見出し画像

精神科看護師の仕事とは?暴言・暴力が溢れる現場から私が思うこと

 はじめまして、イシダケイタです。
一発目の記事なので何を書こうか悩ましいところですが、まずは自己開示という所が必要だろうと思いまして。とりあえず俺こんなこと仕事してるよ、やこんなことが問題になっているよっていう話から。その中でも割と気になる人も多いと思う、精神科における暴力についてにしましょうかね。なんだか助言めいたこともいっていますが、まだまだ未熟ですので戒めでもあります。看護師という仕事に興味がある方や、精神科看護師に興味があるよという方の参考になれば幸いです。また、精神疾患の家族と暮らしていたり接する機会が在る方や友人をもつ方の参考になるようでしたら、看護師冥利に尽きます。長文乱文ですが読み進めてもらえると書き手としては幸せです。

 まあ誰が読んでも分かる文章には到底なっていないですし、まだまだ学が浅いのでもっと学んで書けよこの野郎とか、文章わかりにくいよ!ってこともあると思います。温かいお心で御理解いただけると幸いです。ちょっとずつ直せたら直します。
 まず簡単なプロフィールですが、曲りなりではありますが看護師の資格を持っていて現在は精神科単科の病院で勤務しています(一応急性・慢性とも経験しています。)そして精神科経験しかないので、他の課の情報なんてものは同期の話を聞いて「へぇーなるほどー」と思うしかない次第です。そんなこんなで身体管理はまあ不得意です。中堅レベルの年数です。

精神科看護師のざっくりとしたお仕事について

 さて、本題。精神科単科の看護師とは普段どんな仕事をしているのか。一般的には、精神疾患に携わるという事で話を聞いたりするんではないか?というイメージが強いのではないかと思います。概ね正解です。

 一日の基本的な流れは、入院中の患者さんの生活を支える仕事です。ですので起床後の洗面誘導や介助、食事の促しや介助、内服介助や頓服の提案、入浴の介助などとなります。水分摂取を過剰に取る方であれば体重の管理などを、また取らない方であれば補水の介助などもあります。看護師や看護学生の方はナイチンゲールが大事だよ!って言った事が行われていると思ってください。また日本における精神科の根管治療は薬物療法が現時点では軸となるので、ここは特に気をつけておこなうポイントです。この辺に関してはネットの記事にも多く乗っていますよね。大抵は仕事量は少なくて帰ることが出来るといった文言とともに。

 この辺は余談ついでに。仕事内容については一般診療科に比べて少なく帰宅しやすいという事は概ね事実です。ありがちな点滴も少ないですし、輸血があるかどうかも病院によって違います。採血も入院が長期の患者さんにはそれほど頻回にはしませんし。まー残業なく帰れる病院は多いです。

 ただ、最近は認知症の方を受け入れる機会がどの精神科でも増えているので、精神科単科病院であったとしても老人内科病棟的な役割を担うケースも増えています。そのため内科的な知識が以前よりも格段に求められています。イレウス・悪性症候群などの精神科に付随するメジャーな身体疾患だけじゃなく、誤嚥性肺炎などもあるあるです。そういう意味ではありがちな求人サイトや精神科看護師を無責任におすすめするサイトの文言の状況からはかなり変化してきていると肌感覚で感じます。

 ただし身体管理となると、院内採用薬も限定されているだけでなく、病院として薬効や対応方法を把握しきれていないケースは少なくないのでうまく管理ができないとか、設備が整っていないケースもあり、総合病院・一般病院に比べると残念ながら出来ることは限られていますし精神科単科の弱みでもあります。

 話を戻しますね。急性期・入院対応病棟であればその業務も新たに含まれるので忙しさはマシマシとなります。アナムネ聴取に関しても、家族を主体として伺うケースが多いというのも精神科的な特徴です。これは精神疾患特有の「自分で入院しようという意思を持って必ず入院できるわけではない」事が多いというのが主な理由です。

