いいね、その文章(172/365)
先日友達が、久々にnoteを書いたからと連絡をくれた。
エッセイだった。
その人自身が書いた文書を、僕に送ってくれたという事が純粋に嬉しかった。
そしてそれを見て、感想としてはまず「いいね」というのが出てきた。
というか、それが全てだった。
まぁ「ここに対しては〜思った」とか意見などを述べることは出来るけど、エッセイにおいては「いいね」以外の感想は必要ないかなと思う。
否定は論外としても共感ですらも必要ないかなと思う。
その文章を踏まえて僕が考えること・感じることはたくさんあるけど、文章そのものに対する感想は「いいね」以上でも以下でもない。
いい作品に出会えた時は自然と拍手をしてしまう感覚と似ているかも。
その拍手を無理やり言語化したら「いいね」になるみたいな。
だから、僕は人のnoteや文章を読んだ時、それがエッセイとかであるなら尚更、気の利いた事が言えない。
意見や感想を求められたら言うし、時にはめちゃくちゃ共感してその想いを伝えたい時もあるけど、だいたいの場合はその時にまず出てくるのは「いいね」である。
それは何も感じなかったのではなく、純粋に「いいね」でしかないから。
正確には色んなものが含まれた上での「いいね」だけど、それを理屈っぽく語りたくない。
語るにしても自分できちんとまとめてから伝えたい。
その「いいね」こそが相手へ対する最大限の敬意かなとすら思う。
で、今回「いいね」と感じたエッセイを読んで感じたことだけど、やっぱり言葉を大切にしている人は好きだなぁということ。
文章にまとまりがあるとかないとか、上手いとか下手とかはどうでも良くて、自分の心の中を自分の言葉で表現しようとするその内面が。
今はSNSがあって、そこで自分を表現する事ができるようになって便利になったけど、たった140字や写真などだけで自分のすべてを表現できる訳ではない。
でも、多くの人はそこから得たものから、その人の人物像を形成している。
「楽しそう」とか「頑張っている」とか「落ち込んでいる」とか「暗い」とか。
だからといってそれが悪いと思うわけでもない。
そこでだからこそ表現できるものがあるし、多くの繋がりを持てたり、ビジネスにもなったり、使い方次第では可能性は無限大だ。
ただ、そこでの一面はその人のほんの一部にしか過ぎないことも理解しないといけない。
SNSで見せている自分なんてごくごく一部でしかないし、それ以外のことでも友達や家族にすらもさらけ出していない事なんてザラにある。
だから時に、自分でもその境目が分からなくなってしまうことがある。
言葉を借りるなら「現実と空想」の狭間をふわふわ漂っているような。
正直それはものすごく疲れる。
あの人は〜な人というイメージの中で、それを崩さないように生きるのはしんどい。
そのイメージとは違う面だったり本来の自分をさらけ出したいけど、それが怖かったりする。
そっちが楽にいられるとは思っていても、なかなか出来るものでもない。
繊細で敏感な人なら尚更。
そんな時に見失いかけていた自分という存在を再認識させてくれるのが、心の中で感じていることを不格好でも、まとまりがなくても、言葉を紡ぎ文章にする行為かなと思う。
そうすることで、ちょっとずつ自分を理解できるようになる。
僕もこうやって文章を頻繁に書くようになって、負の感情を吐き出すこともあるけど、今まではSNSや周りにそんな感情なんて出してこなかった。
というか自分でもそんな感情を抱いている事に気付いていなかったという方が正しくて、書いていく中でこんな事も感じているのが自分なんやなぁと知ることができた。
かといって、その事を自ら進んで人に話したりはあまりしない。
いや、現に話したことや時には話すこともあるけど、変な空気になることもあって疲れるから、やっぱり文章として書いて残したい。
それをどれだけの人が目を通してくれるのかは分からないけど、見てくれる人だけ見てくれたら十分だ。
中には届けたい人がいたりもするけど、それは稀でほとんどの場合、自分から人に敢えて見せることはしない。
それはその人の中での「〜な〇〇」のままでいいと思うから。
そして、その文章を読んだ上でも「いいね」と言ってくれる人を大事にしたいし、読んでほしいと言ってくれることは僕にとってすごく嬉しい。
僕は自分を知るために文章を書いている。
そうすることで、自分の中の色んなものが削ぎ落とされて本来のカタチが捉えられるようになってきた気がする。
と、こんな事を言っているけど、文章を読んだとしてもその人の全ては分かり得ない。
でも、その人の言葉が並んだ文章だからこそ、当人のより本質的な部分が見えてくると思う。
言葉は口にして喋るということも出来るし、それにはそれの魅力があると思うけど、何度も書いては消してを繰り返し時間をかけて紡いだ文章が好きだ。
自分の心の中を言葉にして文章にするという行為は、気合を入れないと出来ないことでもあるし、怖くなる時もあるけど、その勇気を持っていて言葉を大切にし豊かな心を持っている、そんな人を心から尊敬する。
やっぱり書くことは豊かなことだと思うし、それを愛している人は好きだ。
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