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なまりは水面をゆく。

公園まで犬にエサをやりに行くんだけど、君も来るかい?

高校二年の、八月のおわり。
部屋の片づけをしていたところへホストファザーがやってきて、そう尋ねた。

イギリスへの留学はホームステイも兼ねていた。私の受け入れ先はなかなか決まらず、七月なかばから寮で研修を受けながら不安まじりにそわそわしていたから、中部にある若い夫婦と赤ちゃんの家庭に行くことになったと正式な通知を受けたときは、とにかくほっとしたものだった。
街のにぎわいからだいぶ離れたところにある、典型的な住宅区域。そのうちのひとつが、一年間の仮の家となった。聞いていた通りにホストペアレンツはとても若く、まだ二十代前半だったのではないかと思う。一歳になったばかりの坊やがよちよちと愛らしく歓迎してくれた。

公園の話が出たのは、その家に到着して三日ほどしか経っていなかったころだった。そして三日後には学校が始まる。
まだ私はイギリスの家庭に慣れていなかったが、それはお互いさまだったろう。
だから、ホストファザーのお誘いに喜んで乗った。
内心、イギリスでは犬にエサをあげるためにわざわざ出かけるのかと新鮮な気持ちで驚きながら。
その家には犬がいないし、犬が好きでも何かの理由で飼えない人たちが集まったりするのかも、などと頭の中だけで想像を巡らせながら。

もちろん、若いホストマザーも、坊やもいっしょだった。
ホストファザーの運転する車に乗っている間、私は後部座席のベビーシートの横で坊やの淡い金髪を撫でたり、いないいないばあのようなことをして何とかその家の一員になろうとしていた。そのせいか、外の景色を眺める余裕などなく、思い出にもない。

「着いたよ」

当たり前のように路上にとまった車から降りて、坊やをベビーカーに移すホストマザーを手伝い、その公園へと足を踏み入れた。

青々とした芝生に、木のベンチ。
遊具らしきものは何もなかったが、中央に大きな池があった。珍しく良く晴れた陽の光を浴びてきらきらと輝いていた。犬はどこにも見あたらない。
あれ、と思っている間に、のんびりと、でも、まっすぐに進んでいくホストファミリー。池へ向かって。
その後をおとなしくついていったら、ふとホストファザーが立ち止まって振り返った。はい、これ君のぶん、そう手渡されたのは、パンくずの入った袋だった。
ようやく、うっすらと察した。

「ほうら坊や、ごらん。かわいいねえ、犬」

池のほとり、夫婦で声をそろえて笑いつつ、彼らは袋からパンくずを取り出しては気前よく放っていく。池の中へ。があがあと、集まってくる。あひるたちが。
パンをめぐってあひるの群はしばし闘争の様相を呈したものの、促されるままに私もパンくずを投げ入れると、何匹かが寄ってきて密集は崩れた。
があがあ。があがあ。
首をもたげて水面にくちばしをつっこむあひるたちを見おろしたとき、ついに私は確信した。

not dog.
DUCK.



中部なまり。
それを経験したのは、記憶にある限り、その日がはじめてだった。
研修中は南部にいてきれいなクイーンズ・イングリッシュを話す人たちばかりだったし、一度だけ、オリエンテーリングで留学事務所でもボスに近い地位にある方のスピーチを聞く機会があったが、東部なまりはすごいということしかわからなかった。たいして英語を理解できているわけでもないとはいえ、東部のアクセントは確かに強烈だった。

それに比べたら中部なまりなんて恐るるに足らず。

正確には、何もかもがめまぐるしく変わっていく日々のなかで、方言のことまで気がまわってなんていなかったのだ。
このあひるの日まで。

duck の発音はイングランド東部では「ダック」ではない。「ドック」。
ドッグでもないが、ダックでもない。
dog は「ドッグ」だが、私の耳には duck の「ドック」とほぼ同じに聞こえた。

