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詩を毎日書くことができない理由
詩を毎日、投稿しようと思っていたのに日々の生活の波に流されて、あっという間に更新し忘れていた。
21日続くと習慣になるというらしいがその21日続くというのが大変だ。
詩は好きで好きで大好きなのだが、なんとも扱いが難しい。
意識をしっかり詩に向けてあげなければ、いつのまにか詩は私の目の前から消える。静かにそっと。また戻ってくれるのだけれど、なかなか戻ってくれないときもある。戻ってきたとしても雰囲気が全然変わってて、さて、どうしたいいものやらと思う。新しい詩との格闘ー、とまではいかないがある程度のストレッチが必要になる。
毎日続けることが大切だ。ストレッチだって毎日続ければ、いつの間にか足の先が頭につくという奇跡的なことが起こるかもしれない。今はまだ膝小僧くらいしか頭にくっかなくても(いや、それもできないけれど)いつかきっと。
詩を書いては書いては中断ーということがよくある。これはずっと私の個人的な課題である。(もっと大きな個人的課題はたくさんあるが、それはさておき)詩を書くのが好きで、とてもスラスラ書ける時期が到来していてもある日、気づいたら書いていないということが多い。
冒頭に「日々の生活の波に流されて」と書いたが、この「生活の波」というのがポイントだと思う。少しでもその「生活の波」が荒ぶると、詩を書かなくなる。詩を書けなくなる。具体的には、雨が長引くのに洗濯機が壊れたり、隣家の家が吠え続けていたり、理由はわからないけど咳が止まらない、とかそういったことだ。日々の些細なことだって積もっていけば、それは立派な「生活の波」となる。私の意識はその「生活の波」をやり過ごすことに向いて、いつのまにか詩を書くという行為がするりと抜けていってしまう。
詩を書け続けるには、ある程度、「煩わされることのない」生活が続くことが条件であるかのように思われる。
または全くの逆で
寒暖激しい極限状態の中 衣食住金に困りまくり 愛に飢えまくり
といった「煩わされまくり」な状態が続けば、詩を書き続けることができるのかもしれない。そのようななかで素晴らしい詩を生み出した偉大な詩人はたくさんいるのだし。
つまり、私が詩を書き続けれない理由は、「ほどほどに煩わされる」暮らしをしている人間だからだろうか。
ここまで書いたが読んでみると、詩を毎日書けなかった長い長い言い訳のようであって、ちょっと恥ずかしい。
まあ、いいか。人間だから、永遠に「煩わされることのない」生活が続くことも、「煩わされまくり」な生活が続くことはないだろう。多分、人生で一番長いのは「ほどほどに煩わされる」時間だ。そのなかで、いかに詩を書き続けるか。
これからも私の個人的な課題である。
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