々なものを歌う。 そして、その観察する眼をとおして作者の心があらわれる。 以下に読んでいて印象に残った歌と感想を書く 自身をうたうとき、作者は歌われる自分に影のように寄り添いながら身体や魂までも観察するように見ている。 1首目

    • 歌集『クジラを連れて』大引幾子 歌集を読む

      この歌集には作者の20代から40代半ばまでの歌が収められている。 編年体なのであろう。 5章に分けられた1章と2章はいわゆる前衛短歌的な比喩でみずみずしい感情を歌う。その中で、2章になると、作者は子を産みそして教師を務める中での出来事が歌われる。詩のことばはすこしずつ自らの近くにあるものを見つめる目や手触りに変わっていく。 やがて3章、4章になると自らの生活に根ざしたうたが多くなり、 きらびやかなレトリックではなくその歌全体が詩の景としてうたわれる。 様々な出来事、作者の歌は

      • 歌集『ナムタル』土岐友浩/著 を読む

        『ナムタル』は難しい歌集である。 それは作者のあとがきにもあるように歌の制作期間が2019年5月以降ということと医療従事者という作者の職業がかかわっているように思う。 Ⅱ章の最後の歌 ここからコロナの疫禍がはじまり、Ⅳ章でようやく出口が見えてきた世界になるのだが、しかし、なぜだかコロナ前の章であろうⅠ章さえも予感のようなものを感じさせる。 それは、おそらく今となってはコロナ禍の時間を通過してきたからなのだろうと思う。 歌をつくられたとき、コロナ禍の予感なんてなかったはずだ。

        • 歌集『ヘクタール』大森静佳/著 を読む

           以前読んだときにたくさん付箋を貼った。しばらくそのままで、今回、ふたたび読んだ。すると、前とは違った箇所に付箋が貼られた。前回、読んだときに貼った箇所からはずしたものもある。歌集名になったような代表歌はいくつもの読みや評がすでに出ているであろう。  なので、今回は、付箋を貼った歌の中でも鑑賞に選ばれにくいであろう歌もいくつか読んで10首読むことにした。といいつつ、この歌集、様々な表現がちりばめられており、読み方がよくわからない歌もあった。にもかかわらず選んだのは意味ではなく

        歌集『緑を揺らす』 吉澤ゆう子/著を読む

          歌集 『新しい生活様式』服部 崇/著 を読む

           著者の服部氏はパリ、シンガポール、(しばし京都の大学で教鞭をとられ、東京に戻られた後、いまは海外)等、主に海外で勤務される官僚である。歌集にはその勤務地での仕事が写実的に歌われる。  Ⅱ章のクメール・ルージュの虐殺という歴史を踏まえ、カンボジアをうたった連、そして著者が仕事としてかかわる国家間のシビアな交渉の現場をうたった連が圧巻である。それらの歌は形而上的な言葉ではなく自身の身のまわりの出来事を通じて歌われることにより強いリアリティを持つ。  そうしてこの歌集は、それだけ

          歌集 『新しい生活様式』服部 崇/著 を読む

          歌集『胸像』髙山葉月/著を読む

          情熱的な装丁。 緑のカバーの中央に花の蔓がハートにあしらわれ そこにハイヒールの(きっと9㎝)の女性が横向きに腰掛けつつ林檎を一口かじる。 作者がアルゼンチンタンゴのダンサー(素晴らしい経歴を持つ)ということを作者略歴を見て知った。 この歌集には、略歴のアルゼンチンへのダンス留学の歌やダンスにまつわる歌も歌われている。 アルゼンチンに留学されたのは魚が遡上するほどの過去のようだが、 今見たように景が生き生きと表現されている。 そしてアルゼンチンタンゴをうたった歌は身体性が精

          歌集『胸像』髙山葉月/著を読む

          角川短歌賞佳作 『対岸』魚谷真梨子 作を読む

          『短歌』2021年11月号掲載の『対岸』魚谷真梨子 作の 中で印象に残った歌とその感想を書きます。 なお、本感想は、選考者の評の言葉や読みにステレオタイプ的に 感じるところがあり、作品の魅力を削ぐような特定の方向に固定してしまうのではないかと思い、その点を自分の中で解消したいと思ったことがきっかけとなります。 全五十首と選考委員の評は『短歌』2021年11月号を読んでください。 ##########################################

          角川短歌賞佳作 『対岸』魚谷真梨子 作を読む

          『みじかい髪も長い髪も炎』 平岡直子/著 を読む

          印象的な言葉の組み合わせからのイメージがリズムをつくる。 繰り返し歌を読むうちにイメージのリズムがリフレンして妄想のように 読みが膨張していく。 以下に歌集の中から好きな歌10首を選んだ。 ※かぎかっこは章の題名 「東京に素直」 メリー・ゴー・ロマンに死ねる人たちが命乞いするところを見たい  p9 ”メリー・ゴー・ロマン”は造語か。”メリーゴーランド”ならわかるのだが。 ロマンチックな陶酔の中にいる人たちがその対極にある「命乞い」というみじめさをするとこ

          『みじかい髪も長い髪も炎』 平岡直子/著 を読む

          『虹を見つける達人』逢坂みずき/著 を読む

          編年体で作られた歌集であろう。 解説にもあるがみずみずしさを感じるまぶしい歌集である。 そのまぶしさはうたわれている景や心が人の生きる中で、 たぶん、一番、変化の激しい時間だからであろう。 その瞬間を切り取った歌が魅力的である。 好きな歌がたくさんあった。 その中でさらに一首ずつで印象に残った歌の感想を書く。 「だれにでもやさしくできるおとなになる」ときどき封筒より出して読む  P12 この歌はいくつかの歌が連作のようにつながっている最後の歌である。 他の歌「だれにでも

