【完結小説】「泣いて、笑って、おかえりなさい」 前編(1/3)
最新の小説が完成しました!
今回のテーマは、
「死と向き合い、乗り越える」。
いろうたが半泣きしながら書いた力作です。
前編・中編・後編の三分割にして掲載いたします。
*****
1
電源をオンにする。十年の眠りから覚めたケータイは、何もかもがあの頃のままだった。
何でこんなものを大事にしまい込んでいたんだか。十年前のことなんて、何一つ思い出したくはないはずなのに、充電までして中身を確かめているおれはいったい、何がしたいのだろうか?
馬鹿馬鹿しい。さっさとデータを消そう。そして一刻も早くこのケータイを解約しなければ。ケータイを手にショップへ向かおうとしたとき、電話が鳴った。懐かしい着メロを奏でて。
*
いつ会えなくなるか分からないから、戻れるなら戻ってこい。
それは父からの電話だった。母が心筋梗塞で倒れ、手術を受けたのだという。手術は無事に成功したが後遺症が残る可能性があり、経過が悪ければそう長くは保たない、だから戻ってこい、と。
あんなに元気に動き回っていて、いつ休んでいるのかも分からないような人が?
はじめは疑ったが、昔から多くを語らない父から直接電話がかかってきただけでただ事ではなかった。
ある出来事がきっかけで、おれは十年間、生まれ故郷の川越から遠く離れた土地で生きてきた。親にすら居場所を告げず、ひっそりと。だから、戻ってこいと言われ、正直戸惑った。心に負った傷を癒やしきれていないからだ。
止まった時にしがみつくか、恥を忍んで母に会うか……。
毎晩、胸に手を当てて自問した。脳裏によみがえるのはやはり母の姿だった。
三日間の葛藤の末、おれは少ない荷物をまとめ、アパートを引き払い、仕事を辞めて川越を目指した。
*
川越駅舎を出ると、真夏の太陽に目が眩んだ。一気に汗が噴き出す。
夏は嫌いだ。早く過ぎ去って欲しいのに、年を追うごとに夏が長くなっていく。十年前の出来事を忘れさせないかのように。
様変わりした駅前。人に尋ねてようやくタクシー乗り場にたどり着く。停まっていたタクシーに乗り病院の名を告げると、
「川越ははじめてですか? すぐそこなんですが……」
運転手が言ったとおり、病院にはものの二、三分で着いた。十年も離れていたら、かかったことのない病院の場所なんて忘れてる。ワンメーター分の料金を払い、タクシーを降りる。
受付で手続きを済ませると、職員が母の病室まで案内してくれた。
「悠斗(ゆうと)? あんた、帰ってきたの?」
父からは連絡がいっていなかったようだ。母は目をこすり、ベッドから体を起こしておれを凝視した。
「幽霊……じゃないわよねえ?」
まじまじと見つめられ、しばし黙する。なんて言っていいかも分からなかったし、老け込んだ母を見て、十年という年月の長さを思い知ったからでもあった。
「親父から……連絡をもらったんだ」
だいぶ間を空けたあとでようやくそう言った。母がため息をつく。
「お父さんは心配性ね、悠斗を呼び戻すなんて。あたしは大丈夫だって言ってるのに」
「ずいぶん深刻そうに言うから、てっきりしゃべることも出来ないものと思ってた」
「まさか。そんなに悪くないわよ。腕のいい先生に手術してもらったんだもの、すぐに良くなるって」
「…………」
嘘をついているようには見えなかったが、言葉通りに受け取っていいものか正直戸惑う。
「ねえ、いつまでいるの?」
黙っていると母の方から話しかけてきた。
「しばらくは川越にいるつもりだよ」
「しばらく? 川越のどこに?」
「……実家」
「そう!」
母は子どものようにはしゃぎ、微笑んだ。
「……ようやく気持ちの整理がついたのね? だからしばらくいるつもりでいるんでしょう?」
母は自分の心配などして欲しくないようだ。お袋のそばにいるために帰って来たのだ、とはとても言えなかった。
「……元気なら良かった。おれは実家に戻るよ。また来る。それじゃ」
問いには答えず、おれは母に背を向けた。引き留める母の声にも振り返らなかった。
2
「こうして生きて再会できて嬉しいよ。今日は僕がおごる、再会の記念だ」
帰郷の連絡をすると、彰博(あきひろ)はすぐに飲もうと誘ってきた。大学時代、良く二人で通ったバーはまるで時の経過などなかったかのようにおれたちを迎え入れてくれた。
おすすめのカクテルがあるんだ。
いつまでここにいる?
