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好きな人に対して自己犠牲しがちになるのをやめられない話

好きな人、というのは男女問わず好ましい、懐いているという感情をこの場合指すとする。
わたしは好きな人に尽くしがちであると言う自覚がある。
出来ることはなんでもしたいし願いは叶えたい、わたしで賄えるものはすべてやりたくなってしまうのだ。
ここで重要なのは「やってあげたくなる」というものではないということ。
あくまでも、自主的に、「やりたくて」やっている。
なので例えば自己犠牲しろなんて頼んでない、と言われたら「せやで」というお返事になるしかない。だって頼まれてないしそもそも「してあげてる」なんて恩着せがましい感覚は最初からこちらにはないのだ。勝手に何々してだのしてやってるだの、上から目線に思われたくないだのと責められたところで「ごもっとも」以外の感想が出てこない。

上からなんて見てもいないし、してあげているなんて発想がそもそもない。
こっちが勝手にやっているだけなので、要るか要らないかだけ言ってくれたらいいのだ。

なのにも関わらず、最近「お前のお人形ではないので他所を当たれ」と言われることがあった。別に先回りして何かをしたわけでもなく、寧ろその子は一人で勝手に走っていくので追いつくのが大変なような振る舞いをしていた子だったので寝耳に水というところだ。
元々それなりに傍若無人な子ではあったので、常識を知らない(報連相がない、自分の予定は自分だけのものなので例え先約があってブッキングしても共有しないで勝手に優劣をつけ当たり前のように連絡せず一時間以上遅れてくる、一緒に出掛ける約束をすっぽかしたと思ったら一人で行ってしまった等)部分を指摘することはあった。それは余りに非常識ではないか、と伝えても「自分はそうは思わないので被害妄想と卑屈も大概にしろ」というお返事しかもらえたことはない。
そういった非常識な子ではあったが、決して悪いだけの子でもなかったので折に触れ何かしらの助けや人手を求められたときには手伝っていた。こんなに理不尽な目に合っているにも関わらずだ。

それはなぜか。単純に、自分に価値はないと思っているからである。

いま自分でこれを書いていてあまりのことに現実を直視したくないのだが、物を書くことが好きだからこそ自分の醜くて汚い部分を書く必要もあるのだと己を言い包めている。
自分に価値がないなんて思いたくないし、思っているなんて認めたくない程度のプライドは持ち合わせているのに。どうしてそんな結論になるのか。
そもそもこちらには自己犠牲しているという意識もなければ恩着せがましく他人のことをやっているつもりもない。やるのが当たり前であって、自分の感覚としてはそれが普通なのだと考えているからそうなっている。それが自分の身の危険を孕んでいたとしても、やることが常識なのだと思っている。
きっと健常な心を持っている人はこの時点で「?????」となっていることだろう。普通であれば、多少他人の面倒を見なかろうが、気乗りしないことをいやと言われようが、たったそれだけのことで全部嫌いになることなんてないと頭でも心でも理解しているから。

しかしながらびっくりすることに。
わたしはこれが異常だと思っていなかった。

寧ろ人のために役立つようにするのは当たり前のことで、やらない方が人として冷たいのではないか。他人に興味がなさすぎるのではないかと思っていたクチである。
他人の利になるようにすることは、相手もためにもなるし自分も嫌われることがない。お互いに利益のあるいいことでしかないと本気で思っているし、考え方が偏っていると自覚している今でもあまり間違っているという感覚はない。他人にそれを強要することはないが、自分はそのままでいたいと思う程度に人格の根底に刷り込まれていることだ。
断って無駄に波風を立てるよりもずっと賢い、とまで思っているのでわたしに救いはない。

わたしの行動が一般的ではないことを納得はしたが、自分の価値なんて他人にどれだけ利益を与えられたか以外で測れるものなのか今でも分からない。
便利に使ってもらえて、それで好かれてまた傍に呼んでもらえるならそれの何が悪いのか。
あわよくばそのままわたしに依存してくれたらお互いに必要としあえてずぶずぶにいけるのではないか、と考えたらおさわり禁止のやべぇやつだな、とこちらも思うけれど、わたしを勝手に使い潰してくれる分にはそれでいいのでは。
誰かがいつか顧みてくれればそれだけでいいのだ。

そんな考え方でいたからこそ色々なものに振り回され疲れて何もかもを投げ出す鬱期になる訳で、いい加減この考え方をどうにかしたい。
ちょっとした躁~通常から転がり落ちるまで、あっという間。その引き金を誰かに引かせたいわけでもないし、誰かのせいにしたいわけでもない。これはわたしが付き合わないといけないことなので、うまくやりすごしたいと願っている。
誰かに使われることだけで自分の価値を測る他人中心の思考から、いい加減解き放たれたいと思いながら今日もわたしは自分を使い潰してくれるひとを探してしまう。

これ以上ない自傷行為だ、と。


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