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「やりたいことが一番だ」

商店街の床屋

小さい頃から高校の途中までの10年ほど、近所の商店街にある床屋さんで髪を切ってもらっていた。当時私の家族は商店街に面したアパートに住んでいて、床屋に限らず商店街でお店を開いている大人のほとんどは家族のようで、地域の繋がりを身近に感じていた。髪を切られている間は居心地が良すぎたのか、必ずと言っていいほど寝ていた。また小さい頃の私は長髪に伸ばし、よく女の子に間違えられたものだが、小学校に上がる前には髪を切らざるを得ないことから、家族以外の誰かに切ってもらうことになったのだと思う。通わなくなった理由は年齢で上がる金額設定にあり、高校生になった息子の散髪に6000円も使わせるわけにはいかなかっただろうし、子供心にそれまでよくそこに通わせてくれたものだと思っているが、それまでの感謝というか何がしかの言うべき言葉を伝えられなかったことを少し後悔している。以降行くことになった、現在では一般的な1000円台で散髪する企業が増えたのも、同じ時期だったと記憶している。顔剃りが懐かしい。


高校時代の友人

就職してから数カ月はまだホームシックというか、よく実家に帰ったりしていた時期に、地元で美容師になった友人に髪を切ってもらいに行った。国道沿いの住宅街にある小さな店には店長の方とアシスタントである友人ともうひとり居て、木の温もりを感じさせるお洒落な外観には大きく店名が掲げてあった。平仮名で「ちょんまげ」。専門店だったとしたら今ならもっと違う流行り方をしたかも知れない。注文すればやってくれたかも知れないが。高校時代から車やバイク、ギターが好きで、飄々としながらも勉強を熟していた彼が美容師になると言ったとき、手放しで応援する人は周囲の人間に多くは居なかっただろう。それが何であれ、やりたいことをちゃんと言える友人が私は羨ましかった。私はいわゆる髪を切り始めるための実験台だったかも知れないが、切り終えた後鏡に笑顔で映る私と友人を見ることになっただけでも、お金を払うだけの価値はあったと思う。現在も私以外にも多くの友人が彼のところで髪を切ってもらっている。独り立ちをし家庭を持てたんだから、実験台としても友人としても誇らしい。


兄と呼べる人

就職が落ち着いてから現在まで13年以上、同じ美容師の方に切ってもらっている。気づけば商店街の床屋以上の付き合いになったその方は私にとっては兄のような存在。10代だった私は30代になってしまうほどのため、お店に伺うたびその付き合いの長さを話題に笑ってしまう。好きなテレビやファッションに自転車、恋愛に税金にお酒に至るまで色んなことを共有してきた。ショッピングモールに入っていたお店で出会ってから独立された現在、私と同じように長く付き合っている方もおられ、子供から大人、年配の方まで新しいお客様と笑顔で話しているのを見て、やはり私以外にも家族のように心の距離の近い関係になられる方がたくさん居ることが分かり、その人柄にとても尊敬している。会社の先輩に勧められるままにショッピングモールに入っていたお店に行きはじめたのだが最初から担当だったわけでなく、通い始めて数回目に担当いただいたことが最初の出会い。友人ではない美容師の方とお話ししたのも、床屋ではない美容室というものも初めて関わるものでかなり緊張していた。実際に真面目に向き合いよく笑う兄をはじめとして、お客さんの目線で接客する美容師の方々の姿は、地元の美容師の友人と同じように素朴な優しさを感じさせた。


大切にされていることは

兄がお店を移動すると聞いたとき、移動先がどこなのか直ぐ聞いたと思う。色んな髪型に変身させてもらってきたその充足感を、兄以外の方から得られるとは思えなかった。現在のお店で聞いたことがある。自身の容姿を指してこの顔立ちだから、この髪質だから、本当にやってみたい髪型はできないのかなとインターネットで見た髪型に関する記事を見て尋ねた私に兄は言う。






自分自身が
やりたいことが一番だ






やってみたい髪型をやってみてから、やっぱり良かった、思ったより良かったとか、合わないかもとかを自分で感じてほしい。自分自身がやりたいことが一番だ。やる前に諦めてしまったり、美容師がお客さんの考えを狭めすぎるのは勿体ない、と。合わないかも気持ちが変わってしまう前に軌道修正できるような接客することは勿論として、自身の仕事に自信と優しさが詰まっている。美容師によって様々だろうが、その方向性を決めるために寄り添う、他人の人生に瞬間的に関わる仕事。満足させ続けなければいけない勝負をしているようで、私が考えられないほどの熱量を毎日生み出しているから、私のように家族のような関係を作ってこられたのかと思うと、感動してしまう。手に職というのはそういうものなのだろう。お店が変わっても同じ美容師さんについていく、というのは私にとって兄が最初で最後なのだと思えるが、同じような方はいらっしゃるだろうか。

物持ちも人間関係も、時に長くもてている私は幸せ者だと思える。