コウノトモコ

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「違うかった」は若者言葉か表現か

思っていたのと違うかった―― このフレーズを聞いて、何も感じない人もいれば、若者言葉に聞こえる人もいます。「違うかった」は公式の場で使っても問題ない表現なのでしょうか。 ■「違うかった」は若者言葉? 「違う」の過去形について、「違うかった」をはじめ「ちがかった」「ちがうくて」という言い回しをよく耳にします。これらは、正しい日本語の使い方ではありません。動詞「違う」と形容詞「違い」の使い方が交ざり、近年、若年層を中心にこういった表現が広まっているといわれます。 ■「違うかっ

    • 「来ないだろう」+「まい」=?

      「来ないだろう」という表現を助動詞「まい」を使って表す場合、どういった表現になるでしょうか。 ■来まい?来るまい?どちらも正しいって? ある辞書には、「五段動詞の場合は終止形から、それ以外は未然形から接続する」とあります。「来る」の未然形は「こ」なので、「来まい(こまい)」が正しくなります。 しかし、また別の辞書には、「五段の終止形および五段以外の未然形・終止形に」とあります。そのため、「来まい」だけでなく、「来るまい」という表現もあるということになります。 ■文法の正解

      • まだまだある誤用例(2)

        前回同様に、非常に多い誤用例を3つご紹介します。 ■肝に「銘記する」のであって、「命じる」ものではない 「肝に命じる」と誤った例が多くみられます。正しくは「肝に銘じる」。もとは石碑や金属板に字を刻みつけることから、心に深く刻みつけるという意味になったもの。決して、命令するものではありません。 ■食料などが「底をつく」のは「尽きる」ではない 食糧などが底をつくときは、「食料が尽きる」の「尽」の字にひきずられてか、「底を尽く」という誤りが多くみられます。正しくは「食料が突きる

        • まだまだある誤用例(1)

          聞きなれているが、実は誤った表現は多いもの。今回は非常に多い誤用例をご紹介します。 ■「高み」の「み」は見ることではない 「高み」の「み」は「見る」ことではなく、接尾語です。そのため「高見」ではなく「高み」と表します。 「高み」は「高いところ」を意味します。「深み・明るみ」と同じ使い方です。理屈で考えても「高いところで見る」から「高みの見物」が正しいといえます。 ■一同は「人」、一堂は「場所」 「一同」は居合わせた人全員のことを指します。そのため、「社員一同・一同、礼」な

        「違うかった」は若者言葉か表現か

          貯金は「取り崩される」もの

          バブル崩壊後の不況とともに、「貯金を切り崩す」という表現があらゆるところで使われています。しかしこの表現は間違い。その理由を下記に述べます。 ■「切り崩す」はその集団の力を弱める 「月10万円程度の失業手当も打ち切られ、預金を切り崩しながら仕事を探す」という例文があります。違和感を感じない方も多いと思いますが、実は誤った表現です。 「切り崩す」という意味は、「①切り取って形を壊すこと ②相手側の団結を乱してその力を弱めること」の大きく2つ。「崩れる」のは切り取った一部分では

          貯金は「取り崩される」もの

          「妙齢」とは何歳くらいの指すのか

          「妙齢」という言葉を使うことは少なくなっていますが、いざというときに失礼にあたるかもしれません。今回は「妙齢」について述べます。 ■「妙齢」は若い?年配? 「妙齢」を辞書でひくと「女性のうら若い年ごろ」と書かれています。つまり若い女性のこと。 しかし、「若い方かと思ったが、妙齢と知り驚いた」というような使い方をされることがしばしばあります。もちろん間違った表現なのですが、どうしてこのような間違えが生じるのでしょうか。 ■漢字からはイメージしにくい言葉「妙齢」 「妙」という

          「妙齢」とは何歳くらいの指すのか

          座っている並んでる?「居並ぶ」の正しい使い方

          「居並ぶ」という表現は誤用の場合が多くあるといわれます。なぜなのでしょうか。下記で述べます。 ■並んで座っていると確認できるのか 「居並ぶ」は一様に「並んで座る・連なって座る」という意味があります。しかし、ただ並んでいる様子を表すときに「居並ぶ」を使用している例が多くあります。本当に座っているのかは写真などを見ないと校正できないもの。証拠のないまま「居並ぶ」の表現を承諾しているので、誤用が広がっているのです。 ■比喩の場合は並んで座ってなくても問題無し? 「居」には単にそ

          座っている並んでる?「居並ぶ」の正しい使い方

          「新年あけまして」は正しいか

          年始の挨拶でよく見られる「新年あけましておめでとうございます」というフレーズ。実はこの表現は間違いなのです。 ■「明ける」=「終わる」こと 「明ける」は「夜が明ける」「梅雨明け」からわかるように、終わることを示します。このことから、年始に使う「新年あけまして……」は誤った表現であり、「旧年が明け……」などと言い換えるべきなのです。 ■「明ける」=「はじまる」も問題ない⁈ 明鏡国語辞典には、「明ける」について次のように書かれています。 「『夜が明ける/朝が明ける』『旧年が明

