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80.イタリア移住から10年が経って

最初のうちは記念日のようにして覚えていたのですが、4年経ち5年経ちしていくうちにすっかり忘れていました。
それはイタリア移住を決意して成田空港からローマ・フィウミチーノ空港へ行った日、2013年9月です。


あとから気づいた移住10年目の日

イタリア暮らしとは、カレンダーや時計にしばられない生活と言えるかもしれません。
全体的にその日暮らし、せいぜい向こう1週間ぐらいまでしか考えていないので、曜日感覚はあっても日付感覚が薄いように思います。

そんなわけで、私もその日のことをたしかFacebookの「何年前のその日」というようなリマインダーで気づいた次第です。
ここ数年は毎年そんな感じになっています。

毎年の滞在許可証の更新手続きの気ぜわしさ、不安な気持ちに押されて、どうしてもそのシーズンが1年のうちの一大イベントになってしまっています。
1年ごとのイタリア滞在のための手続きにばかり気を取られて、何年間イタリアに滞在したということにまで思いが及んでいませんでした。
1年ずつ年を重ねて、気づいたら10年経っていたという感じです。

10年目のその日、何をしていたのかと後から記憶をたどってみたら、特別なことは何もしていなくてふだん通り。
家にいて家事をしてSNS発信して、ということをしていました。
今年2回目のレモンの花が咲いたとつぶやき、1日に食べるフルーツの適正量についてブログを書いています。

去年の夏、ベランダで育てていたオクラの花
お客さまも来ないので夏野菜を育てることに精を出していました

移住者としての気持ちの変化

その日を1週間ほど過ぎて、そういえば移住してちょうど10年が過ぎたのだと気づきます。
このとき、自分のなかでちょっとした化学変化のようなものが起こりました。
10年と言えば「10年ひと昔」、自分では移住してまだ6、7年という感覚だったので10年間という時の重みに、ある種の責任感のようなものが芽生え始めたのです。

これまではよそ者気分でどこか中途半端な気持ちがあり、人と接するときもその場限りの旅人のような感覚でした。
先々のことまで考えずに気楽な交流をしているだけだったのです。
それが、地域に根差した生き方、付き合い方へとシフトしたほうが良いのではないかと考えるようになります。

移住者ではあるのですが、地元の人に助けてもらうばかりではなく、これからは役に立つような生き方をしていきたいと思うようになりました。
教会の食堂ボランティアもそうですし、日本からのおひとりさまツアーのサポートにもそんな気持ちが反映されるようになってきています。
日本からいらした方々にはブラッチャーノで楽しんでもらうだけでなく、地元の人との交流を通して思い出深い滞在になればと考えています。

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