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弱者のnote戦略


はじめに

note世界の強者と弱者

人間社会には強者と弱者がいて格差があるように、noteの世界にも格差がある。

記事を公開すればあっという間に数十数百のスキがつく「強者」のクリエイターがいれば、いつまで経ってもスキがつかない、あるいは数件のスキしかつかない「弱者」のクリエイターもいる。

note強者とは、noteにおいての努力が実った成果である。
おそらく、フォロアーを増やすためにフォローバック目当てで積極的にフォロアーを作り、こまめに他人の記事を読んでスキをつけ、自分の記事内で他のクリエイターの記事を紹介して繋がりを作り、クリエイターとのつながりを増やす行動に多くの時間を割いている。
加えて、記事の品質向上にも努め、内容も世間やネットで話題になっている内容を集めて、それに沿った記事を制作する様にしているのだろう。

一方で、私を含めたnote弱者というのは、ただ漫然と自分が書きたいことを書いているだけ。
他のクリエイターの記事に関心がないから、フォロアーも増やさないし、コメントを書いたり他人の記事を紹介したりすることもなければ、他人の記事にスキを付けることすら少ない。
自分が弱者だと感じたら、上記の強者の活動のような行動を起こせば良いのだろうが、この様な活動には時間がかかる。
時間がかかるだけではなく、他人や世間に関心を持ってそれに追従する必要がある。

弱者はそういう手間を惜しむから弱者なのだと、強者は弱者を見下している。

なぜnoteで記事を書くのか

皆さんがnoteに記事を書いて公開する理由は何故だろうか。

「楽しいから」という理由はよく見かける。
note公式でも楽しめと言っている。
しかし、物理的な報酬を得られない行動を能動的に起こす理由として「楽しいから」は、理由を述べていないのに等しい。
単純に「楽しい」と感じたとしても、noteで記事を書きあげるまでには、記事のアイデアをひらめき、取材や調査をして、記事を執筆して、校正をし、公開をした後に他のクリエイターからのリアクションを受けるという、各プロセスがあり、その中のどこのどのような現象を「楽しい」と感じるのか。
加えて「楽しい」には種々の感情が含まれる。ゲラゲラと笑うようなおかしさがあれば、記事を書き上げた達成感だってあるだろうし、他人とコミュニケーションを交わす喜びもある。
「楽しいから」という理由は、具体的な感情や動機を表現できていない。

改めて、皆さんがnoteに記事を書いて公開する理由は何だろうか。
単純にPVを稼ぎたい、有料記事でお金を稼ぎたい、多数の人に注目を受けたいというのであれば、やはり冒頭に書いたnote強者になるための取り組みは絶対に行うべきだ。
しかし、それだけがnoteに記事を投稿する理由ではないはずだ。
単純に自分の思いを残しておきたいという理由だってあるだろうし、他人に公開をするにしても、自分を理解してくれた少数の人にが見てくれさえすればよいという理由だってある。

noteの活動にかけられる時間にも、人によって差があるだろう。
note記事の収益化で得た売上て暮らしている人はそれが仕事であるから、1日の大半をnoteの記事執筆と宣伝活動に時間を割けるだろう。
しかし、趣味でnoteの記事を投稿して他人の記事を読んでいる人であれば、仕事なり学業なりの、他の主要な行動の余暇を使ってnote活動をしているはずである。

そういう人たちは限られた時間内でnote活動をするしかない。
自分の記事を書こうとすれば、他人の記事など気にはしてはいられない。
自分に関心のあることを書きたければ、世間で流行っている記事など書いてはいられない。
それでは、投稿した記事が注目されることなどない。
自分の記事が注目されているかなんて気にしなければ良いのだがnoteにはダッシュボードというページがあり、ここで全体と記事ごとのPV数とスキ数を見られる。
数字というのは大小の比較がしやすい。具体的な数字を見せられると心が揺り動かされる。