せめて前後の文脈からして違和感でもあればまだ疑念の余地もあっただろうけど、「公園にエサをあげに行く」ということなら、犬でも通用してしまったのが惜しいところ。
そこは私が「イギリスって犬に会いに公園に行くものなんですか?私は猫が好きなんですけど猫はどうですか?」と聞くなりしてコミュニケーションをとれば笑い話にもなったろうに、まだまだ私は緊張や萎縮がまさっていてその段階ではなかったのだ。



それから数日後、初登校から帰ってきたとたん、お若いホストマザーが妊娠していることを告げられ、翌週には慌ただしく荷物をまとめてその家を去ることになった。
しばらくエリアマネージャーのところでお世話になったのち、ミステリ好きのホストマザーとビール好きのホストファザーの家へと招かれたのは、十月のあたまごろ。

そろそろ私もイングランド東部の暮らしや英語に慣れてきていたので、何か疑問に思うと気がねせず質問することができるようになっていた。

たとえば、恐らく当時すでに五十代だったホストマザーは、偏頭痛 migraine を「マイグレイン」ではなく「ミグレーネ」と発音する。
しかし、ファザーは「マイグレイン」と、そのままに言う。
ホストマザーに聞いてみたら、「東部なまりでもフランスなまりでもなく、私なまりよ」とのことだった。
実際その通りで、migraine を「ミグレーネ」と発する人には、ホストマザーのほか、私は会ったことがない。

他の東部なまりの例としては、カエル frog がある。
「フロッグ」ではなく「フラッグ」。
旗 flag も「フラッグ」だが、r と l の違いやシチュエーションでだいたい判断はつけられた。

あとはもうおぼえていない。
でも、帰国してからもしばらくは東部なまりが残っていたようで、日本にいるイギリス人と会話をするたび「ミッドランドにいた?」とすっかりお見通しになっていた。



思えばホームステイだって引っ越しみたいなものだったよなあ。
そんなことを考えながら、夕方、アマゾンから届いたばかりのあひるをつついていた。お風呂の準備中。ふと思い立って、昨日、バスタイムのお供を注文したのだった。

検索バーに「お風呂 ひよこ」と打ち込んだらあひるが列挙されたときの驚きようときたら、あの日の「犬じゃない」と実に良い勝負だった。

これまでの人生でなぜだかずっと、お風呂に浮かべるあれを、私はひよこだと信じきって疑わずにいたらしい。
ところで「ひよこ」って英語で何て言うのだろうと調べたみた。chick か baby chicken だそうだ。意外と知らないものだというべきか、そんなことも知らないと恥じいるべきか、どちらなのだろう。

英会話、またやりたいな。
去年、かたくなにさびついてしまった英語力をオイルまみれにしようと模索してみたが、スクールやサロンは今はコロナの影響もあってオンラインが主流だそうだ。さまざまなコースのそのお値段が高いものなのか相場なのか、ちょっとまだ判じがたい。
でも、英会話への再挑戦は、漠然としつつも今年の目標のひとつである。

月曜日から気を引き締めて動いた結果、部屋もずいぶん片づいた。たぶん週末あたりに、「引っ越し」は、ようやっと終わりそうな気配がする。
けっきょく一ヶ月かかってしまったけれども、だから、この「ドック」は自分へのごほうびだ。

あたたかいお風呂に、あひるのつがいをぽいっと浮かべた。
ゆらゆらと揺れて、あっちを向いたり、こっちをふりかえったり。
若かったころはBODYSHOPやLUSHのバスグッズに凝ったものだったけれど、今はこれぐらいで充分に満たされる。

「お風呂はいのちの洗濯ね」って、英語でどう表現するんだろう。

気ままなあひるを眺めながらあれこれ想像していたら頭がぼうっとしてきた。また明日までの課題にしておくことにして、いつの間にかバスタブのはしっこまでたゆたってしまったあひるを捕まえ、お湯からあがった。
今日、なんとか取り付けた突っ張り棒の下。
室内干しができるようにと、踏み台を使って失敗をくりかえしつつ設置したもの。
お風呂のふたを閉め、あひるたちをそこにちょこんと乗せて、さて、ごはん、と私は湯気だけをまといバスルームを後にした。
猫の名前を呼んで、ここにいるよと居場所を伝えながら。




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