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みかんの皮

 「もう入ってもいいかな」
 着ている服を脱ぎながら、あやかは訊ねました。お風呂場の湯舟はあたたかそうな湯気を立てています。
「少し待っててね」
 あやかのお母さんが両手にいっぱいのみかんの皮を持ってきてあやかに言いました。
「今お風呂に入れますからね」
 そばで見ているあやかは、早く入りたくて仕方がありません。お母さんが湯舟にたくさんのみかんの皮を浮かべたと思ったら、早速飛び込みました。
「ゆっくり百数えたらお母さんを呼んでね」
 お母さんは、湯舟のみかんの皮の間から顔を出しているあやかに言いました。
 あやかは嬉しくてたまりませんでした。お風呂場の中が、みかんの少し甘酸っぱい香りでいっぱいになっています。あやかはゆっくりと数え始めました。

 あやかの通っている幼稚園は、毎週金曜日に宿題を出します。それはお庭や植木鉢に種をまいてみることとか、お母さんやお父さんと一緒に買い物に行って、お金を払ってみること、そして、胸いっぱいに空気を吸ってみることなど、いろいろありました。そして今週の宿題が、お風呂にみかんの皮を入れてみることだったのです。あやかは迎えに来てくれたお母さんと一緒に、スーパーでみかんをたくさん買いました。
 数えていた数字が百近くなってきた頃、あやかは、体が少しかゆくなってきました。数えるのをやめて立とうとした時、お母さんがお風呂場に顔を出して言いました。
「ちゃんと百数えてね」
 体がもっとかゆくなってきて、我慢が出来なくなって来た時に、ちょうど百になりました。
「お母さん」
 あやかはお母さんを呼び、そして湯舟に立ち上がりました。体が赤くなっています。
「あらあら、どうしたの、あやか」
 お母さんは体を赤くして立っているあやかを見て、驚いて言いました。
「かゆいの」
 あやかは手と足を交互に掻きながら泣き始めました。
「かぶれちゃったのね、ごめんなさいね」
 お母さんはあやかの体を少しぬるめのシャワーで優しく洗い、大きなバスタオルでくるみました。そしてその上からしっかりとあやかを抱きました。あやかは、体はまだかゆかったけれど、とても暖かくて気持ち良くなりました。

 月曜日になりました。あやかはお母さんと一緒に幼稚園に行きました。月曜日の朝は、宿題の報告をみんなでする時間です。クラスのみんなが一人ずつ立って、報告しています。
「いい香りだった」
「お湯がみかん色になった」
 報告もさまざまです。
「お腹がいっぱいになった」
 お風呂とは関係ない報告をする子もいます。そして、あやかの順番になりました。あやかの顔はまだかぶれが残っていて、少し赤くなっていました。
「お顔が赤いわね。どうしたの」
 先生が訊ねました。あやかは少し考え、小さな声で、
「わかんない」
 と言いました。あやかの様子でみかんにかぶれてしまったのだと気が付き、先生は、かわいそうな宿題を出してしまったと思いました。
「とってもあったかだった」
 それでも元気に報告したあやかに、先生が言いました。
「そう、みかんの皮があやかちゃんを暖かくしてくれたのね。良かったわね」
 あやかは大きく頷きました。体はまだ少しひりひりしていたけれど、あやかはその時、泣いているあやかを優しく抱いてくれたお母さんのことを思い出していました。大きなバスタオルと、お母さんの優しい腕。そしてそれがとても気持ち良くて暖かだったことを。
「お母さん、大好き」
 あやかはクラスのみんなにも、先生にも、そして、教室の後ろに立っているお母さんにも聞こえないように、小さな声で言いました。