細川 ほまれ

どこにも出せない、誰にも言えないことをつらつら書いたりするしがない物書き。

細川 ほまれ

どこにも出せない、誰にも言えないことをつらつら書いたりするしがない物書き。

最近の記事

ぎりぎりを生きている

人間、といっていいのか自分のことが分からなくてタイトルからは「人間」という単語を外した。 一年近く何も書いていなかったのか、と思いながら久しぶりに何を書こうか、といっても何を書けるはずもなく。 相変わらず仕事は忙しいし、双極性障害はよくならないし。安定はしているので穏やかに生きているようにも思うが、三月か四月かその辺で一旦一週間くらいだけ躁になって死のうとして失敗したくらいの話だ。 胸に抱えた空虚と、自己肯定感のなさはどこにも拠り所を得ることが出来なくて。いま死ねたら楽なの

    • 美味しいご飯は世界を救う 京都タワーサンド(地下の串揚げ)は現実が変わる美味しさ。

      • 今年買って命が救われたもの

        わたしは双極性障害である。 躁が少なく永遠に鬱が続き、一瞬だけ躁になってまた平坦か鬱になるタイプのものなので、基本的にはうつ病のひとと同じような形でぐったりしていることが多い。 鬱病でなくとも、つかれていたりすると家事が億劫になったりしないだろうか。わたしはそれが顕著で、鬱が酷いときは布団から出ることもままならなくなる。 それでも生活をしないといけない。 部屋は汚れていく。 さらにわたしは残念なことにアレルギーと喘息を持っていて、あまり清潔でないところに居ると咳が止まらな

        • 好きな人に対して自己犠牲しがちになるのをやめられない話

          好きな人、というのは男女問わず好ましい、懐いているという感情をこの場合指すとする。 わたしは好きな人に尽くしがちであると言う自覚がある。 出来ることはなんでもしたいし願いは叶えたい、わたしで賄えるものはすべてやりたくなってしまうのだ。 ここで重要なのは「やってあげたくなる」というものではないということ。 あくまでも、自主的に、「やりたくて」やっている。 なので例えば自己犠牲しろなんて頼んでない、と言われたら「せやで」というお返事になるしかない。だって頼まれてないしそもそも「し

        ぎりぎりを生きている

          いま死にたいと思うこと

          いま死にたいと思うことはべらぼうに多い。 書いているいま(書き出しは01:55分だ)も強烈に死にたいが、悲しみと怒りに震える誠の心と巫山戯ることができる程度には正気だ。わたしはいつだって希死念慮を胸に抱いて生きている。 このまま何か事故が起こって死ねたらいいなとも思うし、このままベランダから飛び降りればいいやとも思っている。死にたいのに死ぬことにすらアクションを起こす腰が重いのだから、精神疾患を患うと何一つままならないと身をもって感じる。 こんな夜更けに睡眠薬も効かず、数日

          いま死にたいと思うこと

          また今夜も眠れない

          眠れない夜はいつだってぼんやりと、それでいて失えない意識が揺蕩っている気がする。 寝ないといけない日に限って眠れないことも多く、寝なくてもいい日に限って死ぬほど眠い。そのまま眠って目が覚めなければ一番幸せだけど、悲しいかな朝陽は昇る。 二度と目が覚めないように、眠ったらそのまま死にたい。事故物件というか、自然死になってしまうから心理的瑕疵物件という扱いになってしまうだろうこの部屋は少し可哀想だが。 眠れない夜は嫌な妄想が膨らみやすい。 あの人はきっとわたしよりも好きな人が

          また今夜も眠れない

          うつ病から

          診断が……変わる……???? もうかれこれ十年近く(通院出来なかった/させてもらえなかった時期含めると二十年以上)の付き合いになる鬱病ではあるが、もしかしたら鬱病では無いかもしれないとここに来て診断が進むのは少し意外だった。 どうやら母親が望む「元気で活動的な娘」というわたしの「素の人格」と思われていたのは、単なる軽躁状態だったのではないか疑惑が出た。 確かに大昔からある時を境にプツンと全てがどうでも良くなって元気になることがあった。何も考えずに衝動に任せて旅に出たりするの

          うつ病から

          最近の大ヒット鯛めし

          河原町三条、進々堂の斜向かいに新しく建った店。 大きな暖簾にスタイリッシュな店内、頼めるものは「鯛めし」オンリー。 鯛のおかわりとトッピング、少々のドリンクがサイドメニューにあるだけで、ごはんとお味噌汁はおかわり自由。 鯛めし屋 福乃。そこが最近のマイブームご飯である。 わたしは生魚が苦手だ。ちょっと生臭いあの独特の匂いと舌に乗せた時のねっとり感が得意ではないのだが、ここの鯛は何故かとんでもなく美味しく感じる。全く生臭さがなく、しっかりとした魚の甘味を引き立たせた鯛とゴマ

          最近の大ヒット鯛めし

          わたしは教師と言う人種が嫌いだ。

          だって一番信用できないもの。 子供の世界の中で君臨する大人、それが教師である。 学校という枠組みの中で一番信用できない大人が教師であったため、大人になることに対してアレルギー反応を起こす原因になった。 ちょっとした不信感、とかならまだいいのだが、わたしの通っていた学校はばかすか自殺、自殺未遂、「何らかの諸事情により」転校、不登校が発生していた上に教師陣がそれぞれ事件に対して訴訟を抱えていたため移動もできないような地獄を煮詰めた職員室で、そこは完全に信用してはいけない大人の掃き

          わたしは教師と言う人種が嫌いだ。

          おおらかなのではなく諦めている

          たま~~~にあるんですよね、いまもなんですけど。 昼夜関係なく、突然発狂しそうになること。 実際に暴れ狂って死のうとしたことも何度かあるんですが、正気だった時の自分が「多分こいつこうやって死ぬな」と先回りして自分の行動パターンを押さえていたことによりなんとか今もまだ生きています。 死にたいしチャンスさえあれば召されることを切実に願っていることは事実ですが、他人に迷惑はかけたくないのが本音。 家で死んだら事故物件になってしまうし、電車や車に飛び込んだら他人に迷惑が掛かります

          おおらかなのではなく諦めている

          夜中になると思うこと

          死にたくなるのは割とよくあることだ。 暗がりには誰もいないはずなのに、全ての部屋を確認しないと安心できないだとか。扉の向こうに誰かいるのではないかとか。閉めたはずの扉が開け放たれて誰かが入ってくるかも知れないとか。 そう言った不安が押し寄せてくるのが夜。もう美味しいもの食べてあったかいもの食べてとっとと寝た方がいい、それが分かっているのに不安と恐怖で胃の中のものが全部ひっくり返って出てくるくらいのストレスを感じるのだから眠れない。 わたしは眠ることを諦めている。 諦めている

          夜中になると思うこと

          わたしのこと

          大変しがない物書きである。 わたしの常識は世間の非常識なのか分からない分野がある程度に、機能不全家族の中でサバイバルをしてきた毒親サバイバーというのが正しいかもしれない。 母親が病識のないタイプのそこそこヤバいメンタルをしていて、父親はそれをただの個性だと思うことで家庭内の問題を全て娘のせいにするそれなりの環境で生きてきた。 母親がどのような人間だったのかを説明するのに簡単なのは「とっとと誰か虐めていじめる側になればいじめられたりしないんだからうまく立ち回れ」「痴漢に合う

          わたしのこと