矛盾、、、脳内ディベート
いま、世界中が怒りと悲しみに包まれています。
憎悪に憎悪が増し、苦しみと絶望が連鎖しています。
なぜ、こんなことに・・・。
自分にできることは何があるんだろう・・・。
世界は繋がっているんだから、きっと何かあるはず。
まず『考えていくこと』が必要なんだろう。
きっと、正も悪もない、正解も不正解もない。
敵とか味方とかもないのかもしれない。
いったんフラットに考えてみよう。
一方的な意見主張は危険性をはらんでいます。
こういうときは、ディベートが良い。
ディベートとは討論のことです。
相反するような意見をし合うことで何かが見えてきます。
ワイドショーの中で添えられる見識者の意見は一方向のものです。それを全て鵜呑みにして良いのでしょうか?
あまり見る機会はないのですが、週末の昼間にやってる「何とか委員会」っていうテレビ番組。あれは結構好きです。みんな言いたい放題言ってる。とっても良い!
さて、抗争や、口喧嘩ではなく、
建設的な討論(ディベート)をするためには、
『反対の意見を言ってみる』ということ大切です。
つまり、自分の思っていることだけでなく、自分が思っていることと反対の意見主張を想像してみることが重要です。
「きっと、こんなふうに思っているんだろう」
「きっと、こういう言い分なんだろう」
こんなように推測していくことです。
多重人格的かつ、人の目を気にするぼくとしては、日々目の前の事柄に、この脳内ディベートが繰り広げられます。
ひとつの事柄に対して、少なくとも両側から見てみる。
可能な限り多彩に見てみることが大切です。
いま、世界が怒り、苦しみ、悲しんでいる事柄に目を向け、脳内ディベートの一部を書き出してみようと思います。
あくまで、意見主張があるわけではありません。
政治的な主張をするつもりもありません。
どちらかと言うと、一般の声と反対のことを多く書いてしまうと思います。
ぼくとしては、フラットが前提です。
ご了承ください。
冒頭の、暗黒の悲しみが連鎖するような素晴らしい作品は、ますみゆたか/真澄悠貴|noteさんの描かれたものを使用させていただいています。ありがとうございます!
①一人ひとりを大切にする世の中じゃなかったの?
世界は、文明の発達とともに豊かな生活を手にしつつあり、
気候変動をはじめとした課題に対し、世界が連携し、
サスティナブルな、持続可能に永続していく世の中を目指していこうという動向だと思います。
もちろん、国ごとの貧富の差であったり、世界的な目標に賛同しない国があることも事実だろうと思います。
それらの根本に、
『ひとりひとりが大切にされる』社会を実現していくっていうのがあるはずです。
例えば、人権や多様性は、ひとりひとりのかけがえのない権利であり、他者がその尊厳を侵してはならないものであり、これは社会を構成する一人としての義務であり責任です。
なのに、このあり様です。
ひとりひとりの命が、こんなにも儚く一瞬で失われて良いのでしょうか。
罪なき市民が巻き添えにされる命と、
主張を発する国のトップの命は、
同じ重さの命です。
差異などない。
最前線でいがみ合い、攻撃し合い、失っていく命。
これもひとりひとりのかけがえのない命です。
「行け」と命令する人も
「はい」と応える人も同じ命です。
どう考えているんだろう。。。。
どんな想いをして、隣国を攻撃するんだろう。
どんな思いをして、防衛に徹し、反撃するんだろう。
自分の命、敵の命。同じものです。
②話し合うことが目的だったのでは?
不勉強なところもありますが、全体像としては、
話し合いが進展せずに、この現状に突入してしまいました。
一方は、話を聞いてくれない。
もう一方も、話を聞いてくれなかった結果だ、と。
結局、「とにかく話し合いましょう」という段階になりました。
なのに、「話し合うには条件が必要だ」
「話し合いには応じれない」
そんな回答になっているようです。
話し合いたかったんじゃないの?
もちろん、詳細がありますが、大枠の大枠として、そんな矛盾を感じます。
③戦争反対?
この平和だと思っている我が国でも、この機に、戦争反対の意識が高まっています。
戦争とは、相対する国どうしがあり、起こることです。
どちらが正義のヒーローで、どちらが悪の巣窟なんてあるのでしょうか?