 また、入院時にすぐに内服や筋肉注射を行わないといけないケースもありますし…入院時は特に持ち込み荷物の点検なんかもやります。人権的にどうなんだという視点もありますが、暴力のリスクや自殺予防を目的とした荷物の管理方法が病院ごとに決められていて、それに基づいた形で生命の安全を優先しおこなう事となります。また、入院中のご家族の方の持ってこられた荷物の確認など…これについても院内や患者さんの状況から指示として持ち込みできないものがあったりしますが、長期入院の患者さんと家族さんがタッグを組み、持ち込みできないものを持ち込もうと切磋琢磨している事もあるので…それはまた、別の時に笑い話としてできれば。

 そして隔離拘束などの対応がある場合は密な観察(15分に1度や30分に1度など、処遇によって異なります)を行ったり、精神状態が不安定な場合においては観察の頻度や傾聴対応などをして現時点で危険行為に繋がりそうな問題点を少しずつ解きほぐし、問題行動に至らないように支援する事も求められます。

 そして考えたくはないことですが、まあ不測の事態が起きたときには先生の診察を依頼したり、問題が起きた場合で一人では対応が難しいとか男手が必要だと言うのであれば応援を呼んで複数での対応(他病棟に応援を頼むことすらあります)を行うケースもあります。

 あとは…ラジオ体操とか作業療法をする病院が多いです。看護師はバタバタで参加できないケースもありますが、時間があれば一緒に塗り絵とか、運動とかに参加したり見守ったりなんかもあります。こういう側面はまあハートフルだし、自然と笑顔になれます。

 さらに受け持ち患者さんの事であれば、数日・数ヶ月・数年単位でその人が抱えている問題を共に考え、退院に向けた支援やサービスの導入をMHSW(精神保健福祉士さんのこと、みなさんめちゃくちゃ出来る人が多くて本当に助かります)の方らも交えつつ検討していくという大局的な仕事もやっていかないといけません。

 そして1日の流れをカルテに記載し、看護行為として記録に残しておく事が一日の業務の締めくくりになります。そして申し送りをするといった具合です。ちなみに夜勤も同じく薬を渡し、食事の介助などがメインです。ただ夜勤でいちばん大切なのは入院患者のみなさんが安全に過ごせているか、睡眠の質は取れているか、排泄のコントロールなどは大丈夫かといった視点での観察です。どうしても夜勤は人数が少ないので、日勤よりも問題が起こりやすいだけでなく一つの問題を対応していると連鎖的に問題が起きたりします(例えば自殺企図のリスクがある方であれば、個人的にですがやっぱり日勤より夜勤が心配になります。離院リスクがあるが行動制限はないという方であっても、やっぱり夜活動的になるとかね。そしてなにか対応中の時に別の問題が起きると、大体後手になるので良い結果がさよならするというね)

 こんな感じで精神科病院での一日が進みますが(どんな感じかわかりにくかったらすいません)、昨今のコロナ予防対応などもあって業務量が増えている病院も多いため、ゆる~くではありますが帰りづらくなりつつある病院もちらほらと…まあそれでも残業は一般科に比べてほとんどありませんが。ちなみに、この点については離職の原因としてはそこまで強くないと個人的には思っています。むしろ離職の主と言える原因は次に書く問題であり、今回のテーマです。

精神科は暴言・暴力にあふれている

 離職の大きな要因はやっぱりこれですね。人間関係はどの病院でも辞める理由のファーストくらいな勢いがあるので、それは置いときましょうか。
 まず日常茶飯事な暴言が精神科ではあります。精神疾患を持つ方とのコミュニケーションでは、通常では起こり得ない文脈で起きる話のズレはもちろんあります。それにより患者さんサイドでのイライラが募ったり、認知の歪みに伴って生じる被害的なものごとの受け取り方などが原因となったりした結果、残念ながら攻撃的言動を受けがちです。これはこれまで語られてきた精神疾患だけではなく認知症などの方から受けるものも含みます。なんなら、精神科でかつ閉鎖病棟などで対応してくれとお願いされる認知症の方は暴言・暴力の程度がなかなかにいかつかったりしますし…。暴言を真に受けてしまったりすることで苦しくなってしまったりしてしまい、そういうストレスによって疲弊してしまったりすることは少なくありません。

