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2/22 自分の内側は自分では変えられない

私の症状は慢性痛です。
時間帯や気分によって痛みの強さや質は変わります。
灼熱感だったり、冷感だったり、チクチクする痛みだったり、痺れに近かったり。

鎮痛剤が効かないため、耐えるしかない。その中で得てきたことを書いていくつもりです。


まず、考え方や意識を変えることで痛みをコントロールすることはできないと思うこと、その必要性について。

自分の内側を自分で変えることはできない。
これが私の前提です。

自由とは体を動かす自由、と表現してもいいかと思います。

たとえば私の場合、すぐに意識を内側に向ける癖があります。周囲ではなく、考えることや痛みに気を取られてしまう。
その間はずっと痛みが伴うこともわかっています。

しかしそれ自体は変えようとして変えられるものではない。
心の姿勢とか、あるいは「痛い場所に意識を向ける」とか、そういった形のないものを意志によって変えようとしても、私の場合はムダです。
自分で自分の襟首を掴んで持ち上げることができないのと似ています。


この場合何よりまずいのは、「今痛いのは自分が適切な考え方をできていないからだ」と自分を責める、責めていい理由ができてしまうことです。
それは焦りにもなり、罪悪感にもなり、痛みの理由そのものになる。要は悪循環です。

さらに言えば、体の内側を意識的にどうにかしようとすること。これも避けた方がいいと思います。
たとえばここに力を入れないとか、そういった絶えず自分を追い立てるような義務感はない方がいいと私は思います。
経験上それは調子がいい時にはできるし、悪い時にはできない。
するとやはり悪い時に、できていない自分を責める理由ができてしまう。


そもそも意識はなるべく外に向けた方がいい。
バートランド・ラッセルの「幸福論」でも語られていることですが、治療においても同じだと思います。

長くなったので本日はここまでにします。できないことについて触れたので、次回はできること、した方がいいと思うことについて触れるつもりです。


読んでくださる方がいらっしゃったら、ありがとうございます🙇‍♂️

昨日の記事にもさっそく「スキ」をたくさんいただき感謝しております。痛みとの兼ね合いもあり、何か私からお返しすることができるのか自体調べられておりませんが、ご迷惑でなければフォローさせていただくかと存じます。

よかったらよろしくお願い致します。

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