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笑いのカイブツという小説を読んで思ったこと。


こんな風に、熱い気持ちになれたのはいつぶりだろうか。

あらすじなんてものは説明したくないのだが、ざっくり言うと、小中高と全く日陰モノだった主人公が、お笑いだけに生きる意味を見出して、高校を卒業してからも狂人のように、笑いだけを追求して、それでも夢破れて、唯一味方になってくれた恋人さえも失って、それでもまたお笑いに挑戦して、そして、やっぱり夢破れる男の話だ。

けれど、最後の最後に、自分の中のカイブツを、心に住み続けたカイブツを、寂しそうなこのカイブツを、書かなきゃいけないと、筆を取り、この本を書き上げるまでの私小説だ。

心は高揚して、うぉー!すげえものを見た!って、それだけを伝えたいがために、机の前に座って、キーボードをカタカタと打って、読むかもわからない読者のために、なんとなくあらすじを書いている自分に、虫唾が走る。

そんな小説だ。

この小説の主人公、ツチヤタカユキは、本当に狂信的にお笑いを信じ、笑わせるとはどういうことなのかを考え抜いて、インプットにインプットを重ね、年柄年中、時間を忘れるように、ボケを考え続ける心の底からのお笑い少年だ。

この本を読んでいるとき、熱くなる胸を押さえながら、「俺にもこんな時があったな」なんて考えている自分に気がついた。

大学1年生の時、私は高橋洋の「浴びるように映画を見続けたある日、何かが決定的に変わる」という言葉を信じ、映画を見続けた。大学から帰って、すぐに映画を見始め、毎日毎日4,5本の映画を見続けた。日本の映画も、アメリカ映画も、フランス映画も、インド映画も、気になればなんでも見ていった。金に糸目は付けず、なけなしの財布を叩いて、劇場に足を運び、ここでしか見れないというDVDを探し、ありとあらゆる映画を見続けた。

気づけば朝になって、寝ずに講義へ向かい、それでも映画を見たくなって、講義を抜け出して、図書館で映画を見た。そして、友人のサイコくんに見た映画の感想を伝えては、女のケツを追う同期を貶し、馬鹿みたいな映画論を語る教授に牙を剥き、「お前らリュミエールも、ヒッチコックも、フォードでさえ、ろくに見ないくせに、どうして映画なんか撮りたくなるんだよ」と、息巻いて、家に帰った。

そんな日々を思い出した。

笑いのカイブツの主人公も、そんな生活を送っていた。僕はそんな時分を懐かしく感じた。たかだか5年前の記憶を懐かしみ、「俺もこんな風に尖ってた」なんて、上から目線で、なんの切迫感もない涼しい研究室で、来訪する学生を無視しながら、ページを進めた。

恥ずかしかったのかもしれない。

この小説の主人公のように、私は真剣だったのだろうか。ただひたすら映画を見て、映画とは何かと考えて、出した結論を、仲間内の小さな映画現場で実践して、これでもダメだあれでもダメだと、死にたくなりながら、過ごしたあの日々は、本当に真剣だったのだろうか、と考えてしまった。

この主人公はたった一人で、世間に砂嵐を巻き起こそうと、死に物狂いで努力し続けた。不器用でも愚直に、正しさを実践し続けていた。

私は、一度でもそんなことをしたのだろうか。一瞬、この主人公と自分を同化し、「これは俺だ」と、ページをめくった自分を恥じた。私はこの主人公ほど、映画に真剣でなかったと、知った。そして今からでも、映画に真剣に向き合いたいと思った。

読んでないものからすれば、何が何だかわからないだろう。

読んだところでわからないかもしれない。

私はこの主人公に救われたのだ。この小説に救われた。私が過ごしたあの暗く短いトンネルは、確かに正しさの中にあって、そして、それをただ単純に生きがいのように、生きる意味のように、純粋に駆け抜けたあの瞬間は、間違いなく相応しかったのだと救われた。

と同時に、まだ足りない、こうできた、それなのにこうしなかった、ああやってしまった、そんな後悔を否応なく押し寄せさせる作品だった。そして、私はやっぱりこの主人公とは違うと感じさせ、それでもこの主人公と同じだと感じさせ、そして、何か描きたくなる衝動に駆られて書いている。

私は私の中のカイブツと対話できているのだろうか。カイブツは苦しんでいるのだろうか。

いま、私は大学で学生相手にピーピー抜かしながら、クソみたいな老害のように、最近の学生は、俺たちの時には、と息巻いて、ろくに映画も見ずに、映画も撮れずに、ただ日々を淡々と過ごして、これじゃいけないと思いながらも、これでいいんだと納得して、誰か一人にでもぶっ刺さる映画を撮りたいんだと言っていた自分を、カイブツを置き去りにして、色んな人に見られる映画を作りたいと宣っている。

死にたくなる。

そして、こんなことを、平然とこの場にかけてしまう自分にも辟易とする。そんな時間などないはずなのに、書かなきゃどうしようもない自分にイライラする。

この小説を読んでいる最中、「文章は別に上手くないんですよ、でも刺さるもんがあるんですよ」なんて、周りに宣伝して、でも本当は、悔しさと胸糞悪さと、こんなんじゃダメだよ、と、背伸びして大人になりたがっている自分に嫌気がさした。

そして、やっぱり、こんな場所に、誰が読むかも知らない便所の落書きみたいな場所に、「俺はここにいるよ」とでも書いているかのような文章を、書いてしまえる自分にイライラする。

ありがとうツチヤタカユキ。

ありがとう笑いのカイブツ。

もう一度、自分の中のカイブツを呼び覚まし、世間に砂嵐を起こしてやる。そう信じてやまなかった、あの幼稚で無邪気で、そして最強の自我を取り戻してやる。

何を言いたいかというと、読んで欲しいのだ。

とにかく、読め。

この小説は2022年公開予定で、映画化が決定している。監督が誰かなんてどうでもいいが、すごくすごく公開が楽しみだ。少なくとも映画が公開される時、私は今の私のままでいたくない、そう思ってしまう作品だった。

命を削るようにネタを生み出し、圧倒的な質と量の投稿で「伝説のハガキ職人」と呼ばれた主人公。作家を志すも「人間関係不得意」のため挫折の連続。やがて死を想うようになった彼の頭の中に、奇妙な「カイブツ」が棲みつき、主人公を叱咤し、罵倒し、打ちのめす。これは妄想か現実か?熱狂的なこの青春の行く先は何処?笑いに取り憑かれた“伝説のハガキ職人”による心臓をぶっ叩く青春私小説。

「BOOK」データベースより


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