はじめてのIT勉強会アドベントカレンダー3日目です。 本日12/3は「国際障害者ディ」になります。と言っても、11月のIT勉強会でも聞いたよと仰る方もおられることでしょう。私がこの日に注目させることを押しつけと感じられる方もおられることでしょう。あらかじめ申しますが、人それぞれ関心事は違います。私も決して押しつけようとは思っていません。そうした点を踏まえた上で記事を書かせていただきました。 自己紹介 一般社団法人イトナブ石巻のPenともうします。 はじめてのIT勉強会
シビックテック&ガブテックアドベントカレンダー3日目です。 自己紹介 私は、Penという名前で仕事をしております。普段は、宮城県石巻市にある一般社団法人イトナブ石巻で、地域とIT、特に障害をお持ちの方向けにWebサービスを作ったり、プログラミングを教えたりしています。ちなみに、なぜ「Pen」と周りから呼ばれるようになったかというと、私自身も身体に障害を抱えており、特に手が重く、コインも掴めない手でキーボード入力をする際に、鉛筆にゴムを巻いた「ペン」をつかって、キーボード
こちらの記事は、Iwate Developer Meetupが主催する「いわてことし2020 Advent Calendar 2020」に記事です。 注記:この記事で指す、アドベントカレンダーとは、QiitaやADVENTARのアドベントカレンダー企画のことを指します。 みなさん!2020年のアドベントカレンダー楽しんでいますか? 関心がある人も、参加されてる人も、見てるだけの人も、全く興味がない人もいて、いいんです。 でもあなたの周りにいませんか?アドベントカレンダ
※こちらの記事は、「CivicTech & GovTech ストーリーズ Advent Calendar 2020 - Qiita」の18日目の記事です。 ・自己紹介 ~ニックネームの由来 ・私のシビックテック活動 ・2020年 石巻トイレマッププロジェクトの活動 ・ダイバーシティーってなんだろう ・最後に 自己紹介 ~ニックネームの由来イトナブ石巻という会社のおります、Penです。 弊社はニックネーム制が導入されていますので、Penという名前でシビックテック活動をして
「はじめてのIT勉強会」アドベントカレンダー7日目の記事です。 皆さんは、友人や知人から何かにチャレンジすることを告げられたときに、どんな反応をしていますか? コロナ禍になって、「私もプログラミングしてみようかな」と「ITに転職しようかな」と話を持ちかけられるかもしれません。こういう時に、あなたはどんな反応をしていますか? チャレンジ精神は育てるもの私はPenというニックネームで仕事をしています。ご存知の方もおられると思いますが、私は生まれつき身体に障害を抱えて生きてい
自分の半生を振り返る理由ep(エピソード)1から7まで、私の半生を振り返ってきた。 「保育園のかけっこ」から「小学校の学級新聞」 中学の「いじめ」 「高校受験の失敗」それで分かった「通信制で学べる自分」 「パソコンが武器」になることが分かりそこから「みお七ヶ浜」で働き、 「東日本大震災」で自分を見つめ直し、そこから「愛さんさん宅食」で働き さらにスキルアップしようと思い「プログラミング教育」をし、「イトナブ石巻」に就職する。(詳しくは、各々のエピソードを是非ご
〜就労支援施設から一般の企業へ イトナブで勉強する日々が始まった石巻ハッカソンのブートキャンプが終わってから、僕は継続的に「イトナブ」で勉強することになった。 日中は、愛さんさん宅食で仕事をし、夜や週末にプログラミングの勉強をしていた。 30代も中盤にはいって、体力も維持していくことも大変だったけど、少しずつ学習を進めていくことを心がけた。 急に何でも覚えられるとは思えなかった。 でも私にとってこれは「たった1度のチャンス」だった。 私は「分
--イトナブ石巻との出会い 忘れられない昼休みがある愛さんさん宅食の就職が決まり、私は就労支援A型のもとで引き続き事務の仕事をすることになった。 愛さんさん宅食での仕事は、これまで以上に学ぶことが多かった。 もちろん失敗することもあったし、小尾さんを含め様々な方にいろんな事を教えていただいた。 それは今でも役にたっている。 それは、きっと「分けられた世界」から少しずつ抜け出している気持ちがしていた。 実は当時、愛さんさん宅食
〜みお七ヶ浜から愛さんさんに転職するときの苦労 「出る」のではなくて「巣立とう」と思ったみお七ヶ浜は、長い期間働いた。 その期間にいろいろな人を見ることができた。 私は、次にステップアップしたいと考えたが、ここで働いてることには感謝していた。 確かにある程度、「分けられた世界」にいるかもしれないけど、この中で、自分が確実に成長できたことは事実であって、それはここで働いたから得られたものである。 私はこのことは、いつまでも忘れないでいようと思い
〜震災で芽生えた「自分が強くあること」 周りの世界が変わった「3.11」 みお七ヶ浜で働くことはとても楽しかった。 もちろん収入においては、とびっきり贅沢はできなくても、自分の欲しいもの、食べたいもの、いきたいところにはいくことができて、それなりに満足して過ごすことができていた。 たぶん私は、この出来事が起こらなければ疑問を持つことがなく、みお七ヶ浜で働いていたと思う。 でも、忘れられないあの日が起きた。 震災時のことを思い出すと、苦
〜みお七ヶ浜で働き始め、仕事の楽しさを知る Windowsとインターネットに出会った 小学校の頃にMS-DOSのパソコンを学校で触ったことが、パソコンに触れるきっかけになるのだが、自分用のパソコンを持ち始めたのは、高校生の頃だった。 Windowsという使いやすいOSが登場し、インターネットという言葉が出回った。 初めてインターネットを知ったときは衝撃を受けた。 これで、いろいろなことができるんだろうなと、ぼんやりだけど描いたりしてみた。
〜10代の葛藤と自分磨きが必要だとわかるまで 「普通」って何だろうか小学校を卒業した私は、普通に中学、高校そしてその次へといけるものだと思っていた。 そもそもその当時から「普通」という言葉に違和感を覚えていただろう。 私は、「分けられた世界」から飛び出ることをいつも望んでいた。 私は、親の熱意もあって、地元の中学校の支援学級に入った。 ゆくゆくは、普通高校への進級を視野に入れていたので、支援学級に所属しながら高校の受験科目の5教科だけ普通学
〜生まれてから小学校で学級新聞を作るまで 「かわいげのない子供だった」 自分の子供時代を振り返るとこの言葉しか出てこない。 私は生まれたときに既に「分けられた世界」にいたのかもしれない 母親の出産生涯によって障害を持ってこの世の中に生まれてきた。 世間では、こう言う者を障害者と定義してるらしい。 子供の頃に痛いほど知らされた現実である。 私は主に身体に障害がある。手と足、言語が不自由である。 もう少し具体的に書いてみると、人よりも運
はじめに 「Pen」という名前でWebエンジニアをしています。 今、宮城県石巻市で多目的トイレの場所や詳細が分かるWebマップを一人で作っています。しかし、作っている途中で1人では厳しいことが分かり、様々なお手伝いが必要になりました。それで、私がこのWebマップに掛ける想いを書いて、共感していただき、もしお手伝いできることがあればお声がけいただければ幸いです。 この記事は、10本程度の連載記事となっています。タイトルがまだ未定の記事もございますが、最後まで読んでいただけ