私なんてつい最近、風邪をこじらせて体調もすぐれないまま、週末を潰して10万円近くかけて旅行をした旅行記を記事にしたが、そのPVは100件にも至らなかった。

noteのトップページを見れば記事が多数あり、自分の記事とは比較にならないほどのスキがついている記事も多数ある。
そんな記事に触発されて自分の少ないPVやスキを増やそうとして、自分の興味や関心を捨てて、世間に追従する記事を書き、他人の記事も多数巡回してスキをつけて回る様になれば、いつか他人や世間に追従するだけのnote活動になってしまう。
他人に追従するだけというのは、スキやPVの数を見て一時的な慰めにはなっても、いずれは疲弊する。嫌になってしまう。

弱者としてのnoteへの取り組み

理想は自分が書きたい記事を書き、それが多数の人たちの注目を集めて賞賛を受けることである。
しかし、その機会を得られるのは、卓越した才能に実力と、類まれな運に恵まれた、極々一部の人間だけである。
まず自分がそのグループには入れない弱者であると、認識して受け入れるのがスタート地点だ。

前置きが長くなったが、現在進行形でnote弱者の私が考えた、弱者なりのnote戦略を書いてみたい。
現在進行形のnote弱者の私が書いたものを参考にしても、何の役にも立たないかもしれない。いや、まず役には立たない。

私は自分勝手で他人や世間の流行にも興味がなく、つまらない記事を投稿しては、そのくせ自分の記事のPVやスキの少なさを嘆いて、他人の記事のスキの多さを嫉妬する、しょーもない人間である。

「楽しいからnoteで書いている」と強がっている貴方だってそうだろう?

だからこそ、自分勝手で夢見がちで、そしてものぐさな弱者もできる戦略を集めてみた。
弱者だからこそするべきことに絞ってもみた。

せっかくこの記事を開いてくれた読者を煽るのは自分でもバカだと思うが、弱者なりに考えた戦略を以下に開陳していく。

note記事の品質を上げて維持する

美味いラーメン屋が儲かるラーメン屋にはなれないように、面白い記事を書く人が人気クリエイターになるというものでもない。
とはいえ、まずいラーメン屋からは客が離れていくように、noteに公開する記事でも、いつか来るかもしれない成功の夢を見続けるのであれば、最良ではなくても、一定のボーダーラインを越えた品質を維持しておきたい。

では、記事の品質を上げて維持するにはどうすれば良いか?
弱者なりのやり方で考えていきたい。

文章術はアンチパターンを参考にする

noteに記事を投稿する以上は、良い文章、良い記事を書きたい。

そこでnoteで#文章術やら#文章力で検索をすると、山ほど検索結果に記事がでてくる。
全部の記事の言うことに従った記事など書けないし、書けたところで、その記事が良い記事になる保証もない。

そのような中でも、この記事は多くのクリエイターにとって参考になると思えた。

この記事は「こう書けば良い」ではなく「こう書くとわかりづらい」という情報に特化している。
これは、自分の個性を失わずに品質を上げるアプローチとして、有用である。
マニュアルではなく、アンチパターンから学ぶわけだ。

他にもnote記事を色々見て回って、自分なりにアンチパターンをまとめてみるのも良いだろう。
こういった情報から自分の記事を見直すのは、品質を上げる有効な道だろう。

基本に立ち返る

今更この記事で、「てにをはの間違いを直す」とか「同じ形容表現を繰り返さない」とか「書き上げたら一日をおいて見直す」といった、基本的なことを述べるつもりはない。
しかし、これらの基本は、漫然と記事を書いていると忘れがちになる。
やはり、基本は必ず守るべきものだからこそ基本なのだろう。
創作期間が長くなると慣れが出てきてしまい、こういった基本を忘れがちになるからこそ、むしろ忘れないようにしておきたい。

この心がけが、品質を維持する第一歩だろう。

投稿文字数を決める

私のマガジンには「1メロス記事」がある。
ちょうど10,000字の記事を執筆するのだ。
ついでに、この記事もちょうど10,000字だ。

このちょうど○文字という文章は、難しいようで書いてみると意外と書けてしまうものである。

文字数を1文字単位で揃えるには、細かい助詞助動詞の誤りを直しながら、より適切な語句を当てはめる作業が必要になる。
これは本来、文字数を揃える必要がなくてもやるべき作業である。

