京のヨモヤマ〔壱〕 京のぶぶ漬け
京都の都市伝説で、良く言われるのが“ぶぶ漬け”である。
そして私も昔、東京から移り住む時に、周りの方々から、真しやかに聞かされたのが、この“ぶぶ漬け”の話である。
「京都で人の家に行った時〝ぶぶ漬け(茶漬け)いかがどす?〟と、もし勧められても絶対に食べてはだめだよ」
「ぶぶ漬けどうぞ、と言うのは、あなた長いこといるから、早く帰ってね。という意思表示だから。即、失礼しないと、気のきかん人だ、と笑われるだけだよ」と、誰もが、気の毒そうに顔を近づけ、注意をしてくれた。
そんな下知識もあって、京都に来てからしばらくは、人の家に行っても、なるべく早く帰らねばと、いつもソワソワしていた。
店で飲んでても、なんだかシリが、落ち着かないのだ。
しかし、中々どうして。バシッ!!っと格さんが懐から出す、黄門さまの印籠のごとく、バシッ!!っと「ぶぶ漬けいかがどす?」の決め台詞は、出てこない。
と言うか、今まで、一度も聞いたことがない。のである。
もしや近頃は“ぶぶ漬け”でなく、別メニューに替わったか?
〝茶がゆ〟とか“牛丼とか”?。
聊か、気になるとこだが‥^^
京都育ちの友人に聞いても「そんなの言われたことないワ」と、軽くいなされて、話は終わりである。
何やら“京のぶぶ漬け”は、もとは落語の噺だったとか。
人間国宝。三代目・桂米朝師匠の十八番(おはこ)だそうな。また一説には、京都は昔から為政者が多く変わったので、本音を隠し、やり過ごしてきた、庶民の処世術だった。とか
「いやいや、“一見さんお断り”の格式あるお茶屋さんでは、最近までありましたよ」と飲み屋で語る、御仁もいたり‥残念ながら、その真実のほどは、定かでない。
とは言え、“京のぶぶ漬け”は言わば京都人のイケズさ(?)の象徴のように、言われてきたが、住めば都。そんなことは、全然ないのである。(少なくとも周りでは)
むしろ、地蔵盆だ、運動会だと、町内づき合いも良く、人なつこくて、親切な人が多い町だと思う。京都の人が時々、東京の言葉は〝冷たい〟と感じるのと同じ。
人は誰でも異質なものは警戒し、また、自分の優位性を保つために、つい色眼鏡をかけて見てしまうのかもしれない。
落語では、“ぶぶ漬けでもどうどすか”と言うのは、お客の帰り際に使う、軽い引き留めのご愛想(常套句)として、紹介されている。
そんな社交辞令の〝ぶぶ漬け〟をわざわざ食べに、大阪から客が訪ね、昼まで長居を決め込むのだが、御上さんが仕方なく出したぶぶ漬けの飯が少なく、お代りをせがむ。という落ちに繋がっていく。
噺は、大阪と京都の土地柄の違いを織り交ぜながら、関西人の楽しく大らかなヤリトリが生き生きと描かれ、腹から笑えるが、そこには、決して「ぶぶ漬け=京のイケズ」の式はないのである。
やはり〝京のぶぶ漬け〟は、幻の都市伝説なんやろうねぇ^^
【京の豆知識①】
ぶぶ漬けの〝ぶぶ〟とは因みに、おぶぶ(お茶)のことドス^^
【京の豆知識②】
イケズ=意地悪のことドス^^使用例=あのオッサン、ホンマにイケズやわ~。ドス^^
(2012年3月2日 記)
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