団、ダン、DAN。いずれも起源はあだ名に由来する。
株式会社DAN 代表取締役 畑中 尚氏
大学中退後、22歳で独立。地元の綾瀬で飲食店を創業。縁あって新橋に新店をオープン。こちらが旗艦店となる。2024年3月現在、「串かつ 団」「鉄板焼 団」「韓国屋台 ダン」「古民家バル DAN」を運営している。
善意から生まれた縁。
お父様とお母様の馴れ初めは?と尋ねると、少し長くとなると前置きしたうえで…
「母方の祖母が詩吟の先生だったんです。祖母も、母も北海道で、札幌出身です。その日、祖母は東京に来たらしくて。荷物には詩吟の道具などが入っていたそうです」。
重そうに荷物を持つ高齢の女性をみかねて1人の青年が近づく。
「そうなんです。父が祖母の荷物を持ってて。それが縁で、うちの娘を紹介するという話になったそうです(笑)」。
まるで、ドラマのような話。
「その時、母は札幌でいくつかの事業をしていたそうなんですが、それが縁となって事業で貯めたお金をもって東京にでて父と暮らすようになったそうです」。
父親は韓国済州島出身。26歳のときに、単身来日されている。一つの荷物を持ったことがきっかけで縁が結ばれたという素敵な話。
もちろん、そのお二人のご子息が、今回ご登場いただいた株式会社DANの代表取締役、畑中尚さん。1989年11月11日生まれ。
ランチをやめる→給料5万円ダウン。どうする?
畑中さんが育ったのは東京の綾瀬。子どもの頃からムードメーカー。スポーツは陸上で、中学生の時は短距離と投擲の選手だったらしい。
高校は校舎がリニューアルされたばかりの学校へ。
「リニューアルされたばかりの校舎に惹かれ、進学しました。ただ、学校で勉強したというより、1年生から飲食でバイトばかりしていました。中華料理店などでホールの仕事です。学校とは違って、こちらは楽しかったです」。
「大学にも行くには行った」と笑う。
「進学するつもりはなかったんですが、父が『行け、行け』と煩かったもんですから」。
仕方なく浪人して、帝京大学に進んだそう。
「大学に行くなら小学校の先生になろうと思っていましたから、教育学部に進みます。でも、結局2年で辞めてしまいます」。
「大学生になってからも飲食店でアルバイトしていたんですが、またまた、そちらのほうがはるかに楽しくて。勉強にも身が入らず、ずるずると2年間通って、もういいかな、と」。
飲食店の給料はランチも、ディナーも働いて月25万円。悪くはなかったが、ランチはやめるとオーナーが言いだし、給料が20万円になる。
5万円の差はバカにはならない。どうする?
ラッキーボーイ。
「たぶん、選択肢は色々あったと思いますが、私の場合は、じゃあ独立するか、と(笑)。父も母も商売をしていましたから、そのDNAを引き継いでいたんでしょうね。それに若かったから、大胆に行動できたんだと思います。もっとも父も母もやめておけ、と心配していたようです」。
父母のアドバイスを頭に入れつつも、畑中さんは22歳の時、綾瀬で串カツ店をオープンする。
「綾瀬には友だちがたくさんいますからね。みんなのたまり場になればいいな、って」。
大胆かつ、軽いノリ。だが、狙い通り。たまり場になり、繁盛する。
「基本はワンオペだったんですが、妹や雀荘の友人が無償で手伝ってくれたりして。内装も出世払いで、その道のプロが手伝ってくれました」。
開業資金は?とうかがうと、「父親が大学進学のために用意してくれていた150万円と、パチンコで儲けた70万円と」との回答。
ギャンブルで儲けたお金も投入された、その結果は、初月から100万円近く利益が残ったらしい。ラッキーボーイ。畑中さんも、「私は運がいい」と笑う。
もちろん、俯瞰すれば運だけではないことが明らか。畑中さんをサポートしてやろうというネットワークがあったからこそ。かつてのムードメーカーは飲食店のオーナーとなって、みんなの真ん中で、笑い、しゃべり、青春の1ページを飾ることになる。
DANと命名する。
運がいい。人にも恵まれた。
「新橋に新店をオープンすることになるんですが、それも知り合った人からお店をスライドしていただきました」。
こちらが、「串カツ団 新橋店」。
「綾瀬のほうは、私が抜けたことで売上が下がったこともあるんですが、水漏れがあって、結構な額の保険が下りたんです」。
創業店は閉めることになったが、軍資金が手に入る。「新橋で店を展開する資金になった」と言っている。
「串カツ団 新橋店」のオープンは2015年。その5年後の2020年に同じく新橋に「鉄板焼 団」をオープンしている。メニューは、もんじゃ、お好み焼き、焼肉と、オールラウンドプレイヤーだ。
ちなみに、こちらも知り合いから譲ってもらったというから、ラッキーといえば、ラッキーな話。ただ、それ以上に、だれもが心を許す人なんだろう。
畑中さんは、この年に法人化もしている。
ところで、お店をだしたことで、うれしいことが起こる。
「実は、小さな頃は父の酒癖が悪く、両親の仲がむちゃくちゃで、いったん別居もしていたんですが、私が独立したあと、うちの店で時々顔を合わすようになって。和解したのか、今はもう気持ち悪いくらい仲がいいです」とうれしげに語る。お父様の酒癖の悪さも、今ではすっかり鳴りを潜めているそうだ。
DANという、社名についても聞いた。
「あ、これですか。これは、昔バイトの面接に行ったら、むちゃくちゃいそがしくって。面接も適当で、『君、お酒は注げる?』って聞かれて、『ハイ』といったら、『じゃ』と、そのままホールに立って。私もほかの人の名前を知りませんが、相手も知りません。そのとき、だれかが、シャツにプリントされたDANをみて、『DAN』っていい始めて。それが私も気に入って、以来、DANで通しているんです」。
社名も、店名も、そこが起源。
このノリが、だれにでも好かれる理由かもしれない。運も、つい畑中さんには微笑みかけてしまう。
最後に今後の展開をうかがった。
「行けるところまで行きたいというのが、今、言える話です。大きすぎると笑われるかもしれませんが、アルバイトを含めて1万人が目標です」。
このインタビューは2024年の3月に行っているのだが、その時の予定では、門前仲町に新店をオープンする予定。ドミナント展開のほか、FCも視野に入れている。
「以前は出店計画通りにいかないことに対してストレスを感じていましたが、身の丈に合ったスピード感で成長していくことに決めました」と畑中さん。
身の丈を忘れない、そこもいい。
「1万人」。
その話はでかい。しかし、その真ん中にいる畑中さんを想像すると、こちらまでわくわくしてくる。
主な業態
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