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自己人生最低理論

体の一部を失った人が希死念慮を抱くことがある。それは、以前までの、普通に生活していた頃の自由さはもう戻ることはないという絶望から来るものだ。言い換えれば、「希望が持てない」が適切だろう。

そう、人間は未来に希望が持てないと死を望むのだ。生きていくモチベーションが保てなくなる。そこで俺は、そのような患者は学習性無力感を経由しているのではないかと考えた。

学習性無力感

学習性無力感とは、長期にわたってストレスの回避困難な環境に置かれた人や動物は、その状況から逃れようとする努力すら行わなくなるという現象のことです。つまり、「何かに挑戦してもどうせ失敗するんだから頑張る意味なくね?w」という思考になってしまうのが、学習性無力感というわけですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/学習性無力感

簡単に言えば、「頑張ってもどうせ失敗する」を脳が学習するのだ。皆、口では簡単に言えるが、それでも頑張ってしまう。頑張らなければ望む結果は手に入らない事を知っているからだ。
 学習性無力感を獲得するためには数えきれない程の失敗体験が必要だ。成功してしまうとそれが希望となってしまい、頑張ってしまう。そうならないためにも、連続して大きな失敗体験を積むことが大切である。

つまり、体の一部を失った人が感じた絶望感の正体は、学習性無力感だったのではないかという可能性がある。連続的な失敗以外にも、未来に希望を見出せなくなるということが学習性無力感に繋がるのかもしれない。または別の名前がついた現象なのかもしれない。

正直そんなことはどちらでも良い。そのような人たちが死なないことが最重要事項だ。どのようにすれば自殺を止められるかを真っ先に考えなければならない。

そこで、私が至った考え方を紹介したい。


     それが自己人生最低理論だ。


自己人生最低理論

自己人生最低理論とは、人生は最低なことしか起きないということを自覚することである。

勿論、俺が勝手に提唱している理論だ。

この理論がなぜ自殺を止めることが出来ると考えるのか、それは、ネガティブな事に対して必要以上にショックを受けなくて済むからだ。

なぜ人は必要以上に感情を動かしてしまうのだろうか。それは予想できないからだ。
 思うに、ホラーゲームは来るとわかっていれば怖くない。いつ来るか分からないから怖いのだ。

 「仕事を頑張ると昇格する」というのは、ある程度予想できる。なぜならそのようなシステムがもう確立しているからだ。

 しかし、普段生活している中でネガティブな事は出来る限り予想したくない。だから予想出来ずにいきなりネガティブな状況に襲われる。

ならば、それを逆転してしまおう。というのがこの理論だ。

つまり、常に最低なことしか起きないという心持ちで生きていれば、ネガティブな事には対処できるし、幸福に敏感になれるという事だ。

俺自身、連続で絶望を体験し、1回死のうとしたこともある。つい最近までも挑戦しては失敗するということを繰り返していた。だが気づいたのだ。希望を探すから辛くなる、と。

俺の場合は、幸福を掴み取るにはIQが圧倒的に足りない。いくら挑戦しても頭を使えないから尽く失敗するのだ。だから最初から諦めるという生き方が適切なのだ。

実際、この生き方を出来るようになってからは人生が楽になった。不幸が起きても当たり前の事として受け入れられるようになったし、希望も持てなくなったのでその分失望することが減った。総じて楽になったのだ。



但し、この理論は一般の人、いわゆる普通の人には当てはまりにくい。なぜなら、普通の人は何かを頑張れば成功する確率がある程度保証されているからだ。そんな人にはこの理論は逆効果だ。人生を棒に振る事になる。

この理論が適する人というのは、何かを頑張っても意味が無い人だ。勉強を頑張ってみても何も分からない、好きな人が出来ても奪われる、就職しても最低限のことも出来ない、夢を掲げても努力できない、これら全てが当てはまる人が、この理論の適する人だろう。

また、希望が持てなくなるまで挑戦しなければならない点も、この理論の難しいところだ。冒頭にも挙げたが、人はどこか希望を持っている。その希望が無くなるという状態は極めて危険な状態なのだ。「希望がないからこれ以上失望することがない」という考え方にうまく移行出来なければ、自殺願望が増してしまうだろう。そのため、自殺に対する恐怖心も必要だ。生きることにも死ぬ事にも希望を持てない状況に身を置く事で、 初めてこの理論を受け止めることが出来る。

そのような人がこの国にどれだけいるのかという話だ。



だから俺が勝手に提唱している理論なのだ。

終わりに

 最後まで読んで頂きありがとうございます!今回の記事はどうだったでしょうか?
 この記事を書くきっかけとなった「自己人生最低理論」ですが、この理論が誕生した瞬間は今でも覚えています。それは、漫画を読むのがめんどくさいと感じた瞬間です。(笑)

 どうゆうこと?と思うかもしれませんが、実は僕漫画を読むのがとても好きでして、そんな大好きな漫画がめんどくさくなっちゃった事が悲しかったんです。「あー、これからどんどん好きな事面倒くさくなってきっと空っぽになっちゃうんだな〜」と思った瞬間に泣いてしまいました。

 もう既にその時は現実に希望を持てなかったので、趣味が希望だったんです。それすらも億劫になったのが本当にもうショックで…笑

 だからもう希望なんてない!という一種の開き直りと共にこの理論が誕生したわけです!

 その後も「世界中の綺麗な景色を目に焼きつける」という僕の人生の目的も、諦めることが出来ました。いつも飛び降り自殺をする3歩手前ぐらいでこの人生の目的を思い出し、踏みとどまっていたんです。

 諦めて諦めて心が底に着いた時に「いや、このままじゃ終われない」ってなるのが僕だったんですけどね。この歳になってやっと希望がないことを受け入れられたみたいです☺️

 いや、まだまだ期待しちゃう場面もあるかもしれませんが、常に希望がない事を意識していこうと思います!やっと真実にたどり着けたのですから!

みなさんはどちら側の人間ですか?笑

では👋

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