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「日記」は悪なのか?同じ日の再生産は変化の時代には適さないというジレンマ

 大人気アニメ「アカメが斬る!」の1話で、とある極悪貴族の婦人が趣味の日記をつけるのを楽しみにするシーンがあるのだが、私はこのシーンを初めて見た時、日記ってそういえば悪だよな~とふと思ったのである。

 もちろんアニメでは日記そのものを悪と断じているのではなく、その極悪婦人がつけている日記の内容が下劣極まりないものであったため、主人公一味の必殺仕事人的なキャラたちの粛清対象となったわけだが、私にとっては日記をつける行為そのものが悪と感じられたのである。

 これと同じ概念に、ソシャゲのログインボーナスというものがある。

 私はこれが大嫌いだ。

 昔は我慢しながらもログボを受け取っていたが、最近ではログボが嫌すぎてあらゆるソシャゲを辞めてしまった。

 習慣とは恐ろしいもので、どんな悪癖も1回限りであれば別に害はそれほどないのだが、これが習慣的であればあるほど万病を呼び寄せる恐ろしい悪魔なのである。

 日記やログボは習慣を固定化させ、人々を病に陥れる恐るべき権力者たちの陰謀なのかとさえ疑われるほどだ。

 もちろん、生活にかかわる仕事などでは習慣的に何かをしなければならないことはあるだろう。

 だがその習慣性を趣味の領域にまで当てはめて良いものだろうか。

 少子高齢化社会において医療費の削減は喫緊の課題である。

 なればこそ、まずは趣味の領域において習慣の固定化という悪癖を打破し、ダイナミックなエンターテインメントのコンテンツ消費のスタイルを模索する時代に来ているのではないだろうか。

 より良い人生設計のために!

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