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スペシャルにカラフル ( #ゆたかさって何だろう )

もう20年も前になるか。
16歳の私は、アメリカの高校の教室の中にいた。
"Child Development "と書かれている黒板を眺める。
配布された時間割の紙をもう一度、広げる。
どうやら私は、今日から子供の発育成長について学ぶらしい。

あと数分でベルは鳴り、担当教師が入ってくるだろう。
チラチラ増えていく生徒達が気になって、私はくるーっと一周、教室内を見回した。

         ∇∇∇

その時、壁に貼られた1枚の模造紙が気になった。

それは、留学を開始したばかりの私にも読める簡単な詩だった。

【 I  Black 】

アイ…ブラック…。
これが題名なのだろう。私は読み始める。

『生まれた時、僕は黒い。成長しても、僕は黒い。太陽の下で、僕は黒い。驚く時も、病気の時も、死ぬ時も、僕は黒い。』

黒人が書いた詩なんだ。
私は読み進める。

『生まれた時、君はピンク。成長して、君は白。太陽の下で、君は赤。風邪をひいて、君は青。…そして死ぬ時、君は灰色だ。』

ジリリリリリとけたたましいベルが鳴り、教師がドタドタと入ってきた。

しかし、私の目は壁紙から剥がれない。
私の心は逃れられない、最後の一文から。


『なのに何で僕のことを色付きと呼ぶの…?』

        ∇∇∇

colored=色がついていること。
有色人種を指す用語として使われている。

作者不明のこの詩には、白人の肌がいかに色んな色に変化するかが書かれていた。
君らの方がよっぽどcoloredですけど…?という怒りのような悲しみのような呆れのような彼の心は一体何色か。
『黄色』とあからさまに呼ばれたことのなかった私は、この詩に出会って、初めて世界の色が歪むのを見た。

教師の自己紹介も、科目の概要も、よく覚えていない。

しかし、この詩だけは20年経った今でも、胸のざわめきを引き連れてぐらぐらと蘇る。

         ∇∇∇

近年、地球は変わってきたという。
多様性を認める風潮になってきているという。

女性でも男性でも無いカテゴリが選択肢に入ってきたり、LGBTという概念が広まったり、寝たきりの人がAIロボを指先だけで遠隔操作し労働する。
ゲイパレードでは虹色が咲き、個性第一と叫ぶ世界は日に日に色を増していく。

その中にいてふと思うのだ。

きっとこの地球は、元々、本来、カラフルな場所だったのかもしれないと。

昔から様々な人種はいたし、同性愛者はいたし、障がい者はいたし、無性愛者はいたし、性同一性障がいはあったし、健常者はいたんだろう。あらゆる宗教があり、あらゆる思想があったんだろう。

マジョリティが権力で、隠さなくてはいけなくて、声に出しちゃいけなくて、世界は単調なモノトーンに塗り固められてしまったんだろう。

そして今、その壁が徐々にバリバリと剥がされ始めたのかもしれない。
血がにじむ思いと、爪が剥がれる思いと共に。


色は飛び出していく。
ずっと閉じ込められていた、はちきれそうな数々の色は、飛び出していく。
そして世界を、ゆたかに彩っていく。

あの詩が、
20年も前に貼られていたこと。
圧倒的に白人の多い学校に貼られていたこと。
子供の発育というクラスの壁に貼られていたこと。

人々の思いは受け継がれてく。
そして後に咲いてくれる。



──ねぇ、黒1色って決めつけないでくれる?


彼の声が聞こえてきそうだ。


──僕はスペシャルにカラフルなんだよ!


ぇえ…! 最後まで読んでくれたんですか! あれまぁ! ありがとうございます!