 暴力も普通にあります。あたり前田のクラッカーです。一般科での暴言・暴力も問題ですが、精神科で起きる暴力の質は、暴力の中の暴力でありまさに120%のそれです。そもそも病院内の日常的なエピソードの一つですし、エピソードトークの一つになることすらあります。残念なことに怪我で長期療養をスタッフが強いられるケースもたまーにあります。そんな暴力ですが、一重に言っても種類が多いです。

 患者→医療従事者の暴力、患者→患者の暴力。ここまでは誰でも想像できる問題ですが、看護師としてはこれより残念な暴力があります。それは昨今の報道でみられた方も多いかと思いますが、医療従事者→患者という暴力構造です。

 今回の話とはちょっとずれるのと、医療従事者による暴力については報道で散々語り尽くされている分野では在るのでのでかるーく触れます。浅学ゆえに誤っている考えかもしれません。諸問題の根本には支配構造・パターナリズム的なものがあったり、閉鎖環境による歪な関係性の構築とその伝承系統にあるのでは?と感じています。

  現実として1985年に起きた某事件から全体的な精神科の処遇は変わっているのは理解できますが、山村部の某精神科なんかでああいう事件が起きた事からも抜本的な改革はまだまだ必要と思われる事案ですので、これについてもまたいつか。

 さて、今回は患者→医療従事者の暴力をテーマに。暴力を受けた事がないなぁ、っていう方や見たことほとんどないよ!という勤務中の方はある意味では恵まれています。急性期の経験が少ないのかな?とも言えますが、チームとして患者さんに暴力をふるわせない、被暴力をなくす努力が出来ているという事かもしれません。そうであれば本当に素晴らしいです。はっきり言えば暴力がない環境でありたいとはみんなが常々思っていますから…。病状によってはある意味では仕方ないでけど、だとしても暴力はダメですからね、やっぱり。

 入院時は特にフルパワーで暴れる患者さんも少なくありません。無理やり入院しろと言われて納得できないのは無理も無い話ですが、やはり入院対応をする医療従事者も人間ですので、心情としては嫌だなあとはなります。病を恨んで人を恨むなという話かもしれませんが、病と人が表裏一体の疾患であり暴力もその中の一つであることから、なかなか難しい問題にぶち当たっているなぁと常々感じます。病気によって、本当のその人がしたくてしているとも言えない暴力や、わけがわからない事で自衛のために暴力をしているとわかっていても、暴力を受ける側からすれば辛いものには変わりありませんので。

 あと他には入院歴が長くても急性増悪によって暴力行為に至ってしまったり、衝動性のコントロール不良で暴力をしてしまうケースも少なくはありません。それだけ暴力が身近にあるのが実情です。

暴力が起きた時に行われる対応

 そんな暴力をしてしまう患者さんに対する対応、というか受ける処遇ですが精神科の入院中では概ね3種だよなぁと私は考えています。この3つのうち2は精神科医、3は精神科医の中でも精神保健指定医の診察で出る指示です。看護師はその指示を受けて服薬介助であったり様々な治療を実際に行うこととなります。

1.対話などを用いた振り返り・患者間の暴力であれば環境調整(距離をとる)、スタッフの場合は必要に応じて配置転換/患者サイドの病棟調整
2.薬剤調整(場合によっては鎮静がかかりますし拒薬の際は筋肉注射の施工指示などが出ることもあります)
3.隔離・身体拘束といった行動の制限
 ざっくりと言えばこの3つでしょうか。2は根幹になるので、1-2と1-2-3と連動して行われるイメージです。

 暴力をやめさせるために必要なことは、本来であれば1であげる対話が優先されるべきで、それだけで改善すれば暴力という問題に対して一番いい形での対応となります。ただ対話だけでコントロールできるケースであれば、それは概ね暴力に背景があり、暴力行為による解決方法しかなかったがそれをしてしまった患者さん自身も悪いことだったとわかっているケースであることが多い気はします。