それぞれの国から話を聞いてみると
「いや、向こうが悪い」って言うと思います。
もちろん、世界的なルールとか、規範、モラルのなかで、妥当性もあるのかもしれませんが、
主義主張を聞いていくとしたら、そんな回答が得られるものと思います。
戦争反対!
声高に叫びつつ、一方の国への支援を強烈にするということは、戦争に加担していることと同じではないでしょうか?
弱い方が正で、強い方が悪とも限らないように思います。
先制攻撃した方が悪で、先にやられた方が正とも限らないように思います。
『戦争反対』
という言葉なら、どちらにも肩入れしない行為なんじゃないでしょうか。
喧嘩を止めに入って、どちらかの味方になっている構図のように感じます。
④武器を置け?
こんな日本でも、こんなことが起こるかもしれないと、改めて議論が加速しているように思います。
今に始まったことでなく、ずっと潜んでいた社会課題です。
世の中全体の合意・理解のないまま進んでいるのは明らかです。
しかしながら、この度、表面化しているこの課題に対して、どう議論が進んでいくのでしょうか。いち有権者として、きちんと考えていかないといけない課題です。
日本は、憲法により『戦争放棄』しています。
防衛に徹するという理念のもとで、憲法改正の動きもあります。
攻める側も守る側も、あの悲劇を繰り返してはならないと『非核』を定めてています。
しかしながら、この度のことで、その『防衛力』が話題になっています。
もっと守りを強くしなければ、攻め込まれる。
核に匹敵するには、核を持つべきだ。そんな声さえも聞こえるようになってきました。
では、現状の争いを見ていて、こんな主張がありました。
『こちらからの攻撃をやめる条件のひとつは、そちらが武器を置け』
というものです。
あれ?武器を置いたら攻めるの止めるの?
攻められないために武器を持つべきっていう議論と逆じゃない?
睨まれるから睨み返す。
銃口がこっちに向いてるから、こちらも銃口を向ける。
当然の論理でありながらも、矛盾を感じます。
⑤『犠牲』?
毎日、ニュースでは、どこどこでは子どもを含めた何人が犠牲になりました。
と伝えられています。
災害による死者も、この『犠牲』という言葉で表現されることが多いです。
違う違う!!
「子どもを含む何人が殺されました」
こう言うべきでは?
犠牲という言葉は、
何かを得るために、何かを捧げることを言うはずです。
市民の命が失われていくなかで、その礎のうえに何かを築き上げていける一助になっているのでしょうか?
そんな『犠牲』じゃないと思います。
もし、これが真の意味で犠牲であるならば、
ぼくたちが、世界が、その人の人生の結末をしっかりと受け止め、今後の世の中を構成する一員として、未来を変えていかないといけません。
発する側の、言葉のチョイスを改めるか、
受け止める側が、毎回受け止め方を変えるかのどちらかだと思います。
⑥ディベートを
この記事に、反論する声、意見、たくさんあると思います。
ここに書いたことがぼくの本音であるものもそうでないものもあるかもしれません。
序盤に書いたように、あえて違う意見を言ってみるというのもディベートの要素です。
傍観する、
人任せにする、
とりあえずみんなに付いていく、
そういうことではなく、
ひとりひとりが考えることが大切であり、
色んな意見を聴くことが大切だと思います。
「いーや違う!それは間違ってる、こうだ!」と他者の声を塗り潰す風潮がありますが、
こうしたディベートがより良い世の中を創っていく一歩目だと思います。
今日の記事は、議論に油を注ぐものとしてあえて書きました。
ぜひ、反論でも、共感でも、別意見でも良いので、考えるきっかけにしていただければと思います。
⑦最後に
歴史は繰り返すと言います。
歴史の教科書をめくっても、たしかに繰り返されてきました。
これほど文明が発達し豊かになったにも関わらず、歴史が繰り返しています。
日本でも戦禍の悲しみに直面した世代から3世代、4世代経とうとしています。
歴史が繰り返してしまわぬよう、想い続けなければなりません。
今日もご覧いただき、ありがとうございました。
これまでの関連する記事をいくつか貼っておきますね。
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