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ドミニカ移住 #3 : 荷物を置いたらすぐグラウンドへ!


このnoteは、文化人類学や地域研究を学んでいた当時大学3年生(21歳)だった私が、小さいころからの夢だった海外でのフィールドワークを行うため、野球が盛んなドミニカ共和国(以下、ドミニカ)をフィールド地に選び、移住した合計約10か月の記憶を綴ったものです。



Uberの難を逃れて

 思うところは山ほどあったが、トニーさんが追加料金を払ってくれたことで、無事に目的地のペンション(アパート?マンション?)まで到着することができた。このペンションにはトニーさんと2人の野球少年が住んでいる。到着してからしばらくの間はここで居候させてもらえることになっていた。ドミニカに身寄りがない私にとって、ここに住ませてもらえることは本当にありがたかった。一緒に暮らし、毎日助けてくれたトニーさんと、ペンションの借主であるダンさんには感謝しても仕切れない。

建物の周囲には同じ形のペンションが4軒ほど並んでおり、その一体を柵が囲う。入口の門には常に門番が座っている。ドミニカではこうした警備員付きの物件は珍しくないらしい。各部屋の窓やベランダも、外部からの侵入を防ぐように天井から床までが鉄網で覆われている。

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(写真:ある雨の日にベランダから撮った)

トニーさんが住む部屋は最上階の4階にある。玄関を開けると、中にドミニカ人の少年が2人見えた。17歳のウェリントンと14歳のデイビッド。彼らはこのペンションに住み込んで野球の練習をしている。実家に帰るのは土日だけで、月曜日から金曜日の午前中は練習場へ行っているのだという。トニーさんが呼びかけると、少し照れた様子の彼らは「Hola(こんにちは)」と、挨拶をしてくれた。緊張と照れで、彼らより恥ずかしそうな態度をしていたのは、私の方だった。

キャリーケースと大きな荷物を部屋の端に置く。リビング、キッチン、少年たちの寝室、トニーさんの部屋、私が使用する部屋…。一通り部屋の中を案内してもらい、やっと休憩できると思った矢先、トニーさんから一言「で、今からグラウンドに行くけど、行く?」
正直なところ、約40時間の移動がやっと終わり、自分の部屋にたどり着いたところ…今すぐにでもベッドに飛び込みたい気持ちだったが、しかし、せっかくのドミニカ初日、行けるところには行ってしまえ!という勢いだけを動力に、「え!いいんですか!」そう言って、貴重品とペン、そしてフィールドノートをもってすぐに部屋を出た。


OMSA:オンサ

 ペンションをでて目の前にある大通り沿いで、オンサ(OMSA:市内を走る公共バス、定額約30円)を待つ。大通りは海に面していて、見渡せば一体真っ青なカリブ海が広がっている。ついにたどり着いた別世界の景色に見惚れながら、最高の立地だなぁと心底感動する。オンサを待っている間にウェリントンたちと会話を試みるが、話すスピードが速すぎてついていけない。ウェリントンとデイビッドは、スペイン語を理解できない私に少し困った様子を見せたが、しばらくするとキャラを掴まれたのか、ニヤニヤと小馬鹿にするように笑われるようになった。

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Hipódoromo:イポドロモ

 目的地のグラウンドはオンサの終点付近にある。停留所から少し逸れた道のほうへ歩いていくと木々が茂りだし、コンクリートだった地面が赤茶色の土に変わる。

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(写真:オンサ終点からグラウンドへ向かう道のり ある曇りの日に撮影)

こんなにちゃんとした「土」を踏むのはいつぶりだろうか、と考えているうちに、グラウンドの入り口のような場所にたどり着いた。入り口をくぐると右手には競馬場とその駐車場が見え、左手にグラウンドがある。このグラウンドこそが、デイビッドたちが毎日通っている練習場で、現地の人からは「イポドロモ」と呼ばれているらしい。イポドロモとは、右手にある競馬場の名前からとられたものだ。

見渡すと競馬場の周りに人影はなく、グラウンド側には野球をする小さな少年たちの様子が見えた。少年たちはだいたいが8~12歳ぐらいと思われ、ウェリントンとデイビッドとは明らかに体格差があるが、そんなことは気にせずに二人は荷物を降ろしグローブをもって彼らの輪の中に入っていった。トニーさん曰く、いつもなら彼ら二人は午前中に練習へ行くのだが、この日は私の到着に合わせてトニーさんが空港へ来なくてはならなかったために練習を午後にしてくれていたのだという。

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 トニーさんは私を、少年たちのコーチである男性の元へ連れて行ってくれた。彼の名前はメージョ。この小さい子たちのコーチで、毎日ここで練習しているため、トニーさんやデイビッドたちのこともよく知る関係らしい。後からわかるが、彼の兄ニコラスが本来ウェリントンたちを午前中に指導している人物であり、イポドロモのボスなのだという。

 挨拶を終えると5~10人ぐらいの少年たちが私の周りに集まってきた。アジア人の女性がなぜこんなところにいるのか、珍しいと思ったのだろう。彼らが話す言葉も私にはまだほとんど理解することができず、流ちょうな会話は成立しなかったが、「これはなに?」「ガコ(ヘルメット)」、「これは?」「グアンテ(グローブ)」、「じゃあこれは?」「ペロータ(ボール)」…と、目に留まった物(特に野球用品)の名前を彼らに教えてもらった。

___________________________________________________________________2018.5.23 wed




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