 そもそも暴力自体は悪ですが、暴力を受けたサイドの落ち度が著しい場合も中にはあるので(妄想によって被害的に取られたとかではなく、明らかな暴言などをぶつけられた結果暴力になってしまうケースなどの事です)、その行為自体は不適切であってもその行為に至る心情などを慮ることが大切だと私は思います。

 また、環境調整だけで改善できる場合は先に上げた3には行き着きません。更に環境だけである程度改善する場合は薬剤調整はそこまで多い薬剤投与にはならず、あくまでも認知を変える過程でイライラしにくくなるようにサポートする事とつながるのではないかと思います。病気によって判断力がそれほど阻害されていない、という事の証左かもしれません。まあ、人格圏と呼ばれる方が暴力を活用した形で行う振り回しの一環として、病棟を自分の過ごしやすいような環境に作り変えようとしているケースは除いてくださいね。

 で、3になるケース。これは本来最終手段です。病気によって行動が支配されてしまい、また妄想などの内容を修正することが出来ず激しい他害行為をしてしまうという事で自身・周囲の安全を確保するために止むを得ずする事となります。法律上は精神保健福祉法の第36条を根拠として行っているものとなります。

 今回は暴力を例に上げましたが、身体拘束であれば医療的に必要であり放置できない状況であるが点滴加療の継続などを理解できないため短期間行う必要があるケース、自殺企図などの行動が傾聴対応・頓服活用などで対応しても十分に対応できず切迫した状況であるケースなどでも行われます。隔離の場合は身体拘束ほどの不穏ではないが、不穏行動があり器物破損などを起こしてしまうケース、対人関係で逸脱したトラブル(これは暴力だけでなく、残念なことに性的なトラブルに発展するケースもあります)などによって指示が出されることもあります。

 これらの場合は2の薬剤調整も合わせて行われる事がほとんどです。初発者である場合はそこまで薬を増やす選択肢はないでしょうが、慢性的に病気を抱えている場合に問題行動が生じた場合、多量投与(CP換算で言うところの1000 overです)の状態に至るケースもあります。なんなら使用できる抗精神病薬がないので気分安定薬をあわせて使用しているなんてこともありますし、ベンゾジアゼピン系でなんとか鎮静を図るなんてケースも…。その場合は抗精神病薬の副作用である呂律困難・ふらつき・錐体外路症状などの副作用出現に加えた追加薬の副作用といった別の問題に直面するわけですが…それだけ暴力の発生・改善を図ることは難しいケースといえるでしょう。もしくは、薬をそれだけ増やしても効果が出ない・出にくいというのは診断当初の病態の背景には別のものがあった、というパターンも考えられます(この辺の専門性は精神科医の領分です)

精神科入院の種類って?

 さて「精神科の入院はかならず自発的に入院できるわけではない」と精神科ナースの仕事の項目で述べましたし、暴力のことも述べたので前提の知識となる項目である精神科の入院形態についてざっと説明します。2022年7月時点ではありますが、日本では3つの入院形態が核となっています。任意入院医療保護入院措置入院です(実際には応急入院とか緊急措置入院とかありますけど、あえて細かい情報は割愛しますね)

 任意入院は文字通り本人の意志のもとで入院するものです。基本的には帰りたいとなったときには自由に退院できます。ただ、基本的にという事がポイントです。任意入院であっても、同意があれば閉鎖病棟へ入院するケースも普通にあります(病院が念のために、といったり入院対応できる病棟が閉鎖病棟であるケースが少なくないためです)。で、任意入院で入院開始しても病状が悪化した事が明らかであり、このまま退院することで様々な不利益を患者さんが被ることが予想できるような一定の要項を満たす場合で、かつ精神保健指定医の診察が行われた時に最大72時間の退院制限がかけられることもあります。大抵の場合では後述する医療保護入院などに切り替える事となります(この制度がある事で、任意入院の独立性という意味合いで適切なの?という意見もありますが、一旦退院制限を夜間帯でかけた後に日中再度検討、家族らとも相談した結果退院に至るケースもあるので必ずしも任意→医療保護へすぐに移行するわけではないという事を知っていただけると幸いです)

