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【連載小説】「愛のカタチ・サイドストーリー」#9 ふたりでひとつ

前回のお話(#8)はこちら

兄への祈りが届かなかったことに思い悩んだかおりでしたが、純のまっすぐな思いに触れて救われた第8話。第9話では、8話でかおりの想いを聞いた純が、思い切った行動に踏み切ります。二人の愛のカタチがいよいよ結実。続きは本編で。


この日の出来事はおれの、おれたちの関係のあり方を考えさせる大きなきっかけとなった。

おれのことを必要としてくれるかおりさんのために変わりたい、と心底思った。ただ抱きしめておしまい、ではなく、かおりさんをまるごと受け容れられるようになりたいと。

それは、おれが一人の人間として歩み出す勇気を持ちたいという強い気持ちの表れでもある。これまでとらわれてきたあらゆる観念から解放されたい。新たな気持ちを持って生き直したい。おれもまた、かおりさんを必要としているから。

***

大学の春休みを利用し、おれは旅行の計画を立てた。かおりさんの車の旅はいつも日帰りだったが、今回は新幹線に乗っての遠出だ。関東甲信越にも見所や訪れてみたい場所はたくさんあったが、今回はどうしても「そこ」でなければならない理由があった。

「着いたわね」

かおりさんは、広い京都駅のプラットホームを見回しながら言った。

そう、おれが行きたかったのは京都。それも清水寺だ。修学旅行でも行ったし、誰もが一度は訪れたことのある場所だろう。それでも、だ。境内の、めぐっていない「あの場所」におれは行きたい。行かなきゃならない。

少ない荷物を持ち、駅からタクシーで清水寺へ向かう。春休みと言うこともあり、平日にもかかわらず人は多かった。しかし大抵の人が、本堂や音羽のたきに向かっていくのに対し、おれは真っ先に三重塔に隣接する随求道ずいぐどうを目指す。

随求道の胎内めぐりは、大随求菩薩だいずいぐぼさつの胎内に見立てたお堂で、中にある石に触れながら願掛けをすると願いが叶うと言われている。

「一人ずつ入るんですって。……純さん、先に行く?」
 行く手に広がる闇を前に彼女は振り向き、おれの顔を見た。

「かおりさんが先でいいよ。おれはあとからついていく」

「……真っ暗闇は苦手だけど、じゃあ、先に行くわね」

胎内を再現したとあって、中は暗いらしい。本当は手を繋いであげたいところだが、ここは彼女にも怖さを克服してもらって、一人で進んでもらう。かおりさんは恐る恐る前へと歩き出し、闇に消えていった。

たった一つの、どうしても叶えたい願いがある。他のことはどうでもいい。唯一、これさえ叶えばいい。たいそうな思いを胸に抱き、かおりさんが消えていった闇の中へ足を踏み入れる。

一筋の光も差さない、真の闇が迫る。なるほど、これが胎内だと言われればそうに違いない。壁を頼りに、どのくらい続くのかも分からない、何も見えない道をひたすらに進む。

進むにつれ、とても不思議な感覚に包まれる。まるで、母親の胎内に還ったような安らぎと温かさ。とうに忘れているはずなのに、なぜだか懐かしいとさえ感じる。

母親の胎内をイメージした瞬間、閃光が脳内を横切った。何が起きたか考える間もなく、そのわずかな時間に大量の過去の記憶が駆け巡る……。

『決めた。この子の名前は純にする。純粋の純。純白の純。清らかな心の持ち主に育って欲しいもの』

それは確かに母の声だった。顔は見えない。どうやらおれは胎内から聞いているようだ。続いて父の声も聞こえる。

『えー? 俺はやっぱり球児とか塁とか、いかにも男っぽい名前にしたいんだけど。野球やらせたいし』

『だーめ。一人目は私に決めさせてくれるって言ったでしょう?』

『……まあ、いっか。橋本純。ああ、いいかもしれないな』

『決まりね! はーい、今日からあなたは純よ。早く会いたいなあ』

『すぐに会えるさ。な、純?』

二人が腹を撫でているのが分かった。愛おしそうに、愛を込めて、本心からおれに会いたいと願っているのが伝わってきた。

二人の間に生まれてよかった、とはじめて思った。愛し合う二人がいたから……そう、おれはひと組の男女の交わりがあったから今、ここに居るのだと改めて実感する。

その男女の営みが、生命を生み出す行為が、おれには出来ない……。ずっとそう思っていた。かおりさんと親密になればなるほど、自分の無能さに苦しんできた。精神的な繋がりだけを求めていると口では確認し合っても、身体の芯の部分、魂レベルではやっぱり、かおりさんの求めに応えたいと願うおれがいる。

