歌集『緑を揺らす』 吉澤ゆう子/著を読む

『緑を揺らす』を読んでいると、傍に作者がいるような、
そんな不思議な気持ちになる。
髪や指や息が近くにあるようになまめいて、
しかし透明な作者がそこにいる。
歌集では自身、父、子、夫、(チェロも人のように歌われる)を歌い、赤きフェラーリ、風鈴、満月、様々なものを歌う。
そして、その観察する眼をとおして作者の心があらわれる。
以下に読んでいて印象に残った歌と感想を書く

・自身をうたう歌
森に火を落としたことがあるやうな吾と思へり草に坐れば p12
ああ光、光この頃まぶしくて光に沿へば歪なわたし p37
身体はさみしい袋ひと知れず入れてこぼしていつも揺れゐる p123
湯上りのみづ湛へたるわが臍にふしぎな闇の滲みてゐたり p199

自身をうたうとき、作者は歌われる自分に影のように寄り添いながら身体や魂までも観察するように見ている。
1首目は火を落としたことがある自分が草に坐るとき、背中には燃えている森があるよう。
4首目の「みづ湛へたるわが臍」というからだに対する把握が官能的。

・チェロのうた
まるつきり弾かずなりたるわがチェロの紅きケースの膨らみて見ゆ p18 
声よりもわがこゑであるチェロを容(い)れハードケースは背に平らなり p170 
触れてゐる膚あたたかきわがチェロの性有るならば男性だらう p172

作者にとってチェロは楽器でありながら自身の分身でもあり、パートナーでもあるよう。
3首目のうたからは読み手にその膚のぬくもりがつたわるように官能的に伝わってくる

・子
鳥がみな行つてしまつた暮れかたに子の掌に載せる胡桃、松の実 p41 
樹の下にこどもの汗は透きとほり何処へも行かぬと約束をせり p49
ゆずレモン少しづつ飲む子の喉にかすかな隆起 三日月ひかる p115
蓬莱の肉まんを買ひ少年は肉まんがわらふような顔せり p117

この歌集には息子の歌が数多くある。歌集の中で子は幼児から少年へ、少年から青年に成長していく。
けれど、やさしく母に見守られる子の成長をうたうだけではない。
なぜかいつかなくなるものへの切なさやさびしさが見えてくる。
1首目の「鳥がみな行ってしまつた」という上句の歌いだし。
2首目の「何処へも行かぬと約束」という、まるで行ってしまうことをあらかじめ知っているかのような約束。
3首目の「喉にかすかな隆起」三日月との響き。
4首目の「肉まんがわらうような顔せり」は楽しい笑顔をうたいながら
作者の記憶にとどめられた景として読者の心に届く

・父、いわうじま、いわうたう
島のこと話しつづけるテーブルにいわうじまとは誰も呼ばない p69
「お父さんはいわうたうで生まれたの」母は幼き吾に言ひゐき p142
いわうとうつてどんなところと訊きしかど「ああ、うん」と言ひつひに黙せり p143
あたらしき地に植ゑられて櫻樹の風景となるまでの歳月 p146

p63からの「いわうじま」の連作と、父、祖父らのすがたが島にかさなる。
かつて島を軍事基地として用いられ(そして今も)、疎開という名のもとに移住し、島に帰ることのなかった父。
景を中心に写実に歌われることで父とそのルーツとしての島の記憶、その喪失が読者の深い場所に届く。
2首目と3首目の歌が父の、自身のルーツへ帰れないかなしみが伝わる。
4首目の櫻を見るのは作者の目であろうか、父の目か。
櫻を見る目がルーツを辿る目に重なる

・夫
針刺しに見えない孔の満ちてゐて結婚二十周年迎ふ p130
皺多き汝(な)が作業着をうけ取りてこすり洗ひせり洗面台に p134
かうもりをさす汝を見たし雲の層なべて隠れて雨降る夕べ p135

子と父は歌集に多く歌われているが、夫は?と思わないでもなかった。
が、「御幸道路」の一連に夫が主役のように登場する。
夫と夫を見る(思う)作者の姿が静かに描かれておりなぜだかほっとする。
1首目 孔の満ちるという表現がうれしい
2首目、3首目に生活に満ちる静けさ、それは愛のかたちだろうか。が伝わってくる

・言葉のユーモア
えんがちよを知らざりし子がえんがちよの意味をしきりに問ひかけてくる 
p54
岡さんはあまりに林さんに似て岡さんの顔を覚えられない p74
やはらかい くすぐつたいよ 満月の今宵葉つぱは邪である p87

数は少ないがこういったいたずらっぽい歌がとてもうれしい。
3首目はそれでいてどこか官能的である。

・その他(好きな歌)
きらめきは一つところに留まりて疾く離れゆく赤きフェラーリ p43
浴室の碁盤洗ひて四半刻古代の巫女のやうに立ちたり p195
さまよふといふにあらねど樹の下にわれは次なる樹を見てをりぬ p204

3首目 この歌集の最後の歌、「さまよふというにあらねど」の意味をそのままとれば、”さまようというのではないが”、となる。しかし、樹の下に次の樹を見ているという。これは作者のこころのすがたであり、求めるようにもう次の言葉であり歌を見ているということであろうか。

読みかえすたびにうたの言葉が深くあらわれる。言葉がとても心地よい歌集であった。(ほかにもたくさん取り上げたい歌、好きな歌があったが掲載しすぎになってしまうのでここまでにした)

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