 さて、医療保護入院。ざっくりと言えば精神障害によって正しい判断ができない状況下であり、社会生活を送る上ですでに問題が生じていて今後悪化する可能性がある状況で、治療・入院によって改善が期待される時に家族や市町村長の同意によって入院する形態となります。自傷・他害のおそれがあるかどうかは実はポイントとはなりませんし、行政ではなく病院・家族の意思決定によって決定されます。

 この時点で本人の意思決定とは異なるので、医療によって本人の意志を妨げることには代わりありませんし、前述した暴力と遭遇するリスクも格段に高まる印象です。自傷他害のおそれは入院時点でなくとも、入院環境に置かれた時点で暴力行為に移行するケースは少なからずあります。

 また、入院に関して親子関係で問題が在る時に、法を悪用する形で入院させようとするケースもあります。これは実際に疾患があっても社会的に問題が起きておらず入院が本来必要であっても家族サイドとの問題・不和によって過剰に問題点を家族がフォーカスすることで起きる問題です。病院がそこに切り込むことはかなり難しく、労力などもかかりますが、問題として脚光を浴びるようになってきた事自体についてはよしとしましょう。

 そして措置入院ですね。これは複数の精神保健指定医によって診察された場合に出来る入院形態です。入院させないと自傷行為や他害行為が起きてしまうことがほぼ必須な状態であると判断される時に都道府県知事の命令によって行われます。行政によって行われる判断であり、人権的な側面から問題が在るのではないかとも言われる内容ですが…放置している方が確かに問題であるようなケースが殆どで、日本の社会を維持する視点としては必要だった法律なのかもしれないとは思います。

 海外は入院施設が少ない、開放処遇じゃないかという意見もありますが、それについても入院の代わりに問題行動があった場合に収容という形で対応するケースがあったりするので、正しさとはなにかを考えるとこの問題はなかなか難しいかと。もちろん、措置にせよなんにせよ漫然とした長期入院とならない事が前提としてあるべきですしそのための早期退院支援が必要となりますので、その点を忘れないことが大切とは改めて思います。

 こんな感じで、みなさんが想像している病院と比較すると明らかに異世界で異文化な法体系の元で入院形態が定められている、それが精神科です。
 およそ、この記事を見た医療従事者でない人はここまでを読んで「なにこれ怖い」とすら思うかもしれません。はじめはそれでいいです。でも、この世界は怖いだけではなく、愛も溢れています。それはつづきで。

暴力を受けたときのベテラン看護師の対応、患者さんではなく○○さんをみる事と、自分を大事にすることとは。

 ベテランの精神科ナースの中には暴言などを患者さんにぶつけられた時、バチバチに言い返すタイプの人もいます。前提として患者さんサイドの暴言があまりにも酷いケースは少なくなりません。理不尽オブ理不尽な暴論もあります。そういう時に颯爽と現れるママさんナース・お母ちゃんナースが「そんな言い方はあかん!それは□□さんに謝り!」とか、「もー!なんでそんなことするの!」と患者さんに強く怒っているなんて場面もあります。ある意味若手の看護師を守る強い存在とも言えます。下手すれば先生の言葉を上回っちゃいます。

 これについてはもちろん非の意見があって、原則的にみて強い言葉で言う事自体も不適切だという意見や患者さんは病気に左右されているんだから仕方ない事で、怒るべきじゃないという意見。これはもちろん理解できますし、私自身も極力避けています。ただ時代背景や関係性の中で必要だった時もあったのでは?と感じるところもあります。
(あくまでも医療従事者サイドからの暴言・暴力などとは違う、愛のある指摘です。体罰などはこれに当てはまらずもちろん論外です)

 さらにベテラン看護師ならぬベテラン患者さんの中にはそれを待っている…長期の社会的入院で実際の家族より○○看護師さんに見てもらう事が多かったなどの背景があり、「あーこの人はこの看護師さんに叱られたいんやろうなあ」という場面も体験してきたので、一概にダメと断罪することは現場で働いて思えない所もあります。なんていうか、こういうケースであればある意味微笑ましくもあります。