だからおれは、生まれ変わりたいと思った。もちろん、今のおれを全否定するつもりはない。こんなおれもいていい、とは思う。だけど、今のままでは絶対にかおりさんを真の意味で幸せにすることは出来ないし、それはおれも同じだ。

幸せになりたい。かおりさんと一緒に。おれを一番理解してくれる彼女とともに。

歩みを進めると、照らし出された石に出会った。これが……。

おれは目をつぶり、石に触れながら真剣に祈った。男の身体に生まれたおれが、男としての役割を全うできるように。かおりさんと愛し合える身体になれるように……。

今度はまぶた越しに強烈な光を感じた。その光が誰かの大きな手になっておれを包み込む。おれの直感が神の降臨を告げる。にわかには信じがたい。けれど、そうとしか言いようのない温かさと力強さを感じるのだ。

おれは祈り続けた。生まれ変わりを望んだ。そのとき、おれの中の根っこの部分に強い力が入り込んできた。同時に、今までに感じたことのない、身体の奥底からみなぎる何かが、抑えつけようのない何かが湧いてくる。

我慢できずに目を開けた。が、開けたかどうかも分からないほど周囲は暗い。後ろの人にせっつかれて、ようやく意識がここに戻ってくる。

一瞬だけでも夢を見ていたのだろうか。そうは思いたくない。おれは確かに神に触れた。神から力を授かったのだ。

(神様。ありがとうございます……)

何度も礼を言い、光る石をあとにする。出口が見え、光の世界に舞い戻ったら、あまりの明るさに目が眩んだ。一瞬どこに居るのか分からなくなり、心細くなる。

「純さん」

かおりさんの声が聞こえ、同時にその手がおれの腕を取る。不安は一瞬で消え去り、安心感がおれを包み込んだ。

「なかなか出てこないから心配したわ。……長い間、祈っていたの?」

「うん。これだけはどうしても叶えたいから」

「純さんの願い事って何かしら?」

「かおりさんが教えてくれたら、おれも教える」

「内緒に決まっているでしょう? ……でも、二人に関係すること。それだけは教えてあげる」

「そうなんだ。おれも同じ」

「……叶うといいわね」

「ここまで来たんだ、叶ってもらわなきゃ困る」

意地になって言うと、かおりさんは少し心配そうな顔をした。こんな顔を見るために京都まで来た訳じゃない。おれは「よぉーし!」と気合いを入れた。

「ホテルのチェックインにはまだ早いし、このまま市内の寺院めぐりだ。行きたいところ、ある?」

「ええ、たくさん」

かおりさんは、待ってましたとばかりに持参した旅程表を取り出した。そこには訪れたい寺院名と、バスの時刻がびっしりと書き込まれていた。

***

有名どころの寺院を中心に巡り、夕食を済ませてホテルに着くころには九時近くになっていた。部屋に入って荷物を置き、一息つく。窓からはかろうじて京都タワーが見えた。が、期待していた景観にはほど遠い。

「……夜景でも見に行かない?」

おれはちょっとかしこまって、かおりさんを展望ラウンジに誘った。あと数ヶ月で二十歳になるのをいいことに、年齢を偽ってカクテルを注文する。バーテンダーがシェーカーを振り、三角形のグラスに液体が注がれると、急に大人びた気持ちになった。かおりさんも同様にショートカクテルを頼み、二人揃ったところで乾杯をする。

