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ISSUE.01「林檎宇宙」つづき

林檎宇宙という言葉がぴったりだ。

なぜそれに出会ったか。なぜそれはここに在るのか。
巡り合わせとしかいいようがないが、2021年の12月9日、私の手のひらにその林檎は包まれている。

ポンと手のひらに飛び込んできた小さな林檎。

前回のnoteに書いたつづき。
ハスネファームの冨永さんにコンポストを見せてもらった後、集荷場のガレージで立ち話をしていた。

その時、冨永さんがふと紙袋から取り出して手渡してくれた。

「え……?」

今まで見てきた林檎とは、まるで違う。
一瞬、黒っぽくて小さいので林檎とは認識できなかったけど、明らかに林檎だ。でもスーパーに並ぶ林檎とは異質なものということはすぐにわかった。

艶々の赤い色でもなく、褐色と茶、薄くグリーンの混ざった不思議な色合い……、白い斑点、黒い無数の微粒子。それはまるで、星空のキャンバス……!

突然訪れた感動に、頭が追いついていない。

「栃木県で31年無農薬でやっていた農家さんが、去年閉園したらしいんだけど、そこでつくっていた林檎の樹に、今年成ったものらしい」と冨永さんは言った。

閉園してしまったんだ。なんとなく寂しさを感じた。
無農薬での林檎栽培はとても難しいと聞く。(よく「奇跡のりんご」の話を聞きますがまだ私自身観れていません)
素人にはとうてい実感としてわかり得ない無農薬栽培の林檎づくり。
でも、このビジュアルを見ただけでびびびっと感動してしまったからには、もっと知りたい。

気になる気持ちを抑えつつ、思いを巡らせた。

・・・・・

芸術作品を目の前にしたときに、心が揺さぶられたことはないだろうか?

私は小さい頃から絵を描くことが好きで、絵を見ることももちろん好きだ。絵の価値って、人それぞれの感じ方ではあるんだけど、基本的なところとして、画家、芸術家の情熱や思想が平たい面に表現されこの世に残っていることの価値、その絵に光(希望)や創造性を見出し、唯一無二のコピーできない付加価値、なまもののライブ性や生命力を感じたりする。あの衝撃とか感動とか衝動、一言では言い表せない真理を垣間見る瞬間は、純粋な芸術の魅力だと感じる。(もっともっと要素があるけれど)

そういう美の情感が、ふつふつと湧いてきた。

30代前半で、何気なく訪れた博物館で対峙したクロード・モネの絵画を思い出す。「アルジャントゥイユのセーヌ川」という、2つの作品。なんともない風景画。若いモネが苦しみながら描いた、と痛いほど伝わった。思い込みでもいい、あれほど心揺さぶられた体験は、そうそうない。

だからこそ大切なのだ。
個人の中枢に刺さる出会いが。

宇宙からやってきた林檎のお尻。この日、元 ZOZO社長の前澤さんが宇宙に飛び立った。(実際の宇宙とは林檎は関係ありません)。

この林檎は、クリムトの絵画みたいだ。「接吻」の、切ない感じとか哀しみと愛を感じてしまう。斑点もシミも傷もグラデーションも、すべて通ってきた道のりが表皮に映し出されてるよう。

愛おしいなぁ。

きっと私はものに対しても機微に触れるひとなんでしょう。ちょっと詩的すぎるかもしれないけど裏表なく表現すると、そういう感情に嘘はない。

それほどにひとつの林檎が内包するエネルギーは半端じゃない。どういう経緯でここに辿り着いたかはっきりとはわからない。だけどこの一粒の種から花が咲いて「林檎」が生まれたことは、人間のための作物ではなく、林檎が生きたいから季節を越えて一年がかりで実をつけたに他ならない。(きっと)

農家さんの事情とかはわからないけど、ずっと昔、林檎の樹がどこか外国からか運ばれてきた後、その栃木の土地で大切に育てられていたんだよな。そうして長年実をつけていて、今年はこんな風に小さくて点々だらけになっちゃったけど、かっこいい、綺麗だよって言ってあげたい。絵画のようで、星空のよう。そのくらい美しいと私は思っている。

「これ……すごいです。この林檎いただいていいんですか?」

「僕ももらいもので。この林檎の価値がわかるひとに譲ってくださいって言われたので」と、私たちは選んでもらえたのだ。友人も小さな林檎を手にしてうれしそうだった。

・・・・・

もう一回、林檎のことを書きます。次回は食べる編!
つづく

ちなみに前澤さんはまだ12月18日時点でも宇宙に滞在中らしい。
青い地球、のままがいいよね。



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