 大体後でその患者さんも「言い過ぎたわ…ゴメンな」と謝罪していたり、別のスタッフが「さっき怒られてたけどどうかしましたか?」と聞くと「あんなんおかしいわ!(って無理筋な言い訳を並べながらその人の話をするときには照れた表情を見せたりしている)」なんて事はよくあります。この辺はある意味で学校教育で見られた構造だなあと思う場面もあります。

 この関係性自体が患者さんvs看護師さんではなく、○○さんvs□□さんという構造になっていると思いますし。病気だからそこは苦手であってもその一線は越えたらダメじゃないの?という視点があり、愛がないと出来ない事です。こういう叱るようなパワフルな看護師さんは、めちゃくちゃ患者さんごとのエピソードも知ってるし、普段は患者さんとめっちゃ弾ける笑顔で会話してます。その人を人として諦めていないから出来る事ともいえるなあと最近は考えています。

 小中高のいつでもいいですが、殴り合いの喧嘩を友人がした時、なんでこうなったんだって思いますよね。そのとき特性・疾患があるからするんだではなく「こいつはこういう所あるよなあ」とか「なんでこいつがしちゃったんだ!」「それはそいつが殴られるような事してるじゃん」ってなりませんでしたか?精神科的な視線で言えば、もちろん疾患によって暴力の閾値が下がるケースがある事も事実です。しかしそれ以上に「○○さん、なんで□□さんを殴っちゃったんよ、だめやんか!」っていう病気云々の前に人としての思いだったり気持ちだったりを大事に出来る看護師でありつづけれるようにと、考えています。人として接する気持ち、病気だけで分類しカテゴライズするのではない考え・接し方が暴力などを乗り越えて社会に戻るために必要な鍵だと思っていますし、究極的なところでは私自身はそう信じています。

 ただ、こんなパンチの強い看護師さんもいる環境ですから、暴力や暴言で続けられないという事について「真に受けたらダメだよ」とか「メンタルが弱い」なんていう意見も未だに在ります。「私もそういうこと受けてきたけど今は大丈夫」という話を共感的なタイプではなく、私らの時代はこうだったやばかったよー路線での話をする諸先輩方の意見もあるかもしれません。
ある意味では励ましともとれるでしょう。でも、自分が至らないのかなって思うきっかけにもなりえます。

 ここからは冷静に考えてくださいね。強い暴言などを受けた時傷ついて仕事に行きたくないとかなるのって普通の反応ですよね?暴力なんてみんな怖いし、暴言言う人怖いよね?社会でいきなり暴言ぶつけてくるタイプの人、たまにいるけど、距離取るよね?え、看護師だったら逃げたらダメなの?逃げたくなる気持ち自体は普通だよね?

 ということで、傷ついた自分を大事にしてあげてください。私たちは嫌なこと言われても向かっていきますが、もしかするとこれこそが異常な事かもしれない。常にその行動は正しいのか?という姿勢を持って、自分・相手・社会を疑いながら物事と向き合っていける事が看護師として、いや人として大切だと思っています。

 それでも、私個人としては暴力や暴言を乗り越えながら、その人を支援するのが私にとっての精神科看護師の仕事と思ってやっているに過ぎません。
 あと、看護師は別に聖職者ではありません。社会に奉仕するかどうかについては個々の意思によって個々で決定すべきことですし、基本的に看護師全般で言えば知識を使って医療行為を業として行っている事にすぎません。完璧である必要はないんです。暴言を受けたりしたら「なんでそんなこと言われなあかんねん」と内面で思うことも自由ですか。看護師の○○さんなんて看護師が主体で呼ばれがちですが、違います。○○さんが人生経験の中で看護師としての資格を取得したにすぎないだけですから、まずは「○○さん」であることを大切にしましょう。


