【新連載】#1「あっとほーむ ~幸せに続く道~」青天の霹靂(へきれき)
新しい物語の連載を開始いたします!
一
父を失った悲しみから立ち直るまでの、ほんの一時、居候させてもらえたら……。そんな軽い気持ちでいたおれが浅はかだったのだろうか……。
急逝した父の旅立ちに尽力してくれた野上夫妻からの急な話に、おれは動揺していた。
夫妻とは高校時代の同級生だが、彼らの娘を含めて付き合いだしたのは今から八年前。母が亡くなる前後で、落ち込んでいたおれを慰めてくれたのがきっかけだった。
実の娘を水難事故で亡くし、それを機に離婚を経験したおれの唯一の家族だった父との暮らしは、まだまだ続いていくもんだと思ってた。なのにもう、父の声が実家に響くことはない。がらんどうの一軒家に戻ったとき、おれを襲ったのは悲しみよりも恐怖心だった。
そんな折りに提案されたのだ。「本当の家族になって欲しい」と。
◇◇◇
本当の家族になる――。つまり彼らの最終的な望みは、娘との――めぐとの――結婚だ。おれは長らく独り身だし、めぐもおれに懐いてる。加えておれと、めぐの両親である彰博、映璃とは旧知の仲だから安心もできる……。と、こういう具合だ。
「……分かってるよな? おれはお前らと同い年。四十六歳のおじさんなんだぜ?」
そう言って拒んではみたものの、彼らが考えを引っ込める気配は一切なかった。むしろ、こっちが折れるまで何度でも言い続けるつもりでさえいるようだった。
事実、めぐのことは好きだ。日ごと、女になっていく彼女の魅力にとりつかれそうにもなる。だけど、あまりにも年が違いすぎる。許されるはずがない。彰博も映璃も、そんなことは十分承知しているはずなのに。
「……めぐとはずっと『友だち』だと思って接してきたんだ。急にそんなことを言われても、正直戸惑う」
おれの素直な気持ちを伝えても、彰博は淡々とした口調で言う。
「もちろん、急ぐ必要はない。めぐだってまだ十六歳だ、ゆっくり考えてくれればいいとも思ってる。でも、鈴宮には僕たち家族の考えを知っておいて欲しかったんだ」
「おい、めぐはどう思ってんだよ……」
たまりかねて、さっきから押し黙ったままの彼女に声をかける。めぐは意味ありげに微笑みかけてきただけだった。苛立ちがこみ上げる。もちろんおれに対して、だ。
ここでおれがはっきりとした態度をとれば――自分の気持ちに正直になって「イエス」と、あるいは友人として付き合い続けると決意して「ノー」と言えば――済む話なのに、その一言が出てこない。いつの頃からかおれは、曖昧な態度を取って人生から逃げることでしか生きていけなくなっている。
こんなおれの生き方を、彼らはずっと見てきた。だからこそ無謀な提案をしてきたに違いない。分かってる。ただ前に進むだけじゃなく、今度こそ自分を幸せにする道を選ばなきゃいけないってことくらい。
「……お前らの言い分は分かった。でも、少し……いや、どのくらいかかるか分からないけど……時間をくれないか。大丈夫、ちゃんと、答えは出す」
彼らからの信用を失わないためにも、そう宣言するしかなかった。もうこれ以上、逃げに徹してはいけない。おれもいよいよ、覚悟を決めなきゃいけないと思って絞り出した言葉だったが、正直、胸が苦しい……。
「ねえ、悠くん。ドライブに連れて行ってよ。風を感じたい気分なの」
おれの言葉を聞いていくらかほっとしたのだろうか。めぐがいつものようにすり寄ってきて言った。