最近の川越はね……。
彰博は何も聞かなかった。過去のことは何も。
分かっていた。だからおれは彰博にだけ連絡したんだ。ほっとしてつい口が軽くなる。
「お前が変わってなくて良かった。うん、それだけは有り難いことだ」
「…………」
「駅前の景色が様変わりしたように、十年もすりゃあみんな変わるもんだろ、普通」
「……連絡してくれて、僕は嬉しかったよ」
彰博はそう言った。さっきと同じように。そして何度かカクテルグラスを傾けてから重い口を開く。
「……そろそろ、いいんじゃないかな。本音を言っても。もちろん、僕が強制することは出来ないけれど、話を聞く用意はある。いつでも。君が苦しむ姿をこれ以上見たくはないんだ」
「おれの、どこが苦しんでるって?」
うまくごまかしたつもりなのに、声が震えてしまった。心理カウンセラーの彰博の前ではなおさら嘘はばれたに違いなかった。
過去を詮索されないから会いたかったんじゃない。おれは彰博にだけは話したかった、ただ黙って聞いて欲しかったんだと気づく。話したって何も解決しやしない、それでも、もう黙っているのは限界なのだ。
「……いっそ、死ねたらどんなに楽だったかしれない。いや、おれの命と交換できたらどんなに良かったことか」
「うん……」
彰博が静かにうなずいてくれたのを機に、おれはこの十年、感じ続けていたことのすべてを吐き出す決意をした。
*
十年前に愛菜(まな)は、娘は死んだ。たったの五歳、それも、おれの大好きな海で。
海は比較的穏やかだった。天気も良く、海水浴にはもってこいの日。にもかかわらず、愛菜は波に足をすくわれ、おぼれた。おれが気づいて助け上げたときにはもう息がなかった。こんなことになるなんて考えてもいなかったから、最後に交わした言葉も覚えていない。そのくらい、突然の別れだった。
「本当に、大手企業の水泳部に所属している方なの? 信じられない」
葬儀の日、妻の両親や愛菜の通っていた園の親から非難の声が向けられたのは言うまでもない。水泳で飯を食っている人間にあるまじき失態だと。一気に信用を失い、妻との離婚もすぐに決まった。
悲しみよりも怒りに包まれた葬儀。川越を離れる決心をしたのはそれからすぐのことだ。
もうこの街にいたくない。離れてしまえば、たとえ死んだとしても噂すら届かないだろう。その一念だけだった。なのに。
「お前の一言が、十年間、おれを束縛し続けたんだ。あれは呪いの言葉だったよ……」
注がれたばかりのショートカクテルを一気に飲み干す。喉が焼ける感覚。生きていなければ決して味わうことの出来ない体感。
彰博も同じようにカクテルグラスに口をつけるが、半分減らしただけだ。やつはグラスを音も立てずに静かに置く。
「……君には生きていて欲しかったから。あのまま放っておけば二度と会えないと分かっていたから」
「まるで予言者だな。葬儀の日には顔を見せなかったくせに」
「顔なんて見なくても分かるさ。君とは長い付き合いだからね。さっぱりした性格に見えて、結構引きずることくらい知ってる。だからこそ、死ぬなって伝えたかった。君が街を出る決断したその日に」
「お陰で死ぬより大変な十年だったよ……」
「そうだよ、生きるって苦しいんだ。でも、嬉しいことや楽しいことだってある。少なくとも僕は今、君とこうして飲むことが出来て嬉しいよ」
「さっきからそればっかり。そんなにおれと会えて嬉しいかよ。こんな、おれでも……」
「ああ、もちろん」
彰博は恥ずかしげもなくさらりと言ってのける。どんな顔をしていいか分からず、カウンターの奥に並ぶボトルに目を向けるのが精一杯だった。すべてが美しく輝いて見える。それがライトアップされているせいか、目の中にたまった何かのせいかは分からなかった。
おれはぽつりと呟く。
「お前と会えたところで、死んだ子どもは還ってこないよ……」
「うん……。だけどね、一つ言わせて欲しい。君は幸運にも生きている。時を刻み続けてる。その意味を、考えてみて欲しい」
「ふん、まるでおれが何も考えてこなかったみたいな言い方だ」
「君から前向きな発言が出てくるまで、僕は同じことを言い続けるつもりだよ」
「……何度言われても同じだ、おれの時間は止まったまま、動くことはないんだ」
「そうか、止まったまま、なのか……」
繰り返されて悟る。おれは生きながらにして死んでいる、彰博はそれを教えようとしているんだと。
