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創作メモ(2020/10/13):殺伐とした真実に向かう主人公たちを、綺麗事で救ってやりたい

私のいつか書きたい小説の主人公は、「虚飾を嫌い、真実のみを求め、だからこそ揺るぎなく生きて行動出来る」系の価値観の持ち主なんですよ。

で、ヒロインも同じ価値観で、同志なんですね。

だから二人して綺麗事に決して向かわず、バカ話もせず、中身のある話ばかりする(もちろんこれでは疲れてしまう)。

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ですが、書こうとしている私が、ある方と話していて、考え直したのでした。

主人公は元々は私の推しを自己流にしたやつで、ヒロインはその憧れの人の自己流版だったんですよ。

で、推しが同じ人が、「やはり光り輝く彼らには、結ばれて超光り輝いて欲しい」と仰有っていたのですね。

そりゃそうだ。

最初から最後まで、苦しみ抜いてどうする。

推しを推したら罰ゲーム。というの、最悪ではないか。

ただでさえ推しは不人気だった。だから、もっと優しくしてやりたい。報いてやりたい。幸せにしてやりたい。

そういうところに、立ち返ったのでした。

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真実は人を助ける手段になるかも知れないが、目的面で人を救う可能性は低い。

綺麗事は人を助けないかも知れないが、これによって初めて殺伐とした世界観から救われる人もいる。

人の輝きは、やはり、綺麗事から切り離せない。真実の強さだけでは足りない。

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推しは救われて欲しいんだ。キラキラと綺麗に光り輝いて欲しいんだ。

そんなことは、このままでは実際にはありそうにないが、だったら、このまま「ではない」ように努力して、実際にあらしめればいいのだ(そもそも、推しは元々、そんなやつだったではないか)

そのために、理想のような綺麗事を掲げるのには、大いに意味がある。

「二人はその後幸せに暮らしました」

そういう綺麗事に、推したちを向かわせたいのだ。

大きな指針の変更になりますが、明らかにこちらの方がハッピーで輝くからな。

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