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薬が効かない慢性痛――闘病者の覚え書き

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#メンタルヘルス

4/29  幸運に納得できる心当たりを作ること

4/29 幸運に納得できる心当たりを作ること

ようやく心と体が落ち着いてきたので、久々に記事を。

最近よく思うのは、良い人間関係の形成のためにできることは本当に少ないということです。
積極的に動こうにも、相手がこちらをどうとらえるかはわかりようがないし、それは相手との距離が遠ければ遠いほどなおさらです。

外出しづらい現状ではとりわけ人とのつながりを感じづらいとも思います。

では何ができるか。
それは自分が人に受け入れられる準備をしておく

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3/14  スマホ等で感じるストレス・そのかわし方

3/14 スマホ等で感じるストレス・そのかわし方

今回は、以前お伝えしたスマホ関連のストレスについて書きたいと思います。

スマートフォンやタブレット端末を操作していると、痛みが強くなるタイミングが多々あります。
私の患っている二種類の慢性痛はどちらも原因がはっきりとはわからないのですが、少なくともストレスに関わる事は間違いないようです。だから健康な方よりもストレスに敏感にならざるを得ないと思っています。
そして上記の痛みは、直接的に現れたストレ

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3/12  後悔とその時々の最善

3/12 後悔とその時々の最善

後悔していることは、多くの人にいくらでもあると思います。
私にも嫌というほどあります。
ただ当時のそれぞれの状況を考えると、「他の選択肢がとれたのか?」という疑問は浮かびます。

確かに今ならもっと良い選択ができたはずです。
しかしそれは結果を知っているからであり、また時間が経ってから考えているからに過ぎないことが多いです。

当時は当時で自分なりに最善で、また必要だと思われる選択肢をとったように

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3/10  ゲームなどにのめり込まない工夫

3/10 ゲームなどにのめり込まない工夫

私は趣味でドラゴンクエストのアプリゲームをしています。
純粋に楽しめれば良いのですが、わずかなストレスでも慢性痛の引き金になるため、そう頻繁にはできません――たぶんソーシャルゲームやスマホ全般の何がストレスになっているかについては、また書くように思えます。

だから私なりに、依存とまでは言わずとものめり込むことへの対策を考えていて、今回それに触れたいと思います。

前提として、私は毎週木曜日に好物

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3/8  意味づけしていない痛み

3/8 意味づけしていない痛み

今回は痛みについて私が考えていることを書きたいと思います。
それは以前の記事で書いたように、痛みはまず痛みとしてとらえるべきだということです。

「痛いけど」ではなく。
「痛いから」でもなく。
痛みに何の意味を持たせることなく、ただ痛みそのものとしてとらえる。
理由をつけたり、役に立てたりするのはその後でいい。そう思います。

痛みはさまざまに解釈できます。
例えば
・今の痛みは将来役に立つ
・痛

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3/6  敵の9割は頭の中にいる

3/6 敵の9割は頭の中にいる

まずは前置きです。
9割という数字は私の感覚から選んだものです。
人によってはもっと多いと思いますが、強調したい点は数字ではありません。
デリケートな問題だと思い、また話の意図するところと重なるのであらかじめ書かせていただきました。

自分の周りに敵しかいないように思えることはあると思います。
個々の事情を知りようがないので具体的なことには触れませんが、社会で生きていくとどうしても摩擦が生じると思

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3/5  痛みを減らす選択と基準

3/5 痛みを減らす選択と基準

前回の記事で、闘病中の私にとって正しいのは治療に必要なことであり、正しくないのは必要でないことだと書きました。
今思えば、「喜びを増やす、あるいは痛みを減らすことが正しく、痛みを増やすことが正しくない」と言うこともできると思います。

ただそれを文字通りにとらえると、自分が痛くなければ何をしてもよいのか、となります。
だから私は痛みに広い意味を持たせ、以前触れた良心の痛みを含ませます。

たぶんぬ

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3/4  信念の選択

3/4 信念の選択

闘病生活をしていて特に迷うのが、何を信じてよいか、また何を信じてはいけないかということです。
本や話、あるいは記憶の中で繰り返される言葉は頻繁に私を焦らせたり、引き止めたりします。

現状、正しいこととは「治療のために信じる必要があること」であり、そうでないこととは「その必要がないこと」です。
だから取捨選択する必要があります。
それでなくても、私はある程度真実は自分で決める権利があると思っていま

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2/26  「いい人ぶること」と砂山の話

2/26 「いい人ぶること」と砂山の話

前回の記事の続きです。

あまり人や物事を否定しないこと。
その理由をいわゆる「良心の痛み」に求めると、私の場合「自分はいい人ぶっているのでは」という問いが生じます。
実際「偽善者」という言葉もよく見かけるし、耳にするように思えます。

私としては、演技でも偽善でも、迷惑にならなければ自分に対して否定しませんし、そうしたいのなら仕方がないと考えています。
元より100%の偽善はあまり成立しないよう

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2/25  積極的に否定しない習慣

2/25 積極的に否定しない習慣

Twitterを見ていると、
「こんなにいい人がいた」という内容、あるいは「こんな嫌な奴がいる」という内容で盛り上がることが多いように思えます。
両者の比率はわかりませんが、前者を賛美し後者を拒絶する。
その源は同じ良心に思えますが、意図というか言葉にしたい感情は異なるように感じられます。

たぶん両者の良し悪しは人工的なものなので、測りませんし測れません。
ただ闘病中の人間としては、後者、要は誰

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2/24  「さあどうする」という問い

2/24 「さあどうする」という問い

意識を変えることで痛みを対策しようとするよりも、体を動かして意識を外に向けた方がいい。
前回、前々回の記事でそう書きました。

総じて精神的なことには自由がきかない。私はそう思っています。
今自分がどういう心境にあるのかは、ほとんど経験や環境によって決まると考えるからです。
体についても同じで、少ないとも過去や未来を変えられるはずはない。
ただ今この瞬間に何をして何を選ぶか、それだけは自由だと私は

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2/23  環境を整えることはできる

2/23 環境を整えることはできる

塾の講師をしていると、生徒の「やる気が出ない」という声を聞くことがあります。

そんな時に私が伝えるのは、
「今出ていないやる気を自力で出すのは難しい。それよりも、やる気が出てくるように環境を整える方が効率が良い」ということです。

この場合、
・問題集の解きやすい問いを選んでおく
・机の上や不要なアプリなどを整理する
・参考書を勉強机でなくとも、いつでも読める場所に置いておく
などがその一例です

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2/22 自分の内側は自分では変えられない

2/22 自分の内側は自分では変えられない

私の症状は慢性痛です。
時間帯や気分によって痛みの強さや質は変わります。
灼熱感だったり、冷感だったり、チクチクする痛みだったり、痺れに近かったり。

鎮痛剤が効かないため、耐えるしかない。その中で得てきたことを書いていくつもりです。

まず、考え方や意識を変えることで痛みをコントロールすることはできないと思うこと、その必要性について。

自分の内側を自分で変えることはできない。
これが私の前提で

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