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生きづらさを輝きに!NO.20 吃音症の娘に小学生から現在(中1)まで数々の配慮をしていただいてきて、今思うこと。

4月から中学2年生になる、吃音症症状のある娘は、保育園に通っていた4歳くらいの時から、どうも、話し方が人と少し違うのかな?と母親の私が見ていて、気付いたという感じだった。

娘本人は、自分の話し方がどうのこうのとは思っていなかっただろうが、娘の周りにいる家族が気になったという感じで、保育園の先生方もまだ、吃音に関しては、そこまでの知識はなさそうだった。
私もよくわかっていなかった。
人と違っていて、オープンにはせずに、わからない症状にどうして上手く話せないのだろうと恥ずかしさがあったのが、その当時の正直な気持ちである。
今に思うと、恥ずかしいのは親の方であった。

娘は良く覚えていないみたいだけど、私が仕事に行こうとした時、ちょこちょこ、保育園には行きたくない!と、駄々をこねたことがあった。

確かその時も、時間がないのに、説得するのに一生懸命で、どうにか保育園に行ってくれたということが何度かあったと記憶している。

それと同時に、保育園も、数回休んだ記憶もある。

好きなことは好き!嫌いなことは嫌い!意外にもはっきりしているのだけれど、昨日、中1の娘の発達支援関係の面談の為、学校へ足を運んだ。

担任と副担任の先生と私の3人で話した。
この前の球技大会でドッチビーだったのだけれど、そのはっきりした娘が、ドッチビーは嫌いでやりたくないと、休むと言いだしたが、仲良くしていた卒業生の1人が、ステップアップルームに行っていた為、その日はその教室まで行った。
好きなスポーツはあるが、ドッチビーは本当に嫌いのようである。
何がそんなに嫌いなのかは未だに謎である。

嫌なことも、どこまでだったら出来るのか、球技大会前の授業や、給食には参加したり、結局、球技大会は見学したそうであるが、苦手なことや嫌いなことも、やらないといけないこともあるってことは、先生も教えてくれたようである。

小学生の時から色々と配慮配慮とお願いしてきて、どうにか、小学校の卒業式にも参加できた。

しかし、もう、この4月から中学2年生になる。
考え方ももう、大人への階段を登っているのだから、いつまでも、吃音だからと逃げてばかりはいられないし、配慮をお願いしますとは、親の私もだんだん違うのではないかと思うようになってきた。

その話も昨日先生とも話したのだけれど、慣れた先生や話しやすい先生、吃音を理解してくれている大人や、お友達とはとても楽しそうに話すこともできる。

自分でできると思うことはやってみて、成功体験を積み、自信をつけていく、ということも必要になってくる。

小学生の頃までは、よくわからなかったが、年々娘も私も歳を重ね、いつまでも過去に思っていたような考え方ではいけない。
間違いなく前に進んでいるのである。

国語の丸読みも、先生の配慮から逆に同級生から色々言われたこともあり、今では丸読みもしてるようである。
人は娘が思うほどは、吃音のことを気にはしていないようであるが、娘の方が、人からどう思われているのか気になるのである。
本当は人の心の中は一生わかるはずがないってことに本人が気づく必要がある。

今までは、吃音症状のある娘に配慮し、色々考えて下さつた先生方。
2クラス中、吃音症状があるのは娘1人。
その1人のために、先生の判断で、作文読みも取りやめたこともあった。
これからは娘1人のための配慮ではなく、みんなのために出来ること。
もし、できそうならどんな形で出来るのか、娘も考えて自分にできる成功体験を重ねていくことで、何か先の見通しが少し見えてくるのではないだろうか。

今のところ、普通に高校生になることを夢見ている娘は、もう少し、本人にとっては、吃音に関してのきついことは続くのかもしれない。 

2年生になると、クラス替えもある為、少し、期待している娘である。
今のクラスに、ことごとく、仲の良いお友達がいなかった。
こんなにいないものかと思うくらいスタートラインから本人は、しくじった感があった。
自分からしくじりに行ったわけではないのだけれど…
と言いつつ、今のクラス、楽しいこともたくさんあったようだ。

長男と次男の時にも思い、本人たちにも伝えた言葉。
『小学生、中学生生活を楽しんでほしい』

私が子供の頃できたなかったこと、同じ辛い思いではなく、後で振り返った時、楽しかったと言える中学生生活を残り2年、楽しんでほしいと願っている。


(今日の相田みつをさんの名言)

『柔軟心 やわらかい あたま やわらかい こころ わか竹のような』



今日も最後までお読みいただき、心よりありがとうございます^ ^






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