          『虹を見つける達人』逢坂みずき/著 を読む

          『SOUR MASH』 谷川由里子/著を読む

          装丁がかっこいい。CDジャケットのよう。あるいは英米文学の詩集。本フェチ的な心にはぐっとくる。 一人称だけど(いわゆる)私性の重たさがないのがよい。だから、どのページを開いても歌のことばに入ることができる。そうして読み進めるうちに素敵になってくる。 ずっと月みてるとまるで月になる ドゥッカ・ドゥ・ドゥ・ドゥッカ・ドゥ・ドゥ  p4 この歌が歌集の一首目。 上句は月のことしか言っていない。ずっととはどれくらいずっとなのか ひと晩中のずっと?なぜ月をそんなに見ている?月にな

          『SOUR MASH』 谷川由里子/著を読む

          『僕は行くよ』土岐友浩/著 を読む

          たくさんの付箋を貼った歌の中からさらに好きな(というか今の気持ちに合う)歌を選んだ。個人的な好みで読んだ感想として受け取ってほしい。 いないのにあなたはそこに立っているあじさい園に日傘を差して  p12 いない人を想う。想えばその人は見える。 記憶からにじみ出るような景としあじさい園と日傘の人がいる 死んだ人は歩けなくても見ることはできるだろうか水無月の水  p18 実体(としての足)がなくても見るということは光を受容すること。   だから魂なら見られるかもしれない。

          『僕は行くよ』土岐友浩/著 を読む

          『かぶとをかぶる』

          ー第11回塔新人賞候補作ー ここからは遠くの町へゆく駅のホームにわれと幾人か待つ われひとりボックス席に座りゐて蒼い光は窓より入る あの山に五歳の夏を迷ひたりそれからずつと夏に迷ひぬ アーケード屋根の名残りを見上げつつ商店街の夏影の下 街道の標識に大本山の名は記さるる。まつすぐにゆく 坂道をゆつたり昇りゆきたれば夏の光は沁みるからだへ 本山の池に二艘の舟浮かびそのどちらかにわれは隠れし 吾の前をスーツの男歩きをり小さき町の家々で売る 風吹きし後のごとくに家はなくただ一本の櫟

          『かぶとをかぶる』

          『記憶の椅子』中津昌子/著 を読む

          緑の表紙に薄く白い半透明なカバーが掛けられている。 この歌集のつくりそのものが歌集の題を表すよう。歌の言葉が違う時間や空間に連れて行ってくれる。以下に感想を書く。 もうそこまで青い闇が来ているのに風景を太く橋が横切る  p12 夕暮れどき。 「青い闇」が不可侵な時間と空間なら「横切る橋」は 現実に存在する人工物。けれど、この時間は橋はまるで人の手から 離れて「青い闇」と響きあうように存在する。 「のに」という接続で現実と異界のはざまがあらわれてくる。 「太く」が効いている

          『記憶の椅子』中津昌子/著 を読む

          『バックヤード』魚村晋太郎 第三歌集を読む

          魚村晋太郎氏の第三歌集『バックヤード』について 以下にわたしの好きな歌の感想を書く。 十首にしたかったのだがおさまりきらなかった。 手元の歌集にはもっと多くの付箋を貼ってある。 魚村氏の歌は言葉のイメージが強力で読み手の心が引き寄せられていく。 まるで引力のように。 あたまのなかにながいしづかな廊下があるコンコースゆくはるの深更  p6 目を閉じて歌の景を思い浮かべるうちに自分の中へ降りてゆくよう。 気がつけば読んでいるわたしも「ながいしづかな廊下」に立っている。 結句の

          『バックヤード』魚村晋太郎 第三歌集を読む

          塔3月号 新樹集 大森静佳さんの歌を読む

          昨日(2021/3/27)の塔の「百葉集・新樹集を読む会」で大森静佳さんの  歌が話題になった。 昨日の議論を経て、なんとなくの感覚で味わうだけではなく言葉に定着させたいと考えた。そうすることで、さらに理解や読みを深めたい。 以下に大森さんの歌を読んでの感想を書く。 寝室の埃を見つめているうちに寄り目になった、みたいな秋だ 昨日の会での議論となった歌。 歌にあらわれる身体の時間性と作中主体そのものが秋になっていくようなその感覚がとても面白い。 寄り目になるのは微視的に対象

          塔3月号 新樹集 大森静佳さんの歌を読む

          『広い世界と2や8や7』永井祐 を読んで。

           歌集を読み終えて、ふと見ると、白い表紙に縦に引かれた銀のラインが 光る。手にとって動かすと光は虹のように七色に変化する。  正直に言おう。この歌集の読み方がよくわからなかった。立って読むのか座って読むのか電車で読むのか山で読むのかしばらく僕は座って読んでいたが、わからなくなって部屋の中をぐるぐる歩きまわり読んだ。そうして2回目に読んだときに気になった歌へ付箋を貼っていった。  けれど、よくわかっていない。わからないまま感想を書く。 よれよれにジャケットがなるジャケットでジ

          『広い世界と2や8や7』永井祐 を読んで。