自分で書いた記事の自己校正というのは、内容を把握してしまっているために、細かい誤りを見逃しがちになる。
それをこういった工夫で自己校正の精度を上げるのも、テクニックの一つだ。

文豪や有名作家の文章が最良と思わない

世の中には文豪や有名作家と呼ばれる人たちがいて、過去の歴史上にもいた。
彼らは尊敬を受け、彼らの代表作品は傑作と呼ばれている。

仮に彼らの作品が世に発表されておらず、それを貴方が何かの拍子に見つけて、無名な貴方の名前で世に発表したとして、貴方はその文豪と肩を並べる作家になれるだろうか。
これは、貴方が自分で書いた作品が劣っているから、ということを言っているのではない。

彼らの作品は文学賞を受賞するなり、出版社や同人サークルの広告活動の支援を受けて発表した作品である。
読者にとっては内容に価値があると、保証された作品である。

振り返って、私たちnote弱者の記事はどうだろう。
公開後何日も経ったのにスキが数件しかついていない記事を、どう思うだろう。
noteで他人の記事を上から開いて、それぞれ流し読みをした経験があればわかるだろう。
最後まで読むと面白くなる保証のないまま、冒頭からしばらくは我慢して読み進めないといけない。
我慢できずに離脱することだって稀によくある。

それであれば、貴方の名前でnoteに歴史的傑作を載せても同じだろう。
文学的傑作が、冒頭から読者を惹きつける作品とは限らない。

noteに投稿する記事は、noteの特性に合わせた文章を書く必要がある。
具体的には、読者が貴方の記事を読み続ける動機や理由を、冒頭の段階で提供する必要がある。
貴方が文章を書く理由の一つに、尊敬する作家や文豪のような文章を書きたいというのは多いのではないだろうか。
そして、実際にそのような作家の文章を真似て書いている人もいるだろう。

しかし、貴方が目指して到達できた文豪並みの文章よりも、貴方だけのnoteに合った文章の方が、noteでは読者に受け入れられるかもしれない。

ビジネス文章の書き方にも従わない

今のご時世、仕事で文章を書く人も多いだろう。
そういう人たちは、文章の書き方について、何かしらの指導を受けた経験があるはずだ。
いわゆる「てにをは」と呼ばれる助詞の使い方や、5W1Hを示せとか、主語を必ずつけろと言われたり、先頭で結論を述べろという、あれである。

これらもnoteで公開する記事においては、全てをそのまま適用するべきかは考え直したい。
助詞の正しい使い方くらいは日本語で文章を書く以上どこでも必須で守るべきものだが、何でもかんでもビジネス文章と同じルールで書けばよいとは限らない。

というのは、ビジネス文章とnote記事には決定的な違いがある。
ビジネス文章は読者が内容について既に興味を持っている状態であるのに対して、note記事記事を開いてもらった読者に記事の主題に興味を持ってもらう必要がある。

この違いは決定的と思われる。

ビジネス文章は、読者が欲しい情報をわかりやすく提供さえすれば良い。
一方のnoteでは、読者が記事を読み進めるために、冒頭で読者の関心をひかなければならない。時には勿体ぶったり、倒置法を使ったり、外しの表現をしたりも必要となる。
これは、ビジネス文章のルールからは外れた技術だ。

noteにはnoteに向いた文章があり、noteだけで輝ける文章がある。
noteでは自分だけのnoteのスタイルを探っていくべきだろう。

noteの投稿を継続する

「継続は力なり」とは言ったもので、やはり継続した投稿には価値がある。
同じ駅の様子を写真に撮って投稿するだけでも、それが30年間に及べば何かしらの価値が出るだろう。

noteに限らず他のSNSや投稿サイトでも同様だが、ふと見つけた面白い記事が、既にそのアカウントでの投稿が数年前で終わっていたら、その落胆はかなりのものである。
note弱者が投稿した記事でも、面白い記事、価値のある記事というのはある。
その記事が価値を持ち続けるためには、そのアカウントで投稿を続けなければならない。

