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【七十二候】土脈潤い起こる【第四候】

二十四節気「雨水」に突入!!


さて、季節の変わり目の今日は見事な「雨模様」でした!

季節の学びをしている最中だと、

たとえ雨でも仄かな楽しみを覚えるようになりました!(^ ^)

「雨水」とは、降る雪が雨へと変わり、水が解け出すころのこと。昔からこの季節は農耕の準備をはじめる目安とされてきました。

『日本の七十二候を楽しむー旧暦のある暮らしー』より

本格的な冬が過ぎ、

春の支度を始める頃ということですね〜!!


「土脈潤い起こる」(つちのしょううるおいおこる)


さて、続いては【七十二候】の「初候」について見ていきましょう。

早春の暖かな雨が降り注ぎ、大地がうるおいめざめるころ。
古くは「獺魚(かわうそうお)を祭る」という不思議な季節とされていました。
(新暦では、およそ二月十九日〜二十三日ごろ)

同上

「獺魚を祭る」についても、続けて引用させていただきます。m(_ _)m

中国古代の天文学による七十二候では、雨水の初候は獺祭魚でした。
獺は魚をよく捕えるものの、魚を岸に並べた後なかなか食べようとしません。それが祭の供え物のように見えたことから、獺が先祖の祭をしているといって、この季節の名が生まれたそうです。

同上

自然の中で生きる動物の習性を、

人間の暮らしに擬えてみていた古代人の感性を思い知ることができます。^ ^

「雨」と聞いて、何を思い浮かべますか?


【第二候】の記事においては、

「鶯」(うぐいす)に関連する和歌を『古今集』よりいくつか紹介しました。


今回は「早春の暖かな雨」にちなみまして、

「雨」にまつわる一考察をお届けいたします。

都に雨の降るごとく
わが心にも涙ふる。
心の底ににじみいる
このわびしさは何ならむ。

大地に屋根に降りしきる
雨のひびきのしめやかさ。
うらさびわたる心には
おお 雨の音 雨の歌。

悲しみうれふるこの心
いはれもなくて涙ふる
うらみの思ひあらばこそ
ゆゑだもあらぬこのなげき。

恋も憎みもあらずして
いかなるゆゑにわが心
かくも悩むか知らぬこそ
悩みのうちのなやみなれ。

「ヴェルレーヌ訳詩集」より 鈴木信太郎 訳

いつもと調子を変えて、フランスの印象派の代表的詩人の作品をご紹介。

七五調に整えて訳されており日本的なリズムを備えているものの、

「雨」について「悲しみ」「嘆き」といったマイナスイメージが漂います。


この点に関して、岡潔先生がこのように考察されています。

岡先生はフランスに留学経験があり、実体験に基づいた考察です。m(_ _)m

例えばフランスは緯度が高いですから夏が愉快である。それで夏は愉快だが、冬は陰惨だという。これは好き嫌いと同じで、夏は好きだが冬は嫌いだというのです。晴れた日は好きだが、雨の日は嫌いだ。こんなふうになる。
日本人はそうではない。日本人は情緒の世界に住んでいるから、四季それぞれ良い。晴れた日、曇った日、雨の日、風の日、みなとりどり趣があって良い。こんなふうで全て良いとする。
もっと違っているのは、感覚ですと、はじめは素晴しい景色だと思っても、二度目はそれ程だとも思わず、三度目は何とも思わない。こうなっていく。感覚は刺激であって、刺激は同じ効果を得るためには、だんだん強くしていかなくてはならなくなります。
ところが情緒ですと、そうではない。
例えば、時雨ですが、大体情緒でなければ時雨の良さはわからないが、時雨のよさがわかり始めると好きになる。聴けば聴くほど、だんんだん良さがわかっていく。そうするとだんだん好きになっていく。そうして、良さがわかり好きになっていってきりがない。

『日本民族の危機』「真我への目覚め」より


「感覚」と「情緒」は違う。

「日本人は情緒の世界に住んでいるから、四季それぞれ良い」

「晴れた日、曇った日、雨の日、風の日、みなとりどり趣があって良い」


今までの記事でも取り上げた復習的な内容も含みますが、


「雨」や「四季」につけて思い出す内容でした。


「四季」どころじゃない「二十四節気」「七十二候」にある

それぞれの「趣」を味わって参りましょう!!(^O^)


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