八歳のときから、めぐはおれのことを「悠くん」と呼び続けている。もし「鈴宮さん」か「悠斗さん」と呼ばせていたら、こんな話を切り出されることもなかったんじゃないか、と思ってみるが時すでに遅し、だ。
「ああ、分かったよ。おれもちょうど、外の空気を吸いたいと思ってたところだ。このうちの空気は重すぎて、とても吸えたもんじゃねえ」
「えー? 重くしてるのは悠くんでしょー?」
彰博と映璃は笑ったが、めぐの指摘が図星過ぎて、おれだけは笑えなかった。
◇◇◇
愛車のカワサキ「ゼファー」にまたがる。実の娘、愛菜の死を機に一度手放した二輪車だが、めぐと出かけるのにちょうどいいからと、奮発して再び手に入れた。めぐもすっかり後ろに乗るのが当たり前になっていて、慣れた様子でヘルメットを被り、おれの腰に腕を回す。
生きていれば、後ろにいるのは愛菜だったはずだが、それは言うまい。いや、実の娘ならこんなふうに父親とバイクでドライブなどしないのかもしれない。現にめぐは、父親と二人で出かけることはほとんどないようだ。
「パパの車の助手席に座るのも悪くないんだけど、決まって哲学的な話が始まるからつまらないんだよね。でも、悠くんはそういう話をしないから、一緒にいて楽しい!」
めぐはヘルメットのスピーカーを通して、父親とドライブしたくない理由を話してくれた。あいつがめぐとドライブしているところを想像したら可笑しくなって、小さく笑う。
「あっ、悠くんが笑った! よかったぁ。さっきまでずっと怖い顔してたから心配してたんだ」
よほど思い詰めた顔をしていたのだろうと想像する。実際、父を亡くして日が浅い上にあんな話をされたのだから、笑えなくても許して欲しいと思ってしまうのだが、めぐを不安がらせてしまったことは素直に反省する。
「ごめんな……。おれ、不器用だから」
「ううん。でもね、こういう時こそわたしたちを頼って欲しいの。……出会ったときだったら頼りなかったかもしれないけど、今ならもう少し力になれるはずだから」
「ありがとう。だけど、めぐにはいつだって力をもらってるんだよ。だから……」
――あえて家族にならなくてもいいんじゃないのか……?
そう言おうとしたが、声にならなかった。めぐを悲しませたくないという気持ちと、おれの深い部分にある思いとが発声を阻止したみたいに思えた。
実家に戻って父と二人で暮らしていた八年を一言で表すなら「幸せ」。これ以外に表現しようがない。しかし、父の死によって「幸せ」な日々はあっさりと終わりを告げた。
そう、幸せは永遠には続かない。むしろ、人生が充実していればいるほど、失った時の悲しみや落胆も大きい。なのに、彼らは再びおれを「幸せな日々」に連れ戻そうとする。
人生はその繰り返しだと言うのなら、きっとそうなのだろう。でもおれは、再び身を裂くような悲しみを経験するくらいなら、はじめからほどほどの人生でいい。愛菜を失い、離婚して一人、細々と暮らしていた時のように、生きるために飲み食いするだけの人生を選びたい……。
――本当に一人になったら死ぬぞ! それでもいいのか?!
内なるおれが叫ぶ。さっきめぐに言いかけた言葉にブレーキをかけた存在だ。こいつは、時々現れてはおれの生命を繋いできた。どうしても生きたいと切望する、生に貪欲なやつだ。
――分かっているだろう? 父親を失って一人になったあの日、彰博たちがいなかったら死んでいたことくらい。潔く野上家の一員になっちまえよ! お前はもう四十六歳、若かったあの頃とは違うんだ!
