chap.3 渋沢教会堂
苦労した構造材の製作
丹沢の山並みを背景に上品に佇む渋沢教会。平原末蔵はこの教会の新築工事で、現場監督兼大工棟梁を務めました。教会の室内の大空間を、特殊な木構造で実現した教会建築。末蔵と建築士とがお互いの技術を持ち寄り完成にこぎつけた経緯をお聞きしました。
さて親方、本日は渋沢教会の工事についてお聞きしたいと思います。こちらの工事、親方にとっても初めてのことの連続だったとか。
親方 はいそうなんです。ご存知のとおり教会建築は室内に大空間を構成するので、そのために構造の工夫が必要なんですね。ヨーロッパの教会の場合、袖そで壁かべで壁を支える(写真3)のですが、渋沢教会ではその袖壁が無かったんです。だから骨組みに工夫が必要だった。
天井からの荷重を支えるために、外壁には外に広がる力が加わりますね。それを袖壁無しで支えるとは興味深いですね。
親方 渋沢教会の構造は、船底を上下ひっくり返したような形なんですね。そして等間隔でアーチ状のパーツが並ぶんです。
このアーチ状のパーツが柱でもあり屋根を支える材でもあるんですね。
とても巨大ですが、形もユニークです。
親方 途中、太くなっているところがあるでしょう。ここに「曲げる力」が最も強く作用するので、断面が大きくなっているんですね。この材の寸法は構造設計家が決めるもので私が決めたわけではありません。
ただ、この材をどうやって作って、どうやって現場に搬入するのか。これは現場監督がゼロから考えないといけないと思います。とても興味深いですね。
親方 はい。当然この大きさでは現場に持ち込めません。分割したパーツを現場でつなぐわけですが、強度を確保したつなぎ方も考える必要がありました。あと、現場へ到達するまで細い道があったので、大きく分割することもできなかったんですね。それに、今回のパーツは国産杉の集成材だったんです。
曲げ強度が弱い国産杉の集成材を使うなんてなぜなんでしょうか。
親方 建築士さんが室内を国産の杉でまとめたので、室内に現しとなるこのパーツも国産杉に揃えたかったんです。
そもそも国産杉の集成材はあまり見たことが無いですが、どうやって作られたのですか。
親方 はい。今ではそうでもないかもしれませんが、当時はとても珍しく、栃木県にある集成材工場の1か所だけが、それを作るのが可能でした。だから栃木まで通いましたね。
骨組み一つ作るのに大変な時間と労力が必要なんですね。
現場合わせの作業
他に苦労された工事はご記憶にありますか。
親方 はい。建築工事には現場合わせ、つまり設計図面には敢えて詳しく描かず、現場で調整しながら寸法を合わせる作業があるんですね。住宅でも当然あるんですが、詳細をきっちりと描きこんでしまうと、3次元で作っている時に小さなところで辻褄が合わなくなることがある。だから最後には大工の裁量で完成させる「遊び」が、図面には必要なんですね。下の写真6で、トユ(雨どい)の位置を見て欲しいのですが、大きな屋根と小さな屋根のトユが一直線になっています。これが意外と困難な作業なんですね。
トユを見てこれが大変な工事なんだなと思う人は先ずいないと思いますが。
親方 そう思います。考える手順としては、大きな屋根のトユに小さな屋根のトユを合わせるのですが、その小さなトユの高さをピタリと決めるためには、小さな屋根を構成する材料の加工寸法を微妙に変えて解決しないといけないんですね。
トユが雨水をきちんと受けるためには屋根勾配や屋根板金も絡むでしょう。それらにも配慮して現場で決めながら作業を進めるんですね。
親方 トユが一本水平にスカッと決まるかどうかで、この建物の外観イメージが大きく変わるからね。
建築工事の意匠は、建築士と大工との二人三脚で進めるんですね。
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〔1,2〕渋沢教会堂の外観と内装。〔3〕ヨーロッパの教会の裾壁(大きな壁に直角方向に接する小さな壁)。〔4,5〕渋沢教会堂のアーチ状のパーツ。〔6〕渋沢教会堂のトユ。大きな屋根と小さな屋根のトユが一直線になっている。〔7〕高さ方向を表現した矩計図。トユの高さが書き込まれているが、最終、現場合わせとなる。