投稿をすればそれだけで多数のPVがつくnote強者や、収益化に成功したクリエイターであれば、それ自体がモチベーションになるから自ら継続を辞める動機を探すのは難しいかもしれない。
一方でnote弱者にとっては、noteの投稿を継続する理由を探すのは難しい。
何度でも書くが「楽しいから」では、楽しくなくなったそれで終わりである。

では、note弱者が投稿を維持するにはどうするべきか、この点も考えていきたい。

自己評価で60〜80点の記事を投稿する

「人は自分以上の仕事も、自分以下の仕事もできない」
とは誰が言ったのか。
完成した記事を見て、自分では出来が悪いと思ったり、傑作と思ったりするのは自由だけど、他人が見たらどんぐりの背比べ、自分が思っているほどの差はない。

小タイトルの通り、noteの投稿を長く継続するのであれば、自分が制作をした記事は自己評価で60点から80点の中に納まるように作りたい。
誰に評価されるわけでもない、自分自身の評価であるから基準は好きに決めたらよい。
文豪の傑作を100点としても良いし、ポータルサイトの無名なライターが書いたな文章を満点としても良いだろう。
自分の作品がその目標に対して、80点から60点の間に収まるようにするのだ。

自分の記事が100点満点だと思ってしまうと、これから先の記事制作に必要なモチベーションが作り切った満足感で止まってしまうだろうし、自分はあれ以上の記事を作れないのではないかと思ってしまう。
逆に60点以下だと、目指すべき目標が高すぎて到達できないと思ってしまうし、合格点にも達していない作品を公開するというのは、今後の制作意欲を減退させる。

自分が作れる記事で最も良い作品の、せいぜい2割5分増し程度を目標とするのが、記事制作を続けるコツではないか。

投稿ペースは自分で決める

noteには毎日投稿のタグがあったり、毎週投稿や毎月投稿を続けると、投稿時にポップアップが表示されて、投稿の定期的な継続を煽るようにできている。

この煽りを真に受けるのは、あまり関心しない。
記事制作にかかる時間は人それぞれである。
投稿ペースも人それぞれで良いはずだ。

毎日投稿をしている人を見て、自分も、なんて始めてもきっと良いことは無い。
まずは、記事を作ってみて、自分にとって無理のない投稿ペースを掴むのだ。

投稿をしたくない時は投稿しない

投稿ペースを決めたとして、その投稿ペースを守れないという事態は往々にして発生する。
体調が悪い、仕事が忙しい、ネタが切れた、ただ面倒くさい等々。理由はたくさんある。

投稿ペースを途切らせまいと無理をして投稿を続けるのは、特に弱者にとっては限界がある。
note投稿が苦痛になるのであれば、無理をせずに休んだ方が良い。

この記事は、あくまでnote弱者向けである。
note弱者の貴方の記事を待っている人はほとんどいない。
貴方が投稿をしたくなければ、投稿をしなければ良いのだ。

そして、また投稿をしたくなった時に何の忌憚もなく投稿を再開すればよい。
要は定期的な投稿が途切れても、再開をしやすい下地を作っておくのだ。

過去の投稿は消さない

これ、結構なフォロアー数を持つ強者noteクリエイターが良くやっているが、私はあまり関心しない。
一応、彼らにも理屈はあって、私に期待してくれた方に過去の面白くない記事を読ませたくないのだそうだ。

確かに、note投稿が長くなると、初期の記事と最新の記事で作風が変わることもあるし、クリエイターの成長で最新の記事の方が良い内容になっていることはあり得る。
根本的に信条が変わってしまい、前と今で主張内容が180度変わってしまったということもある。

