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#43 仁徳天皇の、名に恥じない生き方【一笑門 マガジン】

どうも、伊志嶺海です。

このマガジンでは、毎朝配信しているPodcastプログラム「伊志嶺海【一笑門 RADIO】」の内容を発信しております。

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おはようございます。伊志嶺海です。

「日本の夜明けを創る。」を合言葉に、相棒とともに夜明創造プロジェクト旦 -TAN-を運営しております。

今日は仁徳天皇についてのお話です。

僕は今日本の歴史について学びたいなと思い、「お父さん、日本のことを教えて!」という本を読んでいます。

非常に分かりやすく簡潔なQ&Aスタイルで書かれており、歴史初心者にはうってつけの書籍になっています。今日はこの本の中に出てきた仁徳天皇がむちゃくちゃかっけーっていうお話をシェアさせてください。

仁徳天皇は第16代の天皇なのですが、この天皇が人格者なんですね。仁徳天皇の有名なお話で「民のかまど」というものがあります。

仁徳天皇は当時、天皇陵造営の労役(肉体労働)や国内の平定(武力による統制)、朝鮮遠征(渡来人)などで出費が重なっており、国民の生活が貧しくなっていることを心配しました。

これになぜ気がついたかというと、仁徳天皇が宮殿の高台から街を見渡したとき、朝食の時間だというのにご飯を炊くかまどの煙が上がっていなかったんですね。

それを見た仁徳天皇は、「民は、食事を作ることすらできないのか・・・」と嘆きます。

そこで仁徳天皇は、3年間は税金を免除するという命令を出し、さらに自分自身も質素な生活に切り替えたのです。それは宮殿が荒れて、雨漏りをしたしまうほどのものだったそうですが、仁徳天皇は国民の豊かな生活を祈りながらも、その生活を続けたのです。

そして3年が経ち、仁徳天皇は宮殿の高台に登ります。

すると、あちらこちらからご飯を炊くかまどの煙が上がっていたのです。そして隣にいた皇后にこのように言います。

「民が豊かになるのが、私が豊かになることだ」

と。

それを聞いて皇后は不満げにこう言うんですね。

「宮殿の屋根もボロボロで、ふすまは雨に濡れて、食べ物も乏しいのに豊かなのですか?」

仁徳天皇はこう言います。

「民に食するものがあれば、私は豊かな気持ちになる。大神がおられて、民がある。民が飢え、不幸になるようなことのないように、大神に祈るのが私の使命である」

赤塚高仁「お父さん、日本のことを教えて! ──はじめての日本国史」, 自由国民社, 2020年8月

その後、国民の代表が仁徳天皇を訪問し、「国民は豊かになりましたが、宮殿はぼろぼろです。」と課税を申し出てきたんですね。しかしここで仁徳天皇はまさかの命令を出します。

なんとさらに3年間の租税免除延長を命ずるのです。皇后も驚いたでしょうね。

合計で6年経ってようやく税を課し、宮殿の修理が着工されます。国民は我が我がと競うようにして宮殿の修理に駆けつけたそうですよ。

実はこのお話は神話であって事実ではないという説もあるそうですが、この仁徳天皇の名前に恥じない心は非常に見習うべきものがあると感じました。

余談ですが、大阪府堺市にある世界最大の古墳「大仙古墳」は仁徳天皇陵なんですね。前方後円墳と習った方も多いのではないでしょうか。このお墓、クフ王のピラミッドよりも、秦始皇帝陵よりも大きいんです。

大林組の調べによると、重機のないあの時代にこれだけの古墳を建てようと思うと、毎日2,000人が働いておよそ16年はかかるそうなんですね。しかしもそれに加えて3万本の埴輪も置かれているんです。

仁徳天皇のためにこれだけの古墳を作った意味を考えさせられますよね。それだけ国民に愛された天皇であるんだなと感じました。この仁徳天皇の道徳心から学び、今の日本をより良くしていくために自分には何ができるか、考えてみたいなと思います。

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