工夫満載の上棟作業
親方、それでは建築工事のハイライト、上棟作業についてお聞かせ下さい。特殊な工事でしたから、事前の準備も大変だったのでは。
親方 そうですね。住宅工事でも上棟前に段取りを考えるのは当然なんですが、今回はいくつか特殊なことがありました。左下の写真の赤い丸の部分、これはゴムバンドをつなぐ金具なんです。
アーチの集成材がカーブするあたり(赤い矢印)にゴムバンドをつけて、こことつなぐんですね。これには2つの理由があるんです。
一つは仮かり筋すじ交か い※1の役割ですね。
親方 そうです。そしてもう一つは桁の面合わせなんです。
それはどういう作業なんでしょうか。
親方 右下の写真の様に、今回の構造は桁が1本では無く、アーチをつなぐ短い桁です。だから、桁とアーチのお互いの側面を、ガタガタにならない様に、きれいにそろえる必要があります。桁を設置して面を合わせるために、最後は人力でゴムバンドを引っ張るんですね。
骨組みを組み立てる上棟作業の精度は、後々の作業に大きな影響を与えます。順番にパーツを組み立てる時にはごくわずかな数ミリ単位のズレが生じますのでそのズレをゼロにすることに、非常に神経を使うんですね。
今回は特殊なアーチなので、住宅とは違う方法でズレを調整する必要があったので、このゴムバンドを使いました。
仮筋交いの役割を果たすわけですから、基礎にもあらかじめ金具を仕込まないといけませんね。基礎工事の段階で、上棟作業を想定していたわけですね。
親方 はい。上棟作業はそこまでシミュレーションするのが通常ですね。
大工は逆算の世界
今回お伺いした教会建築工事のお話を聞いて、建築工事は常に考え続けることが大切であることを再認識しました。
親方 そうですね。現場作業は後戻りできないからね。大工の世界は「逆算の世界」だと、常々言っているんです。
どういう意味でしょうか。
親方 建物が完成した状態つまり仕上がった状態から、工程を遡るプロセスを頭に叩き込んでから作業に取り組め、ということですね。
仕上げの前の作業、その前の作業……、という順序、つまり逆算で考えると失敗しない。それをしなかったら、手が止まるか、違う方向へ進んでしまって手戻りするかどちらかなんですね。
まるで、迷路を進むみたいですね。迷路ならば後戻りできますが、大工工事はそれができない。だから逆算で考えろということですね。
今回の渋沢教会の構造設計の見せ場は、やはりアーチ状の集成材でした。アーチ状の設計は構造設計士ですが、それを分割して現場で組み立てるにあたってのアイディアは親方が出されたとか。
親方 そうですね。現場での施工性の問題もあるので、構造設計士さんと一緒に考えました。
住宅でもそのようなケース、つまり大工が構造を一緒に考えることはあるんでしょうか。
親方 軸組図を見て若干調整する程度で、あとは今はほとんど無いですね。プレカットが普及する前は、仕口や継手ては大工の個性が出ていて多様でした。それが今は簡素化している。プレカット機械の性能の限界が、今の標準となってしまった。
他の場面でも言えますが、機械やメーカー品が普及すればするほど、デザインに制約がかかり、自由性が損なわれる。進化するどころか退化してしまっていますよね。
標準化が進むほど、経済優先の建築となりますね。意匠にも制約がかかる。それを建材の種類で補っている。
親方 そうですね。木造住宅の技術はとても多様なので、その技術を生かした意匠をもっと再認識していただければいいんですけどね。
仮筋交い
上棟直後、未だ構造が不安定なときに、材木同士を、細い材木で斜めにつないで三角形を構成して構造を安定させます。この斜めの細い材木を仮筋交いと言います。
渋沢教会建築工事の様子。右写真の手前赤色に見えるのがゴムバンド。基礎に向かって伸びている。
建築家が描いた美しい絵。その絵を建築物にまで導くためにはちょっとした努力が必要です。美しい建築を目にするための仕事。それが現場監督のミッションです。
次回、Capter.4に続きます。