しかし、そんな過去の記事であっても残しておいた方が良いと思う。

クリエイターページの記事一覧に表示される記事は、最新の記事が上に表示される。古いのは下になる。マガジンも並び替えをしなければ同様だ。
それで、わざわざ古い記事まで辿って読んでくださる読者は、そのクリエイターの相当なファンなはずだ。
そういった方は、きっとクリエイターの変化や成長も含めて受け入れる。
せっかく、古い記事までさかのぼって読もうとしてくださる読者がいるのであれば、それに応えるのもクリエイターの責務ではないか。

あまり自分の過去の記事を否定するのも、note投稿を続けるモチベーション維持の阻害要因になる。
どんなに過去の記事が稚拙であったり不出来であっても、あの時の私はこうだったなと、受け入れるくらいの心の余裕を持っておきたい。

フィールドワークで記事を作る能力をつける

長くnote制作を続けるには、どうしたってネタ切れという問題を乗り越える必要がある。
元々温めていたネタ、思い出話では、いずれネタ切れを起こしてしまう。
読書感想文だって、同じ人間が好みに合う同じような本の内容ばかりを紹介していたら、いずれ食傷状態になる。

すると、日常的な出来事で記事を作るしかなくなる。

飲み屋で飲み明かして楽しかった、テーマパークへ行って楽しかった、という経験は誰でもあるだろう。
これをnote記事で表現する際に、単純に「楽しかった」だけで終わらせない文章表現の技術を身に着けていきたい。

何なら、普段の通勤通学では通り過ぎるだけの駅に休日に降り立ってみて、その体験だけで記事を書けるようになりたい。
近所の公園のベンチで数時間過ごして、それも記事にしていきたい。
毎日行くスーパーの買い物で、何か記事になるネタを拾い上げたい。

こんなことばかり考えて生活するのは、それはそれで苦しいだろうけど、noteでの投稿を始めたからには、たまにはチャレンジをしてみるのも良いのではないだろうか。

フィールドワークというのは、日常的な風景に思えて普段と視点を変えると、思わぬ情報を得られる。
こたつ記事を批判するつもりはない(この記事だってこたつ記事だ)が、特にこたつ記事に記事内容が寄ってしまった場合は、フィールドワーク記事に挑戦してみるのは良いのではないだろうか。

noteの機能を活用する

noteを使って発信を以上は、noteの弱者であってもnoteの機能や特性を理解し、有効に使っていきたい。

ハッシュタグはメジャーとマイナーなワードの両方を付ける

noteにはブログやSNSやX(Twitter)と同様に、ハッシュタグ機能がある。
ハッシュタグによる機能は多数あるが、特に記事に関連のある検索ワードを、投稿者側で指示をするわけだ。

例えば「#国内旅行」というハッシュタグで検索をすると、この記事を書いている2024年7月8日で18,189件の記事がヒットした。
ハッシュタグ検索の検索結果画面には「人気」「急上昇」「新着」「定番」のタブがあり、このタブクリックでその名称でソートした記事が表示される。

「新着」は、その名の通り記事が投稿された日時降順に表示しているから、note強者もnote弱者も同列に扱われ、note弱者の投稿した記事でも投稿したばかりであれば上位に表示される。
しかし、「人気」「急上昇」「定番」はどうだろう。
まだ、「急上昇」はスキの数が10件程度の記事も見られるが、「人気」に至っては数百件のスキが付いている記事が並び、「定番」に至っては数千件のスキが付いている記事が上位に現れる。
つまり、note弱者がメジャーワードのハッシュタグをつけても「新着」に一瞬だけ表示されたあとは、誰の目にも止まらない状態になる。

さらに、タグ検索をする人で「新着」タブで記事を探す人は少ない。
まずは、品質の保証された「人気」や「定番」に掲載された記事を見て、しょっちゅう検索しているワードであっても「急上昇」で、新着の中でも高品質な記事を見たいのが読者側の心理だろう。

であれば、我々のようなnote弱者は、メジャーなワードのハッシュタグだけを付けても、そのハッシュタグの賑やかしにはなっても、自分の投稿した記事が注目される可能性は極めて低い。

