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生きづらさを愛と光へ!NO.39 弟の50歳の誕生日に思うこと。

昨日は弟の誕生日だった。
50歳の!!
自分も53歳のくせして、50歳になった弟に、50年も生きてきた、生かされてるって、凄いことよね〜って話をした。
私も50歳の時、節目だったと思い返した。
もちろん良い意味で。
あれから3年、振り返るとあっという間。

色んなことを考えて、今年もうちに呼んで、誕生日をお祝いした。

まあ、弟は色んな思いはあっただろうけど、色んなことが毎日忙しい?
忙しいとは思うが、結局はノリにノッているというのか、お祝いの前も、地区の寄り合い、実家の父にご飯を用意して、うちに来た。

ある程度、食べたり飲んだりしたくらいに電話がかかってきて、1時間ほど話し込んでいた。

9時半からは、また別の方と仕事のことで、電話をするということだった。
一つ契約が取れたようで、何というタイミングで、何か凄いなぁと感心するばかりで、置いてかれた感半端ないぞ〜って思う自分がいた。

色々とチラシを作っていたり、口だけではなくて、私の知らないところで、めちゃくちゃ行動しているし、と思って、やっぱりZoomや、人とのコニュニケーションや、日々の学びの積み重ねは大差になると思う。

今日はみちなみに娘は、何日ぶり?
もうめんどくさいから数えてはいないが、学校へ行った。
行くと前日言っていても、次の日に行かなかったことは多々あるので、今日まで疑っていた。
ごめんよ、〇〇(娘)。

今日は行った。
親としても気持ちが違う。
そう思うことも、良いことなのか、悪いことなのか、わからなくなった。

午後からは参観と懇談会がある。
やっぱり、学校に行くべき時間に行ってくれることが、どれだけありがたいことか、と思う。
そして、そのことも決して当たり前ではないのである。

私が日頃送り迎えしている教室は、時間も決まっているし短いので、いくら義母の介護から手が離れ、時間がある身としても、保育園児の送り迎えのようだなとよく思う。

日頃学校に行かない日が多いから、いくら担任の先生と、違う教室の先生とメールや、LINEのやり取りしても、普通に学校に行っている家庭からすると、参観日もよっこらしょと腰が重たい。

結局は行くんですけどね。
おまけに雨なので、気持ちが…てのは、ありますが。

教室への送り迎えは時間が決まっているのもあり、買い物とか、用事がある時は、かなり考えて行ったり来たりをしないといけないが、その教室の手続きをしたのは紛れもなく母親の私である。

送り迎えをしながら、果たして、これって、意味あるの?と、自分自答を繰り返している。

いやいや、あるよ、1人で一日中部屋にこもって動かないよりも、教室の先生も、自身の体験談を面白おかしく話してくださったり、娘の気持ちを否定することはほぼなくて、肯定してくださる、話のわかる本当に良い先生だと私は思うし、娘もきっとそう思っている。
とても子どものことを考えてくださっているのが伝わる。
色んな経験があって、大変なこともたくさんあったのだろうけど、いつもニコニコと接して下さる先生である。
子どもたちからの信頼も厚いし、親御さんからの信頼も厚いと思う。

最近、この梅雨の雰囲気に飲み込まれ、行動もなかなかだったが、弟が帰ってから、何と言うか、いつまででもこんなことやっててもダメだなって、私自身のことを反省した。
やる気ないなとダラダラする時間、それも良いけど、いやいや、と思う。

まだまだ甘えの中、ぬるま湯の中、出来ること、少し勇気のいること、前に進むこと、ひとつひとつで良いし、弟とは、違って良いのだからと、今ではそう思う自分がいる。

一緒に出来ることはやる、出来ないことは出来ません、それで良い。

人間って、誰1人同じ考えの人はいない、動物だって植物だって、何一つ同じものはないと言う。

だから同じでなくて良い、違って良いのである。

雨の日は雨を聴く。
雨の日は雨の日にできることを…

6月に自分のバランスを保つのは大変なことだけれど、今年はそこにチャレンジしている。
それだけでも進歩だと思う。
カウンセリングなしでこの時期を乗り切る先にはきっと何か光がある。
そう信じ、この時期を乗り切りたい。


今日も最後までお読みいただき、心よりありがとうございます^ ^

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