   やはり、看護>自分ではなく、自分>>>>>>看護です。


最後に

 まとまらない何とも言えない文章もこれで最後になりますが、この記事の最後は再三続いた余談です。もしかするとこれが最も攻撃的で挑戦的な内容の余談です。

 残念なことに一般科の看護師から「所詮精神科の看護師でしょう」とか、「精神科なんて楽でしょう」という声が出る事があります。なんなら「プシとか無理!」なんて言葉もありますよね。全員ではもちろんありませんが、経験則として少なくはないです。当たり前に言う人、今でもいる。

 一応、知らない方に簡単に説明するとプシ=Psychiatryの頭文字をとった略語で精神疾患の方を指し示す言葉として使われてきました。残念ながら医療業界においてこの言葉を使うことは、差別的な文脈で使用されてきた歴史があります。また個人的には身体管理・救命が出来るということ自体については尊いものと考えることは否定しないし、なんなら私には出来ないなあと思うことをしているだけで尊敬の念をもっています。けど出来ることを振りかざして順列をつけてしまう事についてはある種の問題であると。ましてや、ちゃんと把握していないことに対して下に見る目線。それってどうなんだろうかと常々思っています。

 さて、こんな時私はどうするか。「そうだよ仕事量少ないし楽だよ、だから精神科においでよ」なんて声をかけます。すると大抵「いやーやめとくわ、無理だし」と一目散に逃げていく言葉がつづきます。差別用語を言う人には誘いもしません。彼らがこういった反応をする理由は、あくまでも想像ですが先に上げた暴力がある環境という事だけではなく精神疾患に対する無理解・知らないものを怖いと思う事(これ自体は人間らしさにあふれているものです)だと考えています。また差別的なワードが平然と出てくることも無理解によるものです。

 しかもこれらは看護師という精神疾患を学ぶ機会があった人間が、なんです。実習などを通して接した経験がある人ですら、ぶっちゃけこれなんです。こんな状況で社会が寛容になれるわけがないですよね。知らないものを怖いとしたとしても、それを知識がある看護師も同じように捉えている現状ですから、Yahooニュースでも精神障害全般に対して激しい意見が出てもそれにGOOD連発なんてことになるのが普通になってしまっているんです。このような社会の中で犯罪を行った人の問題を、精神疾患単体の問題へとすり替えることは、犯罪を犯していない当事者を傷つけることに往々としてなりがちだと私は思っています。

 前述した暴力があるという実態を知る事と、上下関係の中で差別的に見ることはイコールではありませんし、言葉の暴力で返していいわけではない。ましてやバカにするような差別的言動を許してはいけないし、その当事者にこの記事を読んでいる人たちはなってほしくありません。

 今回この問題についてもがっつりは踏み込みませんでしたが、看護師同士や医療機関同士でもヒエラルキー的なものはたしかにあります。そのような背景の中でさらにくっそ忙しい一般科ですので、その中でうまくコミュニケーションし辛い患者さんと対峙する事がストレスになることも、「精神科で対応してくれよ。おたくら病院だろ、そっちの専門領域がメインにあるじゃんか」ってなる心情自体は理解できるものです。

 けれど、本来は役割が違うだけでそれぞれに専門性があって社会的に必要性があるものです。出来る出来ないという面だけでどっちが偉い偉くないとか善悪で語れる問題では到底ありません。ましてや社会的に違いを受容していこうよとなっている中で、序列を付けた見方を続けることが正しいのか、それについて私はYesと思わない。

 互いの役割も違えば、互いに出来ることも違う。全てにおいて優劣関係を考えたり、それを漫然と受け入れるはやめる社会になったらいいなあと思います。ダイバーシティ的な社会だからこそ、いろいろな働き方があってもいいはず。それが相互理解・相互尊重の始まりだし、患者理解ひいては他者理解につながる考え方の一つだと信じています。

 言葉の一つ一つを傷つけないように変えていけるのは今仕事をしている私達だからこそ。そんな社会構成員の一員になれたらなと思いながら…

 こんなイキリ倒した美辞麗句を並べつつ、気持ちの中では若干だるそうに、あー帰りてぇと思いながら病棟に向かう準備を。それでは、ほなまた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?