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【七十二候】霞始めて靆く【第五侯】

さて、二十四節気「雨水」に入ってから、

少しずつ春を実感し始めてきた頃かと思います。

今日からは「次候」に移り変わって参ります♪(^ ^)

「霞始めて靆く」(かすみはじめてたなびく)

春霞がたなびき、山野の情景に趣が加わるころ。
遠くかすかな眺めが、ほのかに現れては消える移ろいの季節。
(新暦では、およそ2月24日〜28日ごろ)

『日本の七十二候を楽しむー旧暦のある暮らしー』より

「靆く」(たなびく)は僕でも初見では読めませんでしたが、

「霞」(かすみ)は何とか読めるでしょうか?

「霧」(きり)と漢字も意味も混ぜこぜになってしまう恐れはありますね。^^;

霞と霧
薄ぼんやりとたなびく霞と、目の前に深くたちこめる霧。春には霞といい、秋には霧と呼び分けます。気象学では視程一キロ以下のものが霧、それより薄いものが霞。「たちのぼる」は霧には使いますが霞には使わず「たなびく」はその逆です。なんとなく違いはわかっても区別するのが難しいのが霞と霧。そして夜には霞といわず、朧(おぼろ)と。

同上

「春」といえば「霞」

「秋」といえば「霧」

と覚えてきましょう♪(^ ^)

『古今和歌集』春歌上・下より

以前にも『古今和歌集』より和歌を何首か取り上げました。

今回の「霞」に関する和歌も何首か取り上げて参ります!m(_ _)m

   題しらず               在原行平朝臣
春のきる霞の衣 ぬきをうすみ 山かぜにこそみだるべらなれ

『古今和歌集』春歌上 22番

「春が霞の衣を着る」と人間に擬えた表現ですね(オシャレ♪)。

「ぬきをうすみ」とは「横糸が薄いので」の意味。

※「〜を…み」=「〜が…ので」


「風が吹くと、霞の衣が乱れてしまうようだ」と詠んだ歌でした。


 題しらず               読み人しらず
春霞たなびく山のさくら花 うつろはむとや 色かはり行く

『古今和歌集』春歌下 69番

「霞」が「山桜」とともに詠まれる歌も多くあり、

この歌からは「桜が散る」季節まで「霞たなびく」様子が伺えます。

  春のうたとてよめる       よしむねのむねさだ
花の色は霞にこめて見せずとも 香だにぬすめ 春の山かぜ

『古今和歌集』春歌下 91番

「桜」にちなんだもう一首をご紹介♪(^ ^)

「色」すなわち「視覚」では「霞」に隠れて見えないけれども、

「香」すなわち「嗅覚」では「山かぜ」に乗せて「盗み出して」ほしい。


当時の日本人の五官感覚の鋭敏さとともに、

自然の風物をまるで人間と同じように捉えてコミュニケーションしていた

そんな様子が読み取れる思いがいたします。^ ^


「春立てる霞の空に 白河の関越えんと…」


ところで、「霞」と聞いてまず思い浮かんだのは、このフレーズ。

「春」は「出会い」と「別れ」、

そして「旅立ち」の季節でもありますよね。

月日は百代(はくたい)の過客(かかく)にして、行きかふ年もまた旅人なり。
船の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、
日々旅にして旅を栖(すみか)とす。
古人も多く旅に死せるあり。
予も、いづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、
漂泊の思ひやまず、海浜(かいひん)にさすらへ、
去年(こぞ)の秋、江上(こうしょう)の破屋(はおく)に蜘蛛の古巣を払ひて、
やや年も暮れ、
春立てる霞の空に、白河の関越えんと、
そぞろ神のものにつきて心を狂はせ、
道祖神の招きにあひて取るもの手につかず、
股引(ももひき)の破れをつづり、笠の緒つけかへて、三里に灸すうるより、
松島の月まづ心にかかりて、
住めるかたは人に譲り、杉風(さんぷう)が別墅(べっしょ)に移るに、

草の戸も住み替はる代ぞ雛の家

表八句を庵(いほり)の柱に掛け置く。

『おくのほそ道』序文

松尾芭蕉の有名な「おくのほそ道」の冒頭の一節です。

細かな意味は置いておいて、

声に出して唱えるのにもってこいのリズムを湛えた名文だと感じます。


「霞」と聞いてすぐに脳内再生されてしまったのもリズムゆえでしょう。


あと、2008年W杯にて突如引退を決断された中田英寿選手が

「人生とは旅である」

といわれた記憶も一緒に蘇るわけです。


言葉や音に記憶が紐づく証拠も改めて確認できました♪( ^ω^ )


「新たなる旅立ちの春」に向け、準備を整えて参りましょう!!

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