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随筆(2020/12/1):「商人」と「人」と「商品」は全て別の概念である

1.「商人」と「人」と「商品」は全て別の概念である

商人(取引先)は商品(サービス)と同一ではない。
自分に値札がついていることと、自分の為すことや成したものに金を払わせることは、違う。
後者の場合、自分は商品でなく、商人であり、取引があった時に、不満があれば売らなくても当然だからだ。
これは商人でなくて労働者であっても何ら変わりはない。
(とはいえ、実際には圧力の圧が違うので、対抗できるだけの圧を補うために、しばしば労働組合が要るんだが)

そもそも、取引に応じない、取引の話に晒されない自由、というものが、ある。
これは、取引をする「商人」の権利であり、もっと掘り下げると、「人」の権利の話だ。
付き合ってられない話には、付き合いたくないのだ。
嫌なものは、嫌なのだ。

2.商人としてのオフの日は、ただの人を、やってよい

今、こいつと、取引をしたくない。
何なら、今、自分は、取引の話そのものをしたくない。

という自由は、非常に重視されるべきだ。
だって、自分は、商品でなく、商人なんだから。

商人は、自由意志で、しかし、相手がいる以上は、妥協の上で、取引するしかない。
だとしたら、せめて、乗りたくない類いの取引には乗らない。
そこの仁義は本当に大事。

商人にも、オフの日がある。
そういう時は、取引の話は、お互いナシだ。
ただの人として、ほっといてもらう。
オフの時くらい、リクライニングビーチチェアに寝転がって、温かい日差しの中で、冷たい飲み物でも飲んで、甲羅干しして寝ていたいもんだ。
そういう時に取引の話をされたら、まーイラッとも来るわいな。分かって下さいよ。

3.サクサクした決済そのものは、なかなかラクチンなところがあって、いいものではある

もちろん、
「関係を持ちたい時だけ関係を持ちたい」
というやつ、ある。
それはそれでいい。気軽だ。
それでこちらに、一定の利益と、負荷の低さがあるならば、それは応じるにはやぶさかではない。サクッと決済。良くある話だ。

最近、一人旅してて思い知ったが、
「店員の方々に必要以上踏み込まれず、サービスだけ受け取る」
の、メチャクチャ気が楽なんですよ。
なので、そこの安直さを非難するようなことはあまり言えない。
自分がこれを要求されたら、場合にもよるが、まあ応じるだろう。
そういうのを求める人たちの気持ちは、正直ちょびっとは分かるからだ。

だけど、あまりにも盗人猛々しい人がこれをやっていると、どうにも自分が他人の都合で関係のチャンネルをハッキングされたような嫌な気分になっていく。
「相手に厚遇させて、しかも相手の労力や配慮のコストは踏み倒す自由があり、踏み倒して当然である」
という態度を、露骨に示す人、いる。
サクサクした決済に、そういう重たいものを要求するの、やめなさいよ。コストとサービスが、どう考えても見合ってないじゃん。
「おう、俺のことを、俺の都合のない、食い物にして良い、入手も使用も処分も自由な商品だと思ってやがるな。なぜそんな謂れがあると信じた? いつか絶対にこいつに思い知らせてやろうな」
とは、これも正直ちょびっとは思う。気を付けましょう。

4.人が人であるというだけで、取引先のような厚遇を得られる、という甘い話はない

ただの人ムーブや、サクサク決済ムーブをやっていると、
「少なくとも本格的な取引先とは言えないので、自分はその辺を歩いている通行人でしかなくなるし、そういう相手と同等には塩対応される」
ことになっていく。これは避けがたくそうなる。

取引先とは、取引が成功したら嬉しいメリットがあるから、便宜を図ることはある。
楽しく取引が出来るように、当たりのいい対応を心がけることもよくある。
というか、多くの人が、ごく当たり前の社交や処世として、これを呼吸のようにやっているだろう。

これには労力や配慮のコストがかかる。
出来れば払いたくない。そりゃあ、誰しも、バテてくたばりたくはないからだ。
だが、いつか取引が成功したら、全部ノシがついて返ってくる。何らかの嬉しさが待っているだろう。
そう思えるからこそ、この手のコストの持ち出しも正当化される訳だ。

そうでないのに、「コストを割いて当然」? そうはならんやろ。
「私は相手の持ち出されたコストを踏み倒して平然としていてよいことにしろ」
じゃあないんだよ。

コミュニケーションや取引を通じた、人間関係のない相手に、厚遇を吐き出させられ、しかもさも「当たり前」と言わんばかりの態度で受け取られる。
これは、しばしば、信じられないほど不愉快な気持ちを、送り手の中に引き起こすことがある。
だから、まず、そうはならない。こじれる類いの揉め事の元だから、そういうのを避ける人はこれをとにかく避けるからだ。

その辺を歩いている通行人は、他人なのだから、他人として扱われる。
他人に、コストを割いてまで、真心の籠った当たりのいい対応を要求されたら、ぎょっとするだろう。上の話に抵触するからだ。
これが、取引先の商人でなく、単に人として振る舞うということの、当然の帰結だ。
取引先としての厚遇を、人というだけで求めても、それは無理というものだ。