「#国内旅行」ではなく「#選挙」で検索してみた
やはり「人気」タブの上位に出る記事は千件以上のスキがついている

これが「#萩山駅」になるとどうだろうか。
「#萩山駅」ハッシュタグは、前回の私の記事に付けたタグでもあるのだが、この「#萩山駅」で検索すると、検索結果に出てくる記事は10件のみである。
「人気」「急上昇」「新着」「定番」のタブ全てに10件の記事が表示される。
萩山駅でnoteを検索する人とGoogle検索でnote記事にたどり着く人も、いずれも極めて少数だと思われるが、その少数の人はかなりの高確率で貴方の記事を読んでくれるはずだ。

マイナーワードのタグでPV数は稼げないが、長い期間で確実に数件のPVは見込める。

記事を投稿しても少ないPVしか得られないnote弱者としては、まずは投稿数の少ないマイナーなハッシュタグを付けて、確実に1件でもPVを稼ぎたい。
note弱者は、まず0と1の高い壁を意識するべきだ。
マイナーワードといっても、誰も投稿していないワードは止めておくべきだ。そもそも、そのワードで検索してくれる人が居なければ、そのタグは意味をなさない。

マイナーなタグばかりでは、どうしてもPV数の伸びには限界がある。0から1の壁を越えたとしても、それから先の壁だって乗り越えなければならない。
すると、メジャーなタグも忘れずにつけておきたい。
メジャータグから何かのまぐれで注目を浴びる可能性だって、ゼロとは言えないからだ。

スキやフォローやコメント機能で弱者同志がつながる

この記事の冒頭で、note弱者について「他のクリエイターの記事にも関心がないから、フォロアーも増やさないし、コメントを書いたり他人の記事を紹介したりすることもなければ、他人の記事にスキを付けることすら少ない」と書いた。

とはいえ、弱者は弱者同志でつながっておきたい。
noteアカウントを作って何件か記事を投稿すると、とりあえずフォローバック目当てのnote強者からのフォローがやってくる。
これらは、本当にあなたの記事を気に入ってフォローをしてくれたのかもしれないが、大抵は自分の記事に誘引するためのものだ。
このようなフォローもありがたくはあるが、note弱者であれば、自分の記事を読んでくれる人は、やはり自分で探しに行くしかない。

まずは、自分が投稿した記事と類似のジャンルを投稿しているnote弱者、すなわちスキがあまり付いていない記事にスキを付けていきたい。
スキがあまり付いていない記事というのは探しづらいものだが、とりあえず新着記事やマイナーなワードのハッシュタグ検索をすれば、そういう記事も見つけ出せる。
もちろん、内容が気に入らいない記事にまでスキを付ける必要は無いが、ある程度コミットできる内容であれば躊躇いなく付けておきたい。

note強者の記事にいくらスキを付けても、碌なリアクションは期待できない(多数のスキが付くのだから当たり前)が、note弱者の記事にスキを付ければ、結構な割合で自分の記事にもスキ返しをしてくれる。

ここからフォローをし合ったりすれば、貴方の記事が読まれる確率は高くなる。

コメントや記事リンクの埋め込みは、その記事のクリエイターとつながる強力な機能だが、記事へのコメントは褒めるだけにしておきたい。
批判コメントを書くくらいであれば、黙ってその記事を閉じよう。

見出し画像は付けた方が良い

さいごに、記事の見出し画像は絶対に付けた方が良い。

文字だけの画像でも背景の色やフォントの種類で、クリエイターの記事に対する意気込みや拘りやセンスがあらわれる。

noteから見出し画像を作成・引用するツールは出しているが、この機能をnoteで有効活用しているクリエイターはまだ少数であるように思う。
最近はAIで画像生成ができるようになっている。

なので、この記事でもAIのアニメ画像を見出し画像にしてみた。

もしあなたが見出しが画像につられてこの記事を開き、ここまで読んだなら大成功である。

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