ダメ男を好きになってしまった女性は、それでも美しい ~太宰治の斜陽から~

 私の勤め先は支社である。そもそも私は、支社採用なのだ。しかし、我が社は、「若いうちに東京の本社に2年ほど勤務する」という方針を採っており、私も本社勤務を経験している。

 同じ支社採用の後輩女性も、この方針に従い、以前本社へと異動になった。2年満了後の希望を聞くと、支社に帰りたがらない。聞くと、東京で彼氏ができて、結婚を考えているが、彼氏からは「地方に転勤になれば別れる。」と言われているらしい。しかし、人事課は、「2年で帰るのは当初から決まっていること。結婚したなら配慮の余地はあるが、交際レベルでは話にならない。」と考えているようだ。

 まあ、人事のことはどうでもいい。私が気になったのはこの後輩の彼氏のことで、「地方に転勤になれば別れる。」というのはなんとも冷たいではないか。もし自分がその彼氏で、後輩のことを愛していれば、「あなたと離れてしまうのはつらいので、いい機会だから結婚しよう。」と言う。この彼氏は後輩のことを愛していない。または、ここぞというときに結婚に踏み切れない優柔不断男である。何にせよ、私はこういう男は好かない。

 私は何でも思ったことを口にするので、後輩に「おせっかいだと分かっているけど、個人的にその男は結婚相手としてはどうかと思うよ。」と伝えた。後輩はしっかりした人なので、なにもそんな冷たい男に一生を捧げることはないと思ったのだ。結婚後に待ち受ける数々の苦難を共に乗り越えられるとは到底思えない。

 しかし、後輩はこう言う。「友達みんなにもやめたほうがいいと言われるし、自分もそれをよく分かっている。それでも、彼は自分の考える理想に一番近い人なんです。」と。よくある話である。人間、惚れたら負けなのだ。この話を聞いたとき、正直、後輩のことを愚かだと思った。

 そんな事があった後、太宰治の「斜陽」を読んだ。太宰治は、以前「人間失格」を読んだが、読後感の悪さに二度と太宰治を読まないと誓ったほど避けていたが、斜陽はかなり自分好みだった。

 話は、戦後、没落しつつある貴族の娘である「かず子」を中心にして描かれる。前半は、娘に依存しがちな母との生活が描かれ、途中でヤク中の弟が戦争から帰ってくる。生活が徐々に苦しくなっていく中で、家族との人間関係もしんどい感じとなり、鬱屈とした状況の中、かず子は自分の本心に向き合う。実は、かず子は、弟の師匠である作家の上原(既婚)に恋をしていた。初めは社会的な倫理観のもと恋心を抑えていたが、想いが強まっていく中で、

人間は、恋と革命のために生まれて来たのだ。


と確信するに至る。そして、上原との間に子を授かり、

 これまでの第一回戦では、古い道徳をわずかながら押しのけ得たと思っています。そうして、こんどは、生れる子と共に、第二回戦、第三回戦をたたかうつもりでいるのです。こいしいひとの子を生み、育てる事が、私の道徳革命の完成なのでございます。

と、ひとり子を育て、社会の道徳に立ち向かい続けることを宣言して終わる。

 よく知らないが、上原はおそらく太宰本人であるし、かず子はなんとも都合のいい女である。これはいわば、太宰のポジショントークのような作品だ。

 しかし、私は、かず子の、「自らの恋を成就させるためであれば、世間がなんと言おうとも戦い続ける」という意志の力強さを、心から美しいと感じる。私は、人の意志の強さを描いた作品にめっぽう弱いのだ。そういえば、座右の銘は「自ら反みて縮くんば、千万人と雖も、吾往かん。」であった。もっとも、この作品は女の人が読めばまた随分違った感想を持つのだろうと思うが…。

 さて、ここで後輩の話に戻りたい。当初私は、「友達みんなにもやめたほうがいいと言われるし、自分もそれをよく分かっている。それでも、彼は自分の考える理想に一番近い人なのです。」という後輩のことを愚かだと思った。しかし、この想いというものはかず子の思想に似ていないだろうか。

 もちろん、「既婚者との間に子を授かる」というような不道徳さはない。しかし、世間からとやかく言われがちな相手である点は一緒である。そして、周りがなんと言おうと、自分の恋心を成就させようとする意志は全く同じである。

 この事に気づいた瞬間、私は後輩の考えを「愚か」とは思わず、心から「美しい」と思うようになった。彼女もまた、恋と革命のために生きているのだ。

 文学というものは、我々に美しさのものさしを与えてくれるものであると実感した。その後、結局、後輩は支社に強制送還となった。彼女の恋と革命はどうなるのか。こっそり応援していきたい。また、このnoteが、世間からとやかく言われる恋をしている女性の励みになることを強く願う。

(以上)

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