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軍用機図譜

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第二次世界大戦前後の軍用機が好きで本や雑誌を集めていたら結構な数になった。退職を期に読み直しながら覚書みたいなものを作ってみようと思い立った。初期のコンピュータで飛行機などのイラ…
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2021年12月の記事一覧

川崎 二式(複座)戦闘機「屠龍」(1943)

 二式戦闘機『屠龍』は、川崎航空機のつくった双発戦闘機である。二式戦闘機というのは、皇紀…

Gustav Papa
2年前
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川崎 五式戦闘機 (1945)

 液冷エンジンの生産が間に合わず、エンジン待ち三式戦闘機がたくさんできてしまった。では、…

Gustav Papa
2年前
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川崎 三式戦闘機「飛燕」(1943)

 岐阜県各務原市の岐阜かかみがはら航空宇宙博物館に三式戦闘機が一機展示されている。戦時中…

Gustav Papa
2年前
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九州飛行機 震電 J7W1(1945)

 子供の頃(少しばかり軍用機の知識が自慢になった頃)、震電の写真や図を見て「すごい飛行機…

Gustav Papa
2年前
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中島 二式戦闘機「鐘馗」(1940)

 「日本のロケット開発の父」と呼ばれる糸川英夫博士は、東京帝国大学工学部航空学科を出て中…

Gustav Papa
2年前
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川西 強風 N1K1 (1942)

 第二次世界大戦前、アメリカから石油等の経済封鎖にあったことで東アジア方面への侵攻が日本…

Gustav Papa
2年前
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カーチス SB2C ヘルダイバー(1940)

 『ヘルダイバー』は、カーチス社の艦上爆撃機の伝統ある名前である。カーチスF8C、SBC、SB2Cといずれも『ヘルダイバー』という呼称である。『ヘルダイバー』(Helldiver)はカイツブリのことである。地獄の急降下という意味かなと思っていたけれど、関係ないらしい。カイツブリは、潜水して魚や虫を捕食している鳥。漢字では「鳰」・・・「水に入る鳥」。  しかし、そんなこととは関係なく急降下爆撃という戦法をとりいれた飛行機開発をカーチス社は自負していた。初代の『ヘルダイバー』は

グラマンTBFアヴェンジャー(1940)

 旧アメリカ海軍機の機種記号で、TBは雷撃・爆撃機 (Torpedo Bomber)を意味し、Fはグラマン…

Gustav Papa
2年前
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グラマンJ2Fダック(1935)

 グラマン社は、飛行機に憧れていたルロイ・ランドル・グラマンによって設立される。海軍中尉…

Gustav Papa
2年前
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川西 紫電 N1K1-J(1942)

 水上戦闘機『強風』を陸上機に転換したのが『紫電』で、後の『紫電改』へとつなぐ役割を担っ…

Gustav Papa
2年前
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九三式中間練習機(1934)

「赤トンボ」と呼ばれた練習機。昭和10年以降、海軍の飛行機搭乗員は皆この九三式式中間練習機…

Gustav Papa
2年前
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リパブリックP-47サンダーボルト(1941)

 巨大な戦闘機である。第二次世界大戦で実用化された最大の単発単座戦闘機であった。太い胴体…

Gustav Papa
2年前
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ノースアメリカンP-51マスタング(1940)

 私が子供の頃(昭和)は、ムスタングが標準的な表記だった。フォードで出したスポーツカーも…

Gustav Papa
2年前
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中島九七式艦上攻撃機 B5N2(1937)

 九七式艦上攻撃機は二種類ある。昭和10年に海軍が競争試作を命じた十試艦上攻撃機に中島飛行機案、三菱飛行機案とも採用されたのだ。要求性能を両案とも大幅に上回っており、優劣をつけがたかったと多くの書に記されているが、それを絞り切るまで持っていかなくても良い余裕があったのか、あるいは政治的な工作があったのではないか、つい疑ってしまう。中島案で採用された1号案でが、引き込み式脚やファウラーフラップなどの新機軸が盛り込まれ、速度や航続距離で上回った。三菱案で採用された2号艦攻は、エン