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解放のために/エッセー


 バランスを取る。私たちはバランスを取る。仕事でいっぱい頭をつかった後は、まるで口をあけたおばかさんみたくなって、ゆるくなって、ゆるくなって、バランスを取る。疲れた仕事。私たちはたっぷり、頑張ったと思う。そうだよね?休みの日にやすみたい、と思いながらも、私は「私のこと」を進めたかったから。そのためになら、まだまだ頑張れる気もする。

 広がったあとは、縮こまって。大きくなった後は、小さくなって。まるでゴムみたいに、伸びたら縮む私たち。もとに戻ると、ほんの少し広がっていたりして、世界が!そこに水がはいると、水風船だ。頬にあてると薄くて冷たい。縮む水風船のゴムみたいに、ぎゅうっと考えすぎたら、透明の川でラッコの真似をして浮かぶみたいに、解放されたくなる。今の私はそんな感じ。ああ、私の大好きな世界はここだった、とか、あの場所に行きたいから、私はもっと自由でありたい、とか考えたりする。ふわふわと浮かぶイメージは、カラフルで、ゆるくて、太いペンで描いたようなおかしな顔がついているものだ!

 でも私はたまに、そんな私をもっと追い詰めてやりたくなる。のんびり川に浮かんでいるようじゃ、なんにも進まないからと。水風船が気持ちいい、と終わるのはあの夏だけ。だからといって、川の冷たさを感じられずに、その辺で捨てられてしまっている燃えないゴミのようになりたくない。相反するものを両立するのは難しい。だけど矛盾のほとんど表裏一体なんだよ、と思いながら、私はもっとシンプルに物事を考えてもいいかも、って結論に至る。川で浮かびたいから、仕事をもっと頑張ろうだなんて、いいと思えない。全部はできないけど、ゆっくりでいいのだと自分を諭す。

 想像してみて。足元が、ぬるぬるして身動きがとれないなら一旦水から上がってもいいでしょ。置いてかれたって仕方ない、石の苔はどうしようもできないんだから。足を拭いて今度はもう少しきれいな石の上に立つ。じゃばじゃばと川の音はBGMだ、あたたかいコンクリートの上に寝そべってエネルギーを満たそう。私たちは太陽光パネルのように、光合成をする葉っぱみたいにエネルギーを満たす。
 私は私のできることしかできない。言葉だけで「天井を決める」なんてのとはわけが違う。無理くり進んで足を滑らせたらおしまいだ。自分でコントロールできないのなら、自分は一体なにをしているのかを、ちゃんとわかっていたいだけ。



 私はまた、岸辺から「歩き」始める。自転車もなかった、もちろん車もなかった。でも川に遊びに寄れた。なにかを盗まれる心配をせずに柵を超えて、夏の川に泳ぐ魚のように自然だった。どこへ行っても変わらない自分の息づかいを感じながら、目をつむればどこへでも行けた。でも目をあけて行きたい場所へ行くために、帽子をかぶり、サングラスをかけ、リュックを背負った。車には負けるけど、車に乗るよりもたくさんのことを感じながら。どんな時だって大丈夫と思うのは、「私」が私の最高のパートナーであるからだ(あなた自身もそうであるように)。すべての歩みは、誰でもない私の人生をつくることにつながっているから。いつだって私たちはリラックスしながら歩く自由の元に、立っている。



エッセー:解放のために
isshi@エッセー

◎エッセーはここにまとまってるよ
https://note.com/isshi_projects/m/mfb22d49ae37d


◎前回のエッセー


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