満月の夜

 「ねえ、お兄ちゃん、満月の夜に恐いドラキュラさんが来るって本当」
 さっきから妙に黙りこくって、とおるの後ろに座り込んでいたゆき子が言いました。
「どうして、そんなこと聞くの、ゆきちゃん。何かに書いてあったの」
 とおるは、大好きなスーパーマンの本を夢中で読んでいる最中だったので、少し面倒くさそうに聞きました。
「ううん、テレビで言ってたの。その日は外に出て遊んじゃいけませんって」
 そんなことあるわけないと思いながらも、とおるはもっと知りたくなってきました。
「何のテレビ。誰が言っていたの。どうして外で遊んじゃいけないんだい。それに、満月だったら、狼男じゃないの」
「あのね、うんとね、よくわからない」
 ゆき子はまだ四つなので、テレビの内容がよくわかっていないのです。ただ、恐いという気持ちだけが残ってしまっていたのでした。
「そんなんじゃわからないよ」
 せっかく面白そうだと思ったのに、ゆき子が何も覚えていなくてがっかりしたとおるは、泣きそうなゆき子に背を向けて、また本を読み出してしまいました。
「お兄ちゃん、恐い」
 ゆき子は本当に泣き出してしまいました。

 いく日か過ぎ、今日は満月でした。ゆき子の家の縁側にも、たくさんのお団子とススキが置かれていて、そよ風にゆらゆらと揺れていました。ゆき子はドラキュラのことなど、すっかり忘れてしまったかのように、とおるを相手におしゃべりしていました。
「あのね、月にはね、うさぎさんがいるんだよね」
 ひとしきりおしゃべりした後、疲れてしまったのか、ゆき子はとおるに寄りかかって眠ってしまいました。
「まったく、なんだよう」
 とおるはぶつぶつ文句をいいながら、ゆき子をベッドに運び、自分もその隣りで眠り込んでしまいました。
 
 ふと気配を感じ、目を覚ましたとおるは、ゆき子がいなくなっていることに気が付きました。
「あれ、トイレにでもいったのかな」
 寝ぼけながら縁側に出てみたとおるは、あまりの驚きで声も出せずに、その場から動けなくなってしまいました。縁側には確かにゆき子が座っていました。しかし、その隣りには、ドラキュラがいたのです。二人で仲良く、お団子を食べています。ゆき子も楽しそうでしたし、ドラキュラも時々大声で笑い声を上げていました。とおるはその声で家の人が起きてこないかということを、何故か心配しながらも、ゆき子の楽しそうな笑顔に、恐怖感が薄れていきました。

 どのくらい時間が過ぎたのか、気が付くととおるもドラキュラの隣りに腰を下ろしていました。  
「お兄ちゃん、ドラキュラさんってかわいそうなの。みんなドラキュラさんは血を吸うって思っているけど、違うんだって」
 ゆき子は嬉しそうに話していました。でもそれ以上のことはわかっていないようでした。ドラキュラがゆっくりと話し始めました。
「今の世の中の人たちは、私の好物は人の血だと思っているようだが、それはまったくの誤解なんだよ。確かに私は人の首に吸い付くが、それはその人の心の中にある悲しい思い出や淋しい心を私が吸い取って、自分のものとするためなんだよ。そうすることで、その人は心が安らぐ。そのために私は永遠の命を与えられ、存在することができるのだよ。だが多くの人は私を恐れ、そして理解しようとはしてくれない」
 ドラキュラは淋しそうでした。とおるは思い切って聞いてみました。
「どうして満月の夜に出てくるの。ゆき子の心も吸い取ったの」
 ドラキュラは首を振りました。
「この子にはまだ悲しい思い出もなければ、淋しい心もない。人は生きていくうちに、たくさん悲しいことや辛いことに出会うが、この子の心にはまだ、心に残ってしまうほどの出来事がない。だから吸い取る必要もなかったし、私も楽しい時を過ごせたよ。どのような理由であれ人の首に吸い付くのは気持ちがいいものではないからね。どうして満月の夜かって。それはね、満月を見ている人の心はとっても優しく、素直になっているからさ」
 とおるはふと隣りのゆき子を見ました。ゆき子は手にお団子を持ったまま、かわいい笑顔でドラキュラを見つめていました。

 朝でした。とおるはゆき子の隣りで目覚めました。とおるは昨日の夜の出来事をはっきりと覚えていたので、あわててまわりを見回しましたが、いつもとまったく変わりはありませんでしたし、とおるの隣りでは、ゆき子がかすかな寝息をたてながら、ぐっすりと寝ていました。
「夢だったのかな」
 とおるは淋しくなりました。
「せっかくドラキュラに会えたのにな」
 とおるはこれから先、ゆき子が悲しい思いをしないように、自分が精一杯守るんだと心の中でつぶやきながら、また眠ってしまいました。
 縁側には朝の気持ちのよい日差しが差し込んでいました。そして、昨日の夜にはたくさんあったお団子が、どういうわけか一つもなくなってしまっていました。