その言葉に、数日前の息苦しさがよみがえる。
最初の晩は単に動悸がするだけだった。だけど次の日になって症状がひどくなった。何もしていなくても息があがり、しまいには呼吸困難に陥ってすぐに病院へ運ばれたのだった。
医者は過度のストレスが原因だと言い、時の経過とともに改善すると告げたが、内なるおれも彰博たちもその言葉を信じてはいないらしい。
彼らの優しさにはいつだって救われている。ありがたいとも思う。だけど、自分のことすら幸せにしてやれないおれが、めぐを幸せにできるのか? 一緒にいたら、幸せどころか不幸にしてしまうんじゃ……? どうしてもそう思ってしまうおれがいる。
◇◇◇
市内のドライブコースを一回りし、野上家に戻ってみると、見覚えのあるナンバーの二輪車――スズキの『Vストローム』――が一台、駐まっていた。
「あっ、翼くん来てるんだ」
めぐが言ったのを聞いて、このバイクが彰博の甥、野上翼の愛車だったことを思い出す。実家が近いということもあり、時々ここへ遊びに来るようだ。おれも何度か顔を合わせたことがある。若い頃の彰博によく似た風貌ながらも、野球部主将だった父親の性格を受け継いだ、非常に快活な青年である。
「ただいまー」
めぐが明るい声で玄関ドアを開ける。が、それとは対照的に、中から聞こえてきたのは翼の怒りに満ちた声だった。緊迫した空気が家を支配している。おれたちは部屋に上がることもできずに立ち尽くした。
翼と彰博のやりとりが聞こえる。
「アキ兄はもっと慎重な人間だと思ってたのにがっかりだよ。どうして……よりによって鈴宮さんなんかに、めぐちゃんをあげようと……?」
「あげるだなんて、人聞きの悪い。僕はめぐの気持ちを確かめた上で提案したまでだよ。それに彼はまだ『うん』とは言っていない」
「だけど……! あの人は八年前から何も変わってないじゃないか。全然、成長してない。そんな人と結婚しても、めぐちゃんが不幸になるだけだ」
「翼くんが息巻くのは、めぐのことが好きだからかな?」
「……めぐちゃんが妹以上の存在なのは確かだよ。だって、初めて出会ったのは俺が十一歳の時だよ? 赤ちゃんの頃から面倒を見てきたんだもん。いくら鈴宮さんが気の知れた友人だったとしても、いきなり結婚前提に話を進めるアキ兄たちのやり方には賛成しかねる」
「そうだよね。翼くんはとりわけ、めぐのことを可愛がってくれてたから、そう思うのも無理はない。でも、それは鈴宮だって同じじゃないかな?」
「大事にしてくれる人ならいいわけ? だったら俺にも資格はあるはずだ」
「でも、君はめぐの従兄……」
「いとこ同士の婚姻は法律上問題ない。そうでなくても、めぐちゃんはアキ兄たちの養子で血の繋がりはないじゃないか。アキ兄はただ、自分の決めたことを押し通したいだけだ。……どうしてもこのまま話を進めるつもりなら、こっちも強硬手段に出るしかない」
「いったい何を……?」
「……あの人には、いなくなってもらう。それしか、方法はない」
恐ろしい台詞が聞こえた直後、重々しい足音が玄関に近づいてきた。
――逃げなきゃ、危険だ。殺されるぞ……!
「命、第一」の内なるおれが叫んだ。けれどおれの足は一歩も動かない。めぐもわなわなと震え、その場から動けずにいる。直に足音とともに彼らが姿を現す。
まさか玄関にいるとは思っていなかったのだろう。翼は驚いた表情でおれたちを見た。しかしすぐにおれの胸ぐらを掴んで引き寄せる。
「……今の話、聞いてた?」
「……ああ」
「だったら話は早い。あんたには、いなくなってもらう。それが野上家のためだ」
「……おれを、殺すのか?」
「……そうだな、赤ちゃんよりも甘えん坊のあんたを殺すのは簡単だよ。だけど俺は、犯罪者になる気はない」
「えっ?」
目を丸くすると、翼はあざ笑い、おれを突き飛ばした。
「テストさせてもらうよ。あんたが、めぐちゃんの夫にふさわしい男かどうかを。そのために、ある場所でしばらく働いてもらう」
「……ある場所?」
「そう。ある場所だ……」
翼はにやりと笑った。殺さない、と言った彼だが、ちょっとでも油断をすれば隠し持ったナイフで殺されるのではないか、という恐怖心は拭えなかった。
登場人物紹介:
(続きはこちら(#1)から読めます。)
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