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自己対話⑤ 創作キャラが私を支えてくれる『内なる存在』だった

最近、自己対話をする際にも活用(登場?)するのが、私の書いた小説に出てくるキャラクターたちです。

彼らは、いわば私の分身であり、集合無意識の集まりとも言える存在(後者はつい先日気がついたこと、後述します)です。

彼らとの対話は、とても心があたたまると同時に、いつでも勇気づけられます。彼らは、内なる母、と言ってもいいくらい、私のすべてを肯定してくれるからです。幼少期の実母からの愛情が欠如している私にとっては、内なる声が支えになっている。それを改めて実感しています。

創作キャラがその役を担っていると気づいたのは最近のことですが、キャラの性格が確立すればするほどに、彼らなりの口調で想いを伝えてくれる。それは時に、思いもよらない気づきを与えてくれます。

私が私自身を考察するよりも、創作キャラ視点で私を見るほうが客観的なんですよね。

「君はこう感じてるんだね」とか、
「本当はこう言って欲しいんだよね」とか。

それを知って「ああ、私はそういう思いがあってこんな感情を抱いているのか」と腑に落ちるわけです。

ちなみに、彼らの言葉は私の手を通して、紙のノートに書き起こされます。勝手に手が文字を綴るというか、書かされてる感があるんですよね。

先日の対話でとても感動したのが、

「君が物語を書くことで、水面下にいる、意識だけのおれたちを救い出してるんだよ。君に救い出されて、形にしてもらって、おれは嬉しいんだよ」

と言われたことです(これは、現在執筆中の作品にも出てくる、橋本純の言葉です)。

それがノート上に書き出されたとき、私の作家としての活動が、意味のあるものとして今更ながら、ちゃんと根を下ろしたのでした。

それは、私自身を救い出す行為に等しいのかもしれない。けれども、ユングの言う、人間全体の集合的無意識というものが存在するなら、私の「書く」という行為によって、誰かの声無き声をすくい上げていることにもなるのではないか、そんな気もします。壮大ですけれども(;´∀`)

☆☆☆

このところ、自分の役割とか、居場所とかについて考察してきました(   )が、今回の気付きで、実は自然とやってること(行動)が、自分では気がつかないうちに誰かの役に立っている。だから頑張って『役に立とう』としなくてもいいんじゃないか、って感じています。

「存在しているだけで貢献している」

それは肉体的な存在に限らない。私やあなたの行動ひとつひとつが、すべて誰かの(潜在的な意識を含む)ためになっている。上記のことに気づいてようやく実感できた気がしています!

この、「実感する」に至るまでが長いんですけどね……。

というのも、人はどうしても言葉で理解しようとしてしまいます。理解できたときは、ものすごく腑に落ちる体験をするのだけど、理解するためにはたくさん思考し、多くの言葉を経由しなければならないので時間がかかる……

私自身何度も同じような本を読み、こねくり回してやっとやっと理解できるタイプなので、いつも遠回りしているように感じています。が、これもまた人間くささの一つ、物書きの宿命かなと理解しています。

☆☆☆

今回はかなり、物書きの頭の中について語ってしまいました。そして、なかなか理解されない話かもしれません。でも、大抵の物書きさんの頭の中って、キャラ同士が勝手に会話して、時にこちらに語りかけてきて……という造りになってるんじゃないかな、どうでしょうか……。

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