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国際協力に対する考え方の変化

僕たちは世界を変えることができない

カンボジアに行く前の話

『僕たちは世界を変えることができない』
という映画を見たことがありますか

2011年に公開された映画で主演は向井理

私はカンボジアに行く直前にこの映画をやっと鑑賞した。

ノンフィクションのこの話は、かなり簡単に要約すると大学生がカンボジアに学校を建てるため、クラブイベントでお金を稼ぎ、実際に学校を建てるというもの。

僕たちは世界を変えることができない

生きていく意味だとかそのようなことはしょっちゅう考える。
私が生きたところで社会にインパクトを与えら得るはずがない。
死んだところで誰も困らない。

生きるべき人間も死ぬべき人間もいないわけで

世界を変えるべきことは
いいことかも知れないし悪いことかも知れない
世界を変えることができた方が
いいかも知れないしできない方がいいのかも知れない

そんなことを考えることができた。

履き違えた使命感で自分の首を締めていた?

高校に入学し、貧困問題を学ぶようになった。
世界にはご飯も食べれない人がいるとか日本にも表に出ていないだけで
経済的問題を理由に自分の将来も諦めてしまう人がいることを知った。

このようなことを学ぶとなんとかしなきゃという気持ちになる
私は恵まれているんだと知って、申し訳ない気持ちにもなった。

困っている人のために手を差し伸べるのは当たり前だけど
学んでいるうちに住んでる地域・日本・世界中を相手にしていた。

何から始めたらいいかもわからない

すべての負の連鎖の根幹は教育であり、
提案の内容は制度を変えることばかり。

どのようにして解決するか
調べて情報を集め、考えて解決策を提案するのは大切なことだけど
一番重要なのは行動することでインパクトを与えることだと今ならわかる。

カンボジアに行く前は貧困問題などの社会問題を学べば学ぶほど
申し訳ない気持ちになり、どうにかしなくちゃいけない
だから大学で勉強して就職して世界の困っている人のために何かしよう
そんなことばかり思っていた。履き違えていた。

使命感で自分の首を締めているだけだった。

自分にとっては当たり前という義務と責任があるのではないか
と勘違いしていた。

でも私は、教育にはそんなに興味がない。
味気ないな〜とは思いながらもなんとなく
将来の夢とか就職するなら
国際協力に関することだと答えていた。

世界を変えることはできないかもしれないけど
自分がやりたいようにやっていいのかも知れないと思い始める。

知識マウントの取り合い (自称(?)意識高い系 高校生・大学生あるある)

大学生になり、SDGsに関することが毎回授業に出る。

すでに17個の目標を暗記してるくらいには知っていた。
問題にまつわる問題とか
関連性を見出す訓練みたいな授業をしていたから得意げにもなる。

しかし、あることに気づく。なんか気持ち悪い。
それは知識マウントの取り合いだった。

ストローを使うな
ビニール袋を使うな
エアコンを使うな
プラスチック禁止

ある国では〇〇という法律があって〜
いや、環境問題に取り組んでいる教授なのにストロー使うのはダメでしょ

みたいな揚げ足取りのような

それなら、あなたはどれくらい環境に優しい生活ができているんですか
人間が生きているだけで一番環境に負荷をかけている
違いますか????

と言いたくなる。

知れば知るほどルールが増える
これはよくないからやめるべきだ。

例えばストロー 
生産の過程、製品の歴史を知っているだろうか
商品がある便利になるということはそれなりの背景がある。
それを知ってから納得できるよう発言するべきなのではないかなと思う。

全部はすぐに取り組めないし、ルールを作ったところで
便利な社会に慣れている私たちは適応できない。

カンボジアに行ってより理解できた。

バイクにガンガン乗るけど自然が豊かだったシェムリアップ
電気・水素自動車などと言っているけどコンクリートジャングルな東京

誰が批判できるのだろうか

当然、生きているだけでは義務なんてない
都合がいいように作り出して秩序を保っているだけ

身の丈に合った方法で

世界を変えることはできないがインパクトを

身の丈に合った方法というのは
世界を変えるということを諦めたように聞こえるかも知れない
けど違った。

私たちはいつも政策や制度を不満に思い、
理不尽なルールに対して怒りを覚える。

署名活動・デモなど
多くの人を巻き込んで一瞬のインパクトを起こそうと試みたりする
実際成功した例は言うまでもない。そうやって革命が起きてきた。

ならやってみよう。

大きなことはできないけどいつか大きなことになるといい
初めは数人かも知れないけれど
ゆくゆくは多くの人を助けられるかもしれない

最後は世界を変えることができるかもしれない。

そんな考えを持てるようになった。

じゃあ目指すのは?

2023年の抱負は「狭く深く」
気になることにはほとんど取り組んできた。

モットーは食わず嫌いしないこと

これからも好奇心に従って、新しいこと・難しそうなことにも
取り組んでいくという姿勢は当然大切にしていく

それに加えてもう1つ大切にしたい考え方は狭く深く
知識や経験が中途半端なので
向かうべき方向を見失いやすく、メンタルも波打ちがち

私には1つ夢ができた。
それはものづくりすることと地元で仕事を作ること。

好きなものを追求して、好きなものに囲まれたい。
仲間を集めて楽しい街づくりをしてみたい。

そんなことを思っている。

今興味があるのはクラフトビールとかお酒に関することと遊び場

今思っているだけだし、夢は変わっていくものだと思うけれど
ここに残しておくとする。

酒と遊び場

普段飲まない水分量を酔いたいがために
ガブガブ酒を飲んでしまう人間可愛い

という思いと

お金をかけず損得なしに居心地よくいられる場所がない

みたいなことを思った。

特に地方は車社会だから晩酌が主流で外食の文化が薄い(調査中)
そもそも酒を飲まないんじゃないか(調査中)

遊べて酒も飲める仕組みを作ってみたい
ただいま構想中

あとがき

ふと文章を書きたくなる時がある
記録のため

おはようって相手に聞こえていなければ言っていないのと同じように
誰かに伝えなければこの考えはなかったのと同じ

少し悲しい考え方だけど
声を大にして言えるような経験をたくさんできた

自分の目で見て耳で聞いて
知るべきことはまだまだあるのだと思うけど
今考えているのはこんな感じ

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