もっとひどい目にあっている人もたくさんいる中、恥ずかしいのですが、家族から受けた言葉、身体的暴力を思い出したので記します。

私は健康で朗らかで、心優しい利発な子供だった。
保育園へ0歳児クラスから通い、2~3歳ころには物心がついていて、そのころの記憶もはっきりとある。

その健康で利発な子供が5歳児ころには周りの目を気にし、自分の厳しい成育環境から、自分は将来他人よりとびぬけた存在になるという選民思想を持つに至っていた。

こんなに厳しく、鉄のように毎日打たれていたらさぞかし強い鋼のような立派な人間に仕上がるに違いない、という思想である。

結果は違った。
13歳で抑うつ状態が慢性化し、15歳ではうつ病の症状が出ていた。
後に21歳で精神科の初診を受けるまでは、たった一人で世界中の緊張と恐怖と戦っていた。
もちろんそんな必要のないことは自明のことである。

初診後に診断名が付いた後も引き続き、父、母、妹、祖母の家族全員から、怠けた結果みじめな生活をしているのだから、成功している人を羨むのはやめろ、努力してから物を言えと言われ続けてきた。

自分自身の過去に対して抱く感情だということを差し引いても、あまりにも哀れである。

家族は、私にはああなりたい、羨ましいという資格もないというのである。
これがどれほどつらかったか。
また、そうか自分が努力していないのが苦しい毎日の原因なのか、と腑に落ちた結果、さらに自らを責め立てることにもつながった。

教育的配慮なのか、家族から施される随分意地の悪いことにも耐えてきた。
私が少しでも快適そうであったり、楽しそうであったりしてはいけないのである。
私は息を殺して毎日を過ごしていた。

それでも、通っていた中学校では体罰は日常茶飯事で、私は先生達からターゲットにされて、毎日のように体罰を受けていた。
両親は私の言うことには耳を傾けず、先生が問題だと思ったんだ、お前が悪いと繰り返すばかり。
時にはそれにとどまらず家庭でもおさらいのように打たれてしまう。

生意気な口をきくな、口答えするな、と母親に羽交い絞めにされて父親に全身を蹴られるのをもう一人の自分が見ている、とそこへ妹の泣き叫ぶ声が聞こえて、妹が自分がされていることに対して泣いている、これは泣いてもいいレベルの出来事なのだな、と恐怖を感じてくれた妹に対してありがたく感じている自分を確認している、というような具合である。
私の胴や脚にできたあざはしばらく消えなかった。

大人になり、親から押さえつけられて殴るけるされることは虐待だと知った後、母に尋ねてみたことがある。

無抵抗の14~15歳の私を押さえつけて父に蹴らせていたのは、脚の悪い父に私が反逆して抵抗したら父がけがをすると思ったんでしょう?と。

答えは違った。そうではない、というのである。
私にそうされるだけの非があったというのである。
そうだったんだ、としか答えられなかった。

さらに母は続けた。「お父さん、そのころは結構脚が動いていたのね!」そうだね、と私は答えた。

生きることをスポーツに例えたら、殺人も犯さず自死もしなかった私は、なかなかすごい選手といえるのではないだろうか。
すごい選手だと思いたい。

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