人が人であるというだけで、取引先の商人のような厚遇を得られる、という話はない。
基本的人権のリストは、「人」の「権」利という意味では非常に重要なものだが、この中に
「塩対応されない」
という話は、別に含まれていない。

メリットのある取引に、何ら関わりのない、赤の他人がこれを持ち出してきた場合、これは事実上
「相手に厚遇させて、しかも相手の労力や配慮のコストは踏み倒す自由があり、踏み倒して当然である」
ということをふつう含んでいる。
よくもまあそんなことをノー思考で口に出来るな? 恐ろしくないのか? 塩を撒かれても何もおかしくないというか、当たり前では? 俺だったら目を狙うぞ。それくらいの言い様だからな。これ。

そんな一方的な、他人を蹂躙する自由が、万人に対する人権というものに、含まれている訳ないやんけ。たりめーじゃ。んなもん。
これではただの弱肉強食でしかない。強いやつだけが人であり、そうでない者は人ではない、ただのサービス、商品になっちまう。
ここには人としての最低限の平等すら担保されていない。土俵に立てる、ということすら、権限として奪われている人がいる。
そういう姿勢をやめる、ということが、人権の前提じゃなかったのか。

権利能力の多寡はさておいて、万人が主体(エージェント)であることに、何の変わりもない。
ということをすっ飛ばして、自分が主体であるが、他人が主体であることは意識しないで済むような、人権思想、何?
何でそんなものが万人に受け入れられる余地があると思ってるんだ。ダメやっちゅーねん。

5.商人としての取引をせずに、ただの人として取引市場に居座ると、取引市場から干される

さらには、これを発展させていくと、
「商人としての取引をせずに、ただの人として取引市場に居座ると、取引市場から干される」
ことにもつながる。
この場合、取引市場とは、大抵は業界のあるエリア全体のことだ。
だから死活問題になりかねない。

まあ、
「今私は取引したくない」
という話を、周囲がふつうに受け止めると、取引はどんどん減っていくし、もちろんいつかはゼロになる。
そりゃあそうでしょうね。ごく当たり前の成り行きでしょう。

そういう風に、関係をその都度断てば断つほど、それは永続的な断絶に超高速で近づく。
「ああ、この人は、関係なくなりたいのだな。
じゃあ、こっちもほっとこう。
わざわざリソースを割いてまで関わる必要が、ないということなのだから」
という対応を、周囲はふつうに取るようになるからだ。
これをすると、風通しは良くなるかもしれないが、取引はどんどん困難になっていく。

6.信頼に基づく取引は、信頼が出来てからにしよう

取引先から塩対応されても、取引市場から干されても、それでも、今、腰の据わった取引をする気になれねえ。
というのなら、それはまあ、やりゃあいい。しょうがないし、これをダメとは言わない。そうした自由は断固として存在する。

ただし、ただの人ムーブやサクサク決済ムーブによって得られるメリットは、腰の据わった取引ムーブの時より、低い。
そこはそういうものであり、そこにまで文句を言っちゃいけない。

腰の据わった取引ムーブをある程度やっていると、取引上の信頼関係というものが生じて来る。
これは非常に便利なもので、あると嬉しいし、損なわれると猛烈に困るものだ。

例えば、「困った時はお互い様」系の取引や、「後で必ずノシつけて払うから、とりあえず今やってくれないか」系の取引は、ふつうは信頼があって初めて成り立つものだ。
今金が無くても、後でちゃんと便宜を図る。
そういう信頼があるから、安請け合いも飲むのだ。

そうでない時に、それらをさも当たり前のように、呼吸のように迫ってくる人がいる。迫ってくるなよな。
そういう時は、お互いほっとくのが仁義であり、「お互い様」ってやつだ。
ほっとくか、ほっとかないで恨まれるか、どちらかをやるしかない。

7.ただ働き、最悪だ。「商人」でも「人」でもないし、「商品」ですらない。掛け値なしの「モノ」扱いだ

そうそう、ただ働き、最悪ですよ。
自分が売り手であることを否定されている上に、自分に値札すらついてないんだからな。
いつかそんなものは、惜しげもなく捨てられるだろう。「路上で凍死しても知らん」ってやつだ。
こちとらそんなん絶対に嫌に決まっているが…? 何が「お互い様」だ…???
信頼? ある訳ないやろ。

こんなことをして、ただで済むと思っているのか?
思っているんだろうな。
というか、そんなこと、考えに浮かび上がってすらいないのだろう。
だから、こんなことが出来るのだろう。

が、ただで済むとは、よもや思わない方がいい。
「お前は商人じゃない。人でもない。商品ですらない」
という扱いは、一般にはとてつもない侮辱なんだ。
された側が、いつかものすごいしっぺ返しをするに足る、十分な動機だ。
そこは、本当に気を付けましょう。

いじょうです。

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