ふーっと息を吐き出す。
「分からないんだ、正直なところ。過去とどうけりをつけたらいいのか。これからも生きていくとして、おれはどう罪滅ぼしをすればいい? いや、生きることで罪を償うしかないんだろうか」
「僕はそうは思わないよ」
彰博は残っていたカクテルをぐいっと飲んだ。そして一気に言う。
「もし君が生きていくつもりなら、ちゃんと幸せになるべきだと思う。もう君はそうすることが出来るくらい傷を癒やしているよ。特別な事情とはいえ、ここに戻ってきたこと、僕に会ってくれたことがその証拠だと思ってる」
「…………」
「あー、今のはカウンセラーの言葉じゃなくて、僕自身の願望。だから聞き流してくれて構わない」
「……そういうけどなあ。お前の言葉はいつだっておれの心をかき乱す。聞き流せるもんならぜひそうしたいぜ」
「なら……今度も心に留めておいてもらおうかな」
「お前ってやつはやっぱ、昔とちっとも変わらねーな」
「変わってなくて良かった、そう言ったのは君だろ?」
「そうだよ……。おれは確かにそう言った……。変わらないってのは安心できるからな……」
言いながら、妙に納得してしまう。おれは心の安らぎを求めていたんだと。だから、決して傷つくことのない、二度と変化することのない過去に浸ろうとしているんだと。
「おれはもう、傷つきたくないのかもしれない……。甘っちょろい考えで生きてる人間なんだろうな……。こんなに柔だったかな、おれは」
「鈴宮だけじゃない。誰しもが弱い存在だよ。だけど、それでも生きてるし、生きていくしかない。だからこそ、弱い自分を受け容れる必要がある。これも自分なんだって。これで、いいんだって」
「これでいい? どうして? 弱いまんまでいいわけがないだろう」
「いいんだ……。弱いから、互いに支え合って生きていくんだよ僕らは。そういう存在なんだって、まずは知ってほしい」
「出来ねえなあ、おれには」
「できる。鈴宮なら出来る」
「こんなおれを信じる人間がまだいたとはな」
「僕だけじゃないよ。信じてる人はたくさんいる。信じてないのは君自身だ。君が、君を信じなきゃ」
「…………」
「君は充分頑張った。そのことを、君自身が褒めてあげようよ。傷つきたくないなら自分で自分を傷つけるのをやめよう」
「…………」
「……また言い過ぎたね。僕の悪い癖だ」
「ああ、まったくだ……」
カクテルグラスを傾けたがもう空だった。
「そういやあ、今日はお前のおごりだったな……。もう一杯もらおうか」
「えっ、だけど鈴宮、ずいぶん酔ったんじゃ……?」
「いいんだよお、今日はとことん飲みたいんだ。潰れちまったら、また昔みたいにうちまで送ってくれよ、なあ」
ため息をついた彰博だったが、
「いいよ、いいよ。それでこそ鈴宮だ。好きなだけ飲めばいい。そして、洗いざらいしゃべっちゃえばいい」
そう言ってマスターに声をかけた。
3
おれが自暴自棄になって酔い潰れても父は何も言わなかった。翌朝はいつものように挨拶をし、「水、飲むか」とコップを差し出してくれただけだ。おれが家にいてもいなくても父は自分のリズムを維持しようとしている、そう感じた。
ただその関係も、週を追うごとに変化している。おれが戻ってきたのはほかでもない、母の病気を見舞うため。そして最期を看取るためだ。父も十分承知している。その証拠に、おれが家に戻ってからは何かにとりつかれたように母の持ち物を整理し始めている。少しずつ押し入れのものを引っ張り出しては要不要を見極め、仕分けしているようだった。
「悠斗、仕事が休みで暇なら手伝え」
ある朝、遅くに起きてきたおれを見た父は、挨拶が済むなりそう言った。
「手伝うって、何を?」
「今日はアルバムの整理をしようと思ってる。お前のものもあるだろうから、いるものは持って帰ってくれよ。不要だと思えばこっちで処分する」
「アルバム……」
「おまえのはこれだ、ほら」
ぼんやりしていると、何冊かのアルバムを押しつけられた。仕方なく一冊ずつ中身を見ていく。
見れば確かにおれのもので、中学時代から始まるアルバムだった。まだ母親くらいの背丈しかなかったのが、だんだん大きくなっていく様子が見て取れる。
当時の母は病気一つせず、おれの水泳の大会には必ず弁当持参で付き添ってくれたっけ。その母は、数ページに一枚位の頻度でピースサインとともに写っている。
