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『進撃の巨人』論 ―『進撃の巨人』が継いだもの、生んだもの、残すもの―

進撃の巨人。

 2009年に別冊少年マガジンで連載が開始。それ以来多くの人々の心をつかみ、2019年末には全世界発行部数累計1億冊を突破した、少年マンガの金字塔です。

 この作品はまさに、時代を代表する作品です。もちろん傑出した発行部数という意味でもそう言えるのですが、それだけではありません。そのテーマ性という意味でも、『進撃の巨人』は、サブカル文化の歴史の中で一種の特異点になっているように思うのです。

 この『進撃の巨人』が産声を上げたのは2009年。ゼロ年代の終わりです。
90年代を席巻した「セカイ系」に対して、ゼロ年代の潮流は「サヴァイブ」という言葉で言い表されることもあります。(宇野恒寛『ゼロ年代の想像力』)

 理不尽な世界を前にして戦うことを拒否し、ヒロインたちにセカイの運命を委ねたのがセカイ系であるならば、ゼロ年代で流行したのは、理不尽な世界を受け入れて、その中をなんとか力強く生き抜いていく者たちの物語。例えば、『DEATH NOTE』(2003)『コードギアス』(2006)のように、自らがあえて悪となって理不尽な世界を変える傑作が現れた、といったことが言われたりします。そんなゼロ年代の最後に生まれたのが、『進撃の巨人』なのです。

 その後『進撃の巨人』は、10年代を代表する作品となり、そして2020年にクライマックスを迎えているわけですが、私はそのことに大きな意味を感じています。具体的に言いますと、この作品は、ゼロ年代のエッセンスを受け取った上で、それを10年代のマインドへと昇華させ、かつ、そこで残ってしまった問題を、20年代の次世代へ受け継ごうとしている。そう私は感じているのです。

 そこで本ブログでは、この『進撃の巨人』という作品が描いてきたテーマ性の変遷を、この作品がまたいできた時代のマインドも意識しながら、見ていきます。目次は以下のとおりです。

Ⅰ 『進撃の巨人』がゼロ年代から継いだもの ―世界の「理不尽さ」から世界の「残酷さ」へ―

  Ⅰ-1 ゼロ年代最終盤、『進撃の巨人』の「残酷」はなぜ私たちの心を掴んだのか(公開済み)

  Ⅰ-2 「世界の残酷さ」に抗う方法と、10年代を拓く「戦う理由」のパラダイムシフト(公開済み)

Ⅱ 『進撃の巨人』が10年代にもたらしたもの ―「自分らしく、好きなように生きる」ススメ―

  Ⅱ-1『進撃の巨人』中盤が10年代にもたらす、「自分らしく、好きなように生きる」という大命題(公開済み)

  Ⅱ-2 「自分らしく、好きなように生きる」ことが導く、10年代作品群のカンブリア大爆発(公開済み)

  Ⅱ-3 「自分らしく、好きなように生きる」ことが導く新たな敵、そして20年代へ(公開済み)

Ⅲ 『進撃の巨人』が20年代に投げかけるもの ―そして再び世界へ

  Ⅲ-1 「バブル」を破り、世界と向き合え!(公開済み)

  Ⅲ-2 『進撃の巨人』の到達点と、20年代の物語のこれから(公開済み)

 正直、作品知識が決して豊富でなく、サブカル文化に触れてからまだ10年も経ってない私が扱うには、間違いなく過ぎたテーマです。でも、書いてみたかったテーマなんです。「物語の歴史」に対する今の自分の考え方を記録して、後から見直せるようにするためにも。そして何より、『進撃の巨人』という作品に対して自分なりにリスペクトを表すためにも。

 ぜひお立ちよりいただけますと幸いです。よろしくお願いいたします!

(おわり)

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