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ep2 社会のギャップを感じた10代

            〜10代の葛藤と自分磨きが必要だとわかるまで

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「普通」って何だろうか

小学校を卒業した私は、普通に中学、高校そしてその次へといけるものだと思っていた。

そもそもその当時から「普通」という言葉に違和感を覚えていただろう。 

私は、「分けられた世界」から飛び出ることをいつも望んでいた。

私は、親の熱意もあって、地元の中学校の支援学級に入った。

ゆくゆくは、普通高校への進級を視野に入れていたので、支援学級に所属しながら高校の受験科目の5教科だけ普通学級で授業を受ける中学校生活を過ごしていた。

この環境を作ってくれた両親と学校関係には、深く感謝している。

しかし、この方法は当人にも出向いたクラスにもあまり善い影響を及ぼすことはなかった。

やはり、クラスの中に別のクラスから、しかも支援学級から「よそ者」が来ると言うことは難しいことだ。

結果私は、いじめに遭うことになってしまった。

傷がつくほど暴力を受け、俗に言う言葉によるいじめも受けた

困っているときに、クラスの同級生から無視をされた

これは仕方のないことだと思っているが10代の私にとってこれを乗り越えることに苦労した。

一方で私の中には目標があった。「普通高校に入る」この目標に向って勉強に取り組んでいった。

この目標があったからこそ、嫌な事柄も乗り越えることができたと思う。

私は「普通」と言うことに違和感を抱え、「分けられた世界」の中の10代を過ごしていった。

「分けられた世界」へ突き落とされる

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そんな悶々とした中学校時代を過ごしながら、僕は「普通高校」入ることを目標に過ごしていた。

この目標は達成すれば、今の苦しさは見返せるとさえ私は思っていた。

いじめに遭ったり、偏見を感じていても「普通高校」にさえ合格すれば、何もかも解決されると思っていたのである。

しかし、「社会はうまくは行かない」ものである。私は志望していた市内の普通高校に入ることができなかった。

不合格になった理由は、はっきりとは分からない。それは非公開にされている事柄であるので、何で落ちたかは理由は分からない。

実はこの受験の後に定員割れの2次募集の高校にもう一度受験をした。

しかしその高校も落ちてしまったのだ。

学力のレベルを変更して受験をしても同じ答えが提出されたことで、自分は「障害者」と言うことを自覚することになった。

私はこの一連の出来事をこのように理解している。

「障害」があったんで「普通高校」に入れなかった。

「分けられた世界」に突き落とされたのだ

つまり「障害」が有るか無いかですべてが判断され、いくら努力をしても所詮自分は、「障害者」であると言うことを認識させられた一つの出来事になったのである。

「自尊力」でこの世界から這い上がる

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「分けられた世界」に突き落とされてしまった。

普通高校に通うという願いが通じず、私は「通信制高校」に入学することになった。

しかしこの選択は、後々の私に良い影響を及ぼすことになる。

通信高校は、確かに普通の高校とは違っていた。

でも、私はその高校では大勢の生徒の中に1人だった

そこに「分けられた世界」がなかったのである。

さらに、私が入学した通信の高校は「単位制」が導入されていた。

つまり学校が決めた基準、授業時間やレポート回数や定期テストにクリアをすれば単位がもらえて、それを集めていけば卒業できるという単位制が自分にはとても合っていた。

つまり自分のペースで学習できる。そうだ、子供の頃に覚えた得意技が発揮されるのである。

自分はこの高校の制度で「自分」について改めて自信を持つことができた。

「自分のペース」でゆっくり筆記をすれば確実にメモをとれる。

レポートも「自分」のペースで調査してまとめていける。

つまり「自分」は環境さえ整えば勉強できることが分かった。

この高校生活で私は、「自尊力」を身につけることができた。

これは後になって、大きなチャレンジをするときの自信になるのだが、そのチャレンジについては、のちのち書ければと思います。

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