ページを繰るに従って最近のものになっていく。最近といっても、おれが成人して間もない頃だから十五年くらい前になる。大学卒業、結婚、子どもの誕生……。
そこまできて、おれはめくる手を動かすことが出来なくなった。そこには生きていた頃の愛菜の姿、それ以上成長することのない娘が写っていた。
「愛菜ちゃんの写真か。どうする、持って帰るか?」
「……いい。写真なんて、要らない」
父の問いに無感情に答える。ふいに、父がおれの手からアルバムを取り上げた。
「そんなに愛菜ちゃんに会いたいか?」
「会いたいに決まってるだろう……!」
「ならいっそ、ここでお前を楽にしてやってもいいぞ」
ドスのきいた声にゾクッとする。その手がすっとおれの首に伸びてきたので、思わずのけぞる。
「……おれを、殺すってことか」
「生きていても会えないのは自明のこと。ならば、あの世で会える可能性に賭けるしかないじゃないか。無論、会える保証もないが、お前が望むならそうしてやることも出来る」
「それが親の言う台詞か」
「親にしか言えないことだよ。苦しんでいる子の姿を見ればどうにかしてやりたいと思うのが親心というものじゃないか。分かるだろう、お前にだって」
「…………」
「親っていうのは、子どもの幸せだけを願うものだ。そのためならなんだってするし、出来る。つまりな……」
父は少しためらってから続ける。
「愛菜ちゃんの魂を救うためにお前が出来ることは何か、よくよく考えてみることだ。少なくとも、立ち止まって涙に暮れている父親の姿を見たいとは思っていないはずだよ」
「…………」
「まっ、父さんもこう言ったからには顔を上げて生きていかなきゃならんがなあ」
これは父さんが管理することにしよう。父は言ってそっとアルバムを閉じた。
楽にしてやってもいい。正直、背筋が凍った。同時に、殺してくれと言えなかった自分を呪った。
なぜおれの体はこんなにも生きることを望んでいるのだろうか。この、くすんだ色しか存在しない世界にいったい何を求めているというのか。
生きていくつもりなら、ちゃんと幸せになるべきだ。彰博はそう言った。
親っていうのは、子どもの幸せだけを願うものだ。父も似たようなことを言った。
幸せになる? 子どもを死なせたおれが?
愛菜の魂を救う? いったいどうやって?
分からない、分からない、分からない……。
本当に死ぬ気があるなら絶食すればいいものを、おれの体はエネルギーを欲し、自然と冷蔵庫に足を向けた。何でもいいから食べろと言わんばかりに腹が鳴る。それを聞いた父が鼻で笑った。
「なるほど。お前がどうして生きて戻ってきたのか、理由が分かった気がするよ」
「……うるせえ」
「母さんは喜んでいるよ。死ぬ前に会えて良かったって」
「……まだ生きてるんだからそんなこと言うなって言っとけよ」
「そのくらい長かったのさ、十年って年月は。……もしここで連絡がつかなければ、悠斗の葬式もあげようかと思っていた」
「勝手に殺すな」
「死にたかったんじゃないのか?」
思わず押し黙ると、父は再び笑った。
「戻ってきてくれてありがとう」
「さっき殺そうとしたのに、何言ってんだか」
「それが親の務めならそうすると言っただけで、殺人鬼になる気はさらさらないよ。父さんにはまだやることがあるからな」
「……お袋のこと?」
「……悠斗。結婚する気がないなら、しばらくここにいてくれないか?」
思いがけない言葉。
とっさに、「……親父は一人でも生きていけるだろう?」と突っぱねる。
「……まあ、考えておいてくれ」
再び母の所持品の整理を始めた父の姿はさっきよりも小さく見えた。十年前のおれの姿と重なる。
一人になったときのおれも、端から見ればこんなふうだったかもしれない。
失ってはじめて、家族という共同体に属している間おれがどれほどそこに依存し、支えられてきたかを知った。その存在の大きさを嫌でも思い知らされた。寂しさに押しつぶされてしまいそうで毎日が地獄のようだった。
おれが経験した日々はおそらく父の恐れている未来そのものだろう。やがてそれは現実のものになるだろう。
そのときおれは、父の支えになれるのだろうか。この、どうしようもなくちっぽけなおれが。そう考えたとき、おれ自身もまた未来に恐れを抱いているのだと気づいた。
( 中編 へつづく)
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