          「新年あけまして」は正しいか

          「やむを得ない」のミスの多さ

          仕方なく実行することを意味する、「やむを得ない」や「せざるを得ない」でかなりの誤表記が目立ちます。個人のブログだけでなく、企業の公的なニュースにも用いられる始末。一体どういったミスが起こっているのでしょうか。 ■「を」が消えている まず1つ目のミスは、「やむ得ない」「せざる得ない」というように「を」が抜けているのです。「あり得ない」「成し得ない」のように、初めから「を」のない複合助詞の形だと思っている人が多くいます。 ■さらに多い誤表記とは 2つ目のミスは、「やむ負えない

          「やむを得ない」のミスの多さ

          否定形で用いる言葉

          否定形のときにしか用いない言葉がある、と学校の授業で習います。しかしその概念は年々少しずつ変化しているのです。 ■日本語には否定形で用いる語が多い 日本語には、打消しを伴って使う言葉が多くあります。例えば、「くだらない」「大人げない」「だらしない」「仕方ない」「もったいない」などです。これらの「ない」を「ある」にはできません。 ■「そぐう」の広がり 上記のように、否定形で用いる語のひとつに「そぐわない」があります。しかし、この言葉は2000年以降、肯定の形「そぐう」として

          否定形で用いる言葉

          「抜け目がない」のは誉め言葉?

          ■抜け目がないってどんな気分 「あなたは抜け目がないね。」と言われたとき、どんな気持ちになりますか?あまりいい気がしないと思う人が多いのではないでしょうか。嫌味に聞こえたり、悪い意味でずるがしこいと言われたりします。しかし文章を書くときに使われる「抜け目がない」にはこういった悪い意味の使い方は少ないのです。 ■よく見るのは良い意味の「抜け目がない」 高校野球の新聞記事に「打線は下位まで抜け目がない」「内野手の動きが良く抜け目がない」という形で使われています。これを見ると、自

          「抜け目がない」のは誉め言葉?

          不適切な敬語

          敬語には「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」の3種類があります。それぞれの使い方については中学校で学び、特に二重敬語を避けることは多くの人が認識しています。ほかに見逃してしまいやすい敬語の使い方についてご紹介します。 ■「ご/お……する」は誰がするのか 下記の例文があります。 「天皇陛下が国民に向けてご発言されたことを重く受け止めている。」 なんの問題もなさそうな文章ですが、ここに敬語の誤用があるのです。そもそも「ご/お……する」は謙譲語を作るときの基本形。例えば、「社長をご案内

          不適切な敬語

          あえての不統一

          文末の「だ・である」と「です・ます」を混在してはいけないと、多くの人が認識しているでしょう。しかし『あえて』文末を不統一にすることもあるのです。 ■違和感のない不統一 こんな例文があります。 「だけど雨の日も、風の日も、晴れの日も、台風の日でさえも必ず毎週1回いらっしゃるのです。そんな方に、そんなふうに言ってもらえたのがとてもうれしかった。『お姉さんが作るラテ』と気づいてくれるような方がいるんだと思うと、アルバイトながら、もっと丁寧に仕事をやろうと思えた出来事でした。」 全

          あえての不統一

          「形容詞+です」は稚拙に感じる

          文末の「だ・である」と「です・ます」を混在してはいけないと多くの人が知っています。しかし「です・ます体」に統一するときは、形容詞の使い方には慎重にならないといけないのです。 ■丁寧な形容詞って 例えば「難しい」という形容詞を丁寧に表現すると、すぐに思いつくのは「難しいです」になります。話し言葉では何の違和感もないですが、書き言葉では稚拙な感じが否めません。 「形容詞+です」の使い方は、国語審議会が昭和27年に認めています。しかし、山田敏弘教授(岐阜大学)は、形容詞に「です」

          「形容詞+です」は稚拙に感じる

          「美しい水車小屋の娘」症候群

          「『美しい水車小屋の娘』症候群」という言葉があるわけではありませんが、語句のかかり具合がよくわからない例として取り上げられることがしばしばあります。一体どういうことでしょうか。 ■美しいのは何?誰? 「美しい水車小屋の娘」という例文は、「美しい」は「水車小屋」にかかるのか「娘」にかかるのかわかりにくいのです。これだけを見ると、この水車小屋や娘を知らない人からすると、どちらともとることができます。 こういった文章を誤解の少ない文章にするには、次の方法があります。 ・読点を加え

          「美しい水車小屋の娘」症候群

          「テン」で文章が読みにくい

          ここでいう『テン』とは読点、つまり『、』のことです。私自身幼いころから、テンはどこにつけるべきなのかわかりませんでした。「息継ぎをするところ」とも言いますが、テンばかりの文章になることも多々あります。文章をわかりやすくするために、わかりやすいテンのつけ方をご紹介します。 ■つながりが見えにくい『テン』 新聞記者が書いた、次のような文章があります。 「気象庁は1日、青森県の八甲田山、青森、秋田両県境にある十和田、富山、長野両県境付近に位置する弥陀ヶ原の3火山で、24時間の常時

          「テン」で文章が読みにくい