一口飲む。カクテルは、レモンがきいているのか、酸っぱかった。喉を焼くアルコールに目の覚める思いがする。

「おいしいわね」
 かおりさんは満足そうに言うと、続けて何度か口をつけた。彼女の方は赤くて甘そうだ。

ラウンジから見る京都の夜景は格別だった。かおりさんといるから余計にそう感じるのかもしれないが、いつか二人で見た、黄金色のイチョウの葉をちりばめたように美しい。

「今日はありがとう。素敵な一日だったわ」
 かおりさんはグラスを見つめながら言った。

「わたしの願い事はもう叶ったようなものね。……この先もずっと、あなたと一緒にいたい。こんなふうに語り合って、穏やかに過ごしていきたい。そう願ったの」

「かおりさん……」

「純さんの願いはもっと壮大なのかな……。例えば、二人で世界中を旅したい、とか」

「……その前におれは、かおりさんを知る旅がしたい。それも出来ないで、世界中を旅することなんて出来ないよ」

「えっ……」

おれはかおりさんの手に自分のそれを重ねた。そしてまっすぐに見つめる。

「おれの願いは、かおりさんと……身体ごと繋がること……。出来るかどうか分からない。でも……そうしたいって思ってる。心の底から」

「……それは、わたしのために?」

「二人のために」
 おれはすぐに答えた。

「本当のおれは、目に見える世界のどこかじゃなくて、おれの身体の深いところにいたんだ。それをかおりさんが見つけ出してくれた。

……現実世界に、ありのままの自分が住める場所を求めて始めたのがブログだった。確かに、ネット上の広い世界には、こんなおれでも受け容れてくれる人がたくさんいる。居心地もいい。だけど、いつまでもそこにいちゃいけないんだ。おれには、現状を乗り越えていく力がある。かおりさんがそのことに気づかせてくれたんだ。

今抱いているこの感情は、もしかしたら尊敬から来ているものなのかもしれない。もっと知りたいという、単なる知識欲なのかもしれない。それでも、それを含めて愛と呼ぶなら、おれはかおりさんを愛してる……。

……教えて欲しい。かおりさんが、おれなしでは生きられないといった、あの言葉の真意を」

「……言葉通りの意味よ」
 かおりさんは困ったような顔をしてうつむいた。

「……わたしはあなたの虜。その声、その笑顔、その知的さ、そして……」

チラリと上げた目がおれを見つめる。直後、彼女の唇がおれのそれに重なった。

「愛しています。深く深く。あなたのすべてを、わたしに下さい」

全身を、雷に打たれたような電撃が走った。

もっとこの身体に触れたい。
中心に踏み入りたい。

そんな衝動が津波のように押し寄せる。

夜景が目の端に映る。どんなに美しい夜の街並みも、今となってはかすんで見える。おれは彼女の手を取り、部屋に戻った。

何も語らなくても彼女の気持ちが手に取るように分かる。今はもう、彼女しか目に入らない。

服を脱ぎ去り、はじめて互いの素肌を見せ合う。恥じらいと高揚と深奥に触れたいという欲求とが入り交じる中、手探りながらも心と体の赴くままに二人の仲を深め合う。

聞きかじった知識を寄せ集め、かおりさんをひたすらに求めた。おれ自身も彼女に与えようと努力した。

激しくもつれ合ったが結局、思ったような最後を迎えることは出来ずに終わった。なのに、なぜか満足感でいっぱいだった。

互いをよく知れた。自信を取り戻せた。そして何より、おれを見つめるかおりさんの顔が笑みで満ちている。この身を差し出すことで彼女を幸福にすることが出来る。そして彼女の微笑みがおれを幸せにする。

かおりさんが言う。

「肉体の繋がりなんて必要ないと思っていた。けれど、こうしてあなたと触れあってみて悟ったわ。わたしたちは互いに生きる力を与え合っているんだって。そうやって人は命を繋ぎ、生きていくことが出来るんだって」

それを聞いておれも思う。与え合うことで男と女は、人として完全な存在になれるのだ、と。人はこれが知りたくて相手を求め、愛を知り、命を繋いでいくのだ、と。

「生まれてきてくれてありがとう。生きることを選んでくれてありがとう。かおりさんの命はおれの命だ。そして、おれの命もかおりさんに委ねる。おれたちは一つだ」

おれの言葉に、かおりさんは深くうなずく。
「ええ。たとえ命を生み出すことが出来なくても、わたしはずっとあなたのそばにいるわ」

「好きだ。かおりさんが大好きだ」

「わたしも。純さんが大好き」

おれたちは再び抱き合った。互いの肌の温もりを強く感じながら。


(続きは近日公開予定。投稿は不定期です。)

追記:
今回はかなり悩みました。あのままきれいな二人で終わらせることも考えました。けれど二人が「どうしてもそれ以上の関係になりたい」と話を終わらせてくれなかったので、こねくり回してようやく9話というかたちでお届けするに至った次第です。

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