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数学(2022/7/21):キューネン本2冊についての記事_16.ZFC集合論の公理のリスト_14(最終成果物:(無限をも扱える)数学)

1.最終工程:『遺伝的有限集合全体の集合』から通常の『数学』まで

1_1.(緩い)数学的構成主義のメタ理論の世界

今まで構成してきた『遺伝的有限集合全体の集合』とは何だったのかというと、(緩い)数学的構成主義の扱いたい、有限の数学的対象全てを、問題なく扱える世界なのでした。

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(緩い)数学的構成主義は、(厳密な)数学的構成主義違い直観主義論理による数学的対象真に直接的な構成貫徹諦めて間接的な証明としての背理法を使う古典論理をも採用しているのでした。

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また、扱う数学的対象有限ですが、それがある世界そのもの無限であり、これについても目をつぶって話を進めています。

(厳密な)数学的構成主義では、せいぜい順序数としての自然数しか構成できません。
何ならそこから無限公理を作るまではよくても、実際にこれを運用して何か無限の数学的対象を作りだそうとしたら、
無限公理に従った処理有限回では止まらないし、終わらない処理から何かが作られることもない
ということでしょう。
また、
「有限回では止まらない処理が行われる場」
という発想自体を、
有限回処理ではその世界とやら現に作られることはないから、架空のものであり、存在しない
として否認するでしょう。

というより、(緩い)数学的構成主義では、
「有限回では止まらない処理が行われる場」
そのものは、
架空のものではあり、存在しないが、扱う際の道具的利便性のため、ともあれ構成を試みる。そのために無限公理古典論理採用する
という姿勢で当たっています。

***

それでも、(緩い)数学的構成主義は、
「扱う数学的対象は有限の数学的対象限る
というところまでは譲った訳ではありません。

***

それは理解できなくはないのですが、大きな問題があります。

小学校算数、おそらく現時点では4年で習う、平面すなわち2次元ユークリッド空間や、いわゆる空間すなわち3次元ユークリッド空間のことを思い出して下さい。
平面図形や立方体等がその中にあるはずの、軸が x, y (, z) で示され、それで座標を定める、あの空間たちのことです。

実は、(緩い)数学的構成主義では、2次元ユークリッド空間3次元ユークリッド空間における図形扱えません。

どういうことか。

ここで使われる x軸や y軸(や z軸)は、目盛りのある定規ではなく、「無限に細かく区切れる」線なのです。
を言い表すために、「無限に細かく区切れる」実数全体の集合の性質が正に使われるのです。
そして、(緩い)数学的構成主義では、「無限に細かく区切れる」実数全体の集合なるもの扱えないのです。

「小学校算数の時点では、2次元ユークリッド空間や3次元ユークリッド空間は、世界であって対象ではないから、問題はないのではないか?」

正に数学的対象そのものであるはずの図形にもにまつわる話は避けられないのです。
こうなるともうこの手の論法すら効きません。

円における円周の話ができない小学校算数、途方もなく不自由でしょう。
そういうのでは困ります。
せめて図形と線の話くらいは扱えてほしい。

このように、小学校4年生算数の時点で、実際には無限の数学的対象を扱っていることになるのです。
そうなると、(緩い)数学的構成主義では、もはや太刀打ちできない。

***

ということで、ここからは、数学的構成主義超えて無限の数学的対象をも扱える通常の数学をやっていかねばなりません。
これはつまり、(緩い)数学的構成主義の世界にすぎない、『遺伝的有限集合全体の集合』から、数学全体構成する、ということです。
そういう超え方でないと、今までの長い長い話には意味がありません。

では、一体、どうやって?

1_2.証明によって正当化されたZFC集合論によって構成可能な世界

1_2_1.形式的演繹

さて、『形式言語』の記事を思い出して下さい。
あの記事で長々とやってきたことは、いったい何のためだったのか。

***

一つは、論理式の、記号による形式化拡大によって、論理式で作れるZFC集合論の何らかの対象を、ZFC集合論の世界において実際に構成するためでした。

例えば、『記号化された集合論用の論理学における論理式』は、述語記号によって拡大された論理式の一種なのでした。
これを使えば「ZFC集合論の中で」「集合論用の論理学における論理式を扱っている」のと同じ意味があるのでした。

また、『順序数全体の真クラス上の超限再帰』は、函数記号によって拡大された論理式から超限再帰的函数を構成するための手法でした。
こうして作られた『超限再帰的函数』は間違いなくZFC集合論の世界の中の数学的対象なのでした。
(ただし、超限再帰的函数は「有限の数学的対象を扱える、無限の世界」を構成するための道具であったことも忘れないで下さい。
これそのものは有限の数学的対象とは言い難いところがあります。)

***

これから、もう一つの、よく考えたら恐ろしい話をします。

『集まり』から『順序数としての自然数』を構成する過程で、今まで言っていたことは、なんと
「そういう構成はできるかもしれないが、本当に問題なくできるかどうかは保証されていなかった」
のです。

当然それでは困る。口から出まかせと何も変わらない。

しかし。
ここで「記号で表された論理式による証明の作法」『形式的演繹』を使って、今までの長い説明について証明すれば、上の話は全て保証されます。
つまり、
「本当は反対の結果になった。だからこの説明は使い物にならない」
ということがなくなります。
そして、これをすれば、
「今までの話を、ある仮定の上で、いったん正しいと見立てて良い」
ということになります。
「ある仮定」とは、「最初の方に出てくる『変数』等をいったん「真に正しいもの」として、そして「基礎」として扱う」ということです)
その上で、いったん安心して、以後の議論を展開できるようになります。

もちろん『添数づけられた列』『有限列』『記号で表される論理式』『形式的演繹』そのもの正当化されるので、この記事まで書かれたことは全て「いったん正しいと見立てて良い」ことになります。
これはだいぶ大きな安心をもたらします。
『形式的演繹』を使って、
「『形式的演繹』は使い物にならないし、これを構成するために使われたし、形式的演繹で模倣されたはずの演繹は、論理学は、使い物にならない」
という結果が出たら、論理学においては大問題です。
そうではなく、問題なく使い物になる、という話をしたいのですね。

***

つまりは、『形式的演繹』が、もう一つの目標です。これを構成できなければなりません。

実際の証明は省きます。
(数学寄りでない人向けの記事なのに、そんなことしたら、想定している読者の方々は、ふつう嫌になるでしょう。)
また、記号論理学についての深い記述キューネン基礎論では第II部に集中するのですが、それは私が今これから読むところですので、読まないと書けないところが多いのです。これから頑張ります。

ともあれ、キューネン本2冊では、「これは、全部、できる」と保証されています。有難い……

(本当にそうかはご自分で読んで確かめてみて下さい。
つまり、証明ということに付き合っていかねばなりません。
大変ですが、真面目にやるなら避けられません。)

1_2_2.証明によって正当化された遺伝的有限集合全体の集合までの世界

こうして、形式的演繹を適用することによって、今までの『遺伝的有限集合全体の集合』までの世界が、全て正当化されます。
「そういう構成はできるし、本当に問題なくできることも保証される」
訳です。一安心ですね。

1_2_3.ZFC集合論によって構成可能な世界

同じ話が、ZFC集合論全体にも適用されます。

ZFC集合論そのものの構成の話は、素朴な論理学で、今までのようにZFCの公理を記述し、最後に選択公理と等価な命題を書いた時点で、下準備としては整ったのでした。
そして、素朴な論理学ZFC集合論基礎公理選択公理使っていないので、キューネン基礎論の表記に従えば、ZF-集合論と呼ぶべきであろうが)で、素朴な論理学を模倣した、記号論理学を、『形式的演繹』を作った。
つまり、素朴な論理学正当化した。

では、形式的演繹により、遺伝的有限集合全体の集合のみならず、その他のZFC集合論によって構成可能な世界を、余さず正当化できそうではないか?
例えば、遺伝的有限集合全体の集合ではなく、”aleph-1” に対応づけられた『遺伝的可算集合全体の集合』 H(aleph-1) = HC などを含む、ZFC集合論によって構成可能な世界広大な世界が。
そして、図形と線を扱っても問題ない小学校算数の世界が。

そうした、ZFC集合論によって構成可能な世界の中の数学的対象は、ZFC集合論の公理全てを備えた、『ZFC集合論における集合』と呼びうるものです。

そして『ZFC集合論における集合』無限の数学的対象込みの話であるはずです。
少なくとも、上の話の期待に応えるなら、『ZFC集合論における集合』においては、遺伝的有限集合や(実数などの)遺伝的可算集合も、そして遺伝的有限集合全体の集合遺伝的可算集合全体の集合までも、扱えていなければならない訳です。

遺伝的有限集合全体の集合は、有限の数学的対象の世界に過ぎませんでした。
だが、ZFC集合論によって構成可能な世界には、そんな(緩い)数学的構成主義による制約ありません。
だから、無限の数学的対象扱えて然るべきです。

1_2_4.証明によって正当化されたZFC集合論によって構成可能な世界

もちろん、ZFC集合論によって構成可能な世界は、形式的演繹による証明によって正当化できます。
こうして、証明によって正当化されたZFC集合論における、無限の数学的対象をも扱える、広大な世界が広がることになります。

1_3.モデル理論

モデル理論の話を、少しだけします。

モデル理論は、本当はキューネン基礎論において第II章でみっちりやるところです。
だから、まだそこまで読めていない今は、あまり触れることはしないつもりです。

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さて、モデル理論とは何かというと、数理論理学(実質的には記号を使って構成した記号論理学)による手法を用いて、数学的構造を研究する数学ジャンルです。

***

昔から、論理学においては、

  • 「変数・論理式・演繹」に関するジャンル、『構文論』または『統語論』と、

  • その変数等それらが指している対象との関係に関するジャンル、『意味論』

に別れているものとされます。
記号を用いた今日的な記号論理学が出てきてから、

  • 『構文論』または『統語論』の今日的な形としての『証明論』

  • 『意味論』の今日的な形としての『モデル理論』

が発展しました。

***

基本的には、『構文論』または『統語論』で得られた成果は全て『証明論』でも成り立ちます。
形式的演繹もこの成果です。
しかし、キューネン基礎論では、これ以外の証明論の話はあまり出て来ないように見えます。
この本では、モデル理論で、証明論なのですね。)

また、『証明論』で得られた成果『構文論』または『統語論』でもできるだけ成り立っていてほしいのです。

ただし、もちろん、これらの話には、実際には『演繹』『形式的演繹』による証明が必要なところです。

***

同様に、基本的には、『意味論』で得られた成果は全て『モデル理論』でも成り立ちます。
また、『モデル理論』で得られた成果『意味論』でもできるだけ成り立っていてほしいのです。
ただしもちろんこれらは実際には『演繹』『形式的演繹』による証明が必要なところです。

***

モデル理論では、記号化された変数等・記号化された論理式等と、さまざまな数学的対象関係を研究します。

重要な話ですが、モデル理論「証明によって正当化されたZFC集合論によって構成可能な世界」の中の数学的対象から構成されます。
結果として、無限の数学的対象所属ないし包含できるようになります。
(だからこそ、数学においてかなりある、無限の数学的対象を記述できるのです。
それはしばしば "omega-1" または "aleph-1" またはそれ以上のものだったりします。
例えば実数全体の集合を扱いたくなる時も多々あります。
ただし、細かいメカニズムについては、まだ該当部分を読めてないので、何とも言えません。)

また、「証明によって正当化されたZFC集合論によって構成可能な世界」の中の数学的対象を、既存の数学翻訳しようとしている訳です。
だから、「証明によって正当化されたZFC集合論によって構成可能な世界」の中の数学的対象として許容されている無限集合については、もはや問題なく扱いますし、扱えるようにしてあります。

(どのような根拠と手段で、素朴な論理学では扱えなかったこれが、モデル理論では「扱えるようにしてある」のか?
そこが、おそらくキューネン基礎論第II章に書いてあるはずです。
が、繰り返しますが、まだ読めてないので、いい加減なことは何も書けないのですね。)

1_4.数学

モデル理論で、

  • 「証明によって正当化されたZFC集合論によって構成可能な世界」の中の数学的対象基づいて

  • 記号化された変数等・記号化された論理式等を通じて、

  • 期待されるさまざまな数学的対象模倣できたとします。

これはつまり、モデル理論で、既存の数学におけるさまざまな数学的対象を、証明により正当化したのと同じ意味になります。
何しろこれらは既存の数学同じ振る舞いをするし、しかも記号論理学の手法証明されているのです。
これで、我々が論理学の世界の変数等から出発して、既存の数学を展開できたのと同じ意味になります。

***

初歩的な論理学では初歩的な変数などを並べると初歩的な論理式になる。
この初歩的な論理式から、ZFC集合論の一部の作法で、順序数としての自然数全体の集合 ω が作れる。
これで順序数の連番と対応するラベルとしての記号を作る。
そうして素朴な論理学と同じ機能を持つ「フォーマルな論理学その1」としての記号論理学を作れる。
その後、記号論理学の論理式と、ZFC集合論の残りの作法で、基数としての自然数(個数=有限基数)基数としての自然数全体の集合 aleph-0 を作る。
さらにこれで「フォーマルな論理学その2」としての「無限個の変数を扱える」モデル理論を作る。
このモデル理論で既存の数学を扱い切る。

論理学から、数学が、構成できる。
それは、このようにして行われるのでした。

2.最終回予告

長い長い旅路にお付き合い下さいまして、誠にありがとうございました。

次回は、最後になりますが、
「『キューネン数学基礎論講義』第I章と『集合論』第I章が、どのような特色を持つ本であったか」
を少し書いて、オススメしてから終わろうと思います。

それが終わったら、この足掛け3か月の記事も終わりです。
改めて、ご覧くださいまして、